ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

畝傍山へ登りました(2014.01.12)

2014-01-12 18:47:31 | 山日記

橿原考古学研究所付属博物館へ特別陳列「十二支の考古学・午」を見学に行きました。その前に橿原神宮に参拝し、畝傍山に登りました。

3連休真ん中の日曜日で駐車場が混雑するのを予想して、久しぶりにのんびりと電車で橿原神宮駅へ。真っ青な空の下、大鳥居を潜って広い参道を拝殿へ歩きます。


南神門には「紀元二千六百七十四年」という大きな札がかけられていました。神門を潜って畝傍山を見上げながら、外拝殿へ。さすがに12日ともなると参拝客も少なくなっていますが、大安の日曜日とあって羽織袴の新郎と角隠し姿の花嫁さんを二組見ました。


今年の絵馬…畳十四畳分の巨大さです。


外殿で柏手を打って拝礼。檜皮葺きの内拝殿の屋根の上に奥にある幣殿の千木が金色に輝いています。


北神門を出て北へ参道を行くと…


畝傍山登山口への道標があります。




すぐに東大谷日女命神社の前にでます。祭神はヒメタタライスズヒメノミコト、神武天皇のお后です。


この先から登山道が始まります。緩やかな登りは途中、西側の畝火山口神社からの道を合わせて、大きく山腹を捲くように登っていきます。下って来る何人もの人に出会いました。


登山口から20分で山頂に着きました。199.2mですが大和三山の中では一番高い山です。ここへは前に二度、来ていますが、いずれも三山を登っています。


山頂から西南の眺め。山頂に雪の見える金剛山、水越峠を隔てて大和葛城山。さらに右に二上山へと続きます。


北西には端正な耳成山が市街地の中に浮かんでいます。10分間休んで下山しました。


帰りは山頂すぐ下の分岐を左(北)へ、初めての道を下ります。登りの単調な道とは違ってやや急で、途中には岩の露出しているところもあって楽しく歩けました。


日の丸が翻り、大きな錨など置かれた慰霊公園を通り抜けたところにイトクの森古墳があり、すぐ前が神武天皇稜、下街道(国道24号)に続く県道です。下りは15分でした。汗もかかず、山登りというにはあまりにも短い行程でしたが、清々しい気持ちで今日の本来の目的である考古学博物館へ向かいました。


私の登った「午」の山(2)

2014-01-11 12:38:27 | 四方山話

甲斐駒ヶ岳(2967m)
南アルプス(赤石山脈)北端部に位置する名峰。全国に18座ある「駒ヶ岳」中、最も標高が高い。
以下は1960年8月下旬、高校3年の弟と登った想い出である。

前夜、夜行で大阪を発ち、伊那北からはバスで7時半に戸台に着く。朝食後、7貫(28㎏)を越すリュックを背に出発。戸台川は台風の影響の3日間降り続いた雨で増水、濁流が広い河原をいっぱいに凄い勢いで走っている。橋が流れて最初から急坂のブッシュの中の高巻の連続だった。何度か徒渉を重ねて赤河原の丹渓山荘前で昼食したが、ここまでで予定時間より2時間半遅れて14時を過ぎていた。八丁坂の上りの途中、道端に全身痙攣の病人あり、連れの人が山荘に連終に降りる間看病する。

北沢峠に登り、北沢長衛小屋に入った頃にはちょうど日が暮れた。

炊事の整備も整い、感じのいい小屋だ。


翌日はサブで仙丈岳を往復した。

3日目、6時半、小屋を出る。荒れた河原をケルン頼りに仙水峠へ。鳳凰の地蔵仏がよく見えた。ここから駒津峰への登りは、全行程中、一番、辛かった。樹林帯を抜けて、ハイマツの中を向かい側のアサヨ峰の高度と比べながら、ゆっくり登る。富士が次第に大きく雄姿を表してくる。

 駒津峰から北岳

駒津の頂上はすばらしい。富士、鳳凰、北岳、問ノ岳、仙丈が絵のように連なっている。駒と摩利支天はすぐ目の前だ。一時間近く道草を喰ってしまう。

 六方石

六方石の鎖場を過ぎ、摩利支天の分岐へ登る。風化した花崗岩の砂の上の急傾斜で、日光の反射で目が痛いほどだ。


『頂上の駒ヶ岳神社の祠の前で昼食。駒津頂上からの展望に加えて、八ヶ岳がすぐ下に大きく裾野を拡げている。頂上からの下りは、所々に鳥居や、岩壁に摩利支天の字があり、宗教的な匂いが濃い。所々に鎖やハシゴがある。七合日の小屋は森林限界にあり、展望も良いので、時間はあったがここで泊まることにした(15時)。小屋は30人定員の所へ、たった6人。悠々と大の字になって寝る。』

4日目。雨中だが黒戸尾根の下りは鎖やハシゴ等あって面白かった。五合目でしばらく雨宿りして黒戸山へ80m登ると、あとは下る一方。笹ノ平でいったん緩くなった下りは、ここを越すとまた勾配を増し、ひざがガクガクする。八ヶ岳の良く見えるところで休み、木立ちのトンネルを抜けると、尾白谷のほとりの駒ケ根神社へ出た。

その時のノートが残っている。物価や山行の様子が思いだされて懐かしい。
*交通費 大阪~伊那北 840円(600円)   伊那北~戸台バス 150    駒ヶ根神社~牧原バス 40    日野春~大阪 840(630) ()内は弟の学割   
*宿泊費 北沢小屋(2泊)400     七丈小屋 200
*食料費 副食 450    間食 200   非常食 100  <二人×4日分で!>
<主食> 米3升、パン4食分、チキンラーメン4食分
<副食> カレー缶、ハイシ缶、ハム、福神漬、からし漬、目刺し10本、スープの素、タマネギ、ちりめんじゃこ、とろろ昆布、キュウリ4本、雲丹、豚肉(味噌漬け)
<間食> ココア10杯分、ジュースの素16、チーズ小4、おこし、ピーナツチョコレート、チョコレート4、するめ3枚、いか燻製、干しぶどう、クラッカー2本、ジャム、みかん缶詰3個 
<調味料>醤油、砂糖、味の素、茶の稟、マーガリン2、マヨネーズ、チーズなど
*共同装備 飯盒、コッフェル、鉈、うちわ、たわし、まな板セット、粉石鹸、缶切り、ラジュウス、石油、ポリタン、点火用アルコール、携帯ラジオ、カメラおよび付属品、食糧、非常食、ビタミン剤


私の登った「午」の山(1)

2014-01-10 20:58:56 | 四方山話

白馬岳(2933m)
北アルプスを代表する山の一つ。良く知られるように、春になると雪解けで山腹の岩が露出し「代掻き馬」の雪形が現れることから「代馬(しろうま)岳」と呼ばれるようになったのが山名の由来である。古くは大蓮華山と呼ばれたので、その名残りの小蓮華山や蓮華温泉がある。


変愚院が初めて登ったのは1959年で北側の糸魚川から大糸線で平岩まで行き、バス終点のヒワ平から蓮華温泉まで3時間ほど歩いた。




山の斜面にいくつかの露天風呂が並ぶ鄙びた温泉近くにテントを張り、翌日は白馬大池経由で白馬岳山頂泊り、三山巡りのあと大雪渓を下った。(左から二人目・変愚院)


 天狗池幕営地から白馬鑓ヶ岳

5年後の64年はやはり蓮華温泉から白馬に登り、6日間の幕営で後立山を爺岳まで縦走した。バスが佐渡見平まで伸び、便利になり、蓮華温泉のCSも少し上方に移動していた。


 Aug.1973

♀ペンの北アルプスデビューは白馬岳で、20歳の頃に同じ山岳会の合宿山行で唐松岳へ縦走している。この時は別のリーダーだったので、二人で登ったのは結婚後の73年8月。平岩からのバスはヤッホ平まで延び、蓮華温泉までは急坂の登りだが30分だった.

 雪倉岳山頂からの白馬岳(右は旭岳)

登頂後、朝日岳を経て小川温泉に下り、5日目に富山で途中下車して立山へも登っている。子供を実家に預けての6日間の山行だったが、元気なものだ。

その子供たちが小学校高学年になった77年夏、猿倉から大雪渓を登り頂上山荘泊。夜の雨が上がり、翌日は快晴の山頂から素晴らしいご来光を拝んだ。

『待つ程に妙高の方角から光の矢が射し込み、期せずして万歳の声が周囲から起こる。剣がモルゲンロートに輝き出す。白山、乗鞍、槍、穂高、立山連峰、日本海…遮るものもない展望。昨日の雨は嘘のよう。』と山日記に書いている。この時は蓮華温泉に下った。翌朝は土砂降りだったがバスの路線が伸びて、駅が温泉のすぐ近くに出来ていて助かった。

25年ぶり5度目の白馬は2002年、町内の山岳グループの夏の例会。♀ペンは老いた愛犬・美鈴の介護で参加できなかった。大雪渓を登り、山頂泊。増改築を繰り返してさらに大きくなった山荘は、縦走路を挟んで立ち並ぶ城塞のように見え、スカイプラザ(展望レストラン)には生ビールまであった。翌日は山頂でご来光を拝み、白馬大池から栂池に下って大町温泉に泊まった。

 小雪渓上部より白馬鑓と杓子岳

様々な思い出のある白馬岳は「花の山」である。白馬の名の付いた白馬岳の植物は800種にのぼると言われ、シロウマの名を冠した貴重な植物(白馬特産のものや、白馬で発見されたもの)も20種以上を数える。特に6月から8月にかけて、雪解けとともに一斉に咲き始める高山植物は種類(約350種)も数も多く、「花の白馬」の名に恥じない見事さである。

1は葱平(ねぶかっぴら)のシロウマアサツキ。浅葱の名のようにネギ科の植物でこの花が咲くので葱平の名が付きました。2はシロウマタンポポ。3はシロウマオウギ。4はシロウマダイモンジソウ。興味のある方は白馬の花をご覧下さい。


初登りは竜王山(2014.01.07)

2014-01-07 20:48:38 | 山日記

今年も町内の天理教分教会の方に入場券を頂いて、幸ちゃんと三人で天理の御節会に行きました。
竜王山を見上げながら会場に向かい、御神酒を頂いた後(ドライバーの変愚院は遠慮)、水菜の清汁雑煮をお腹一杯頂いて竜王山へ。


長岳寺の駐車場に車を置いてスタートしたのは11時でした。


柿畑を過ぎるとようやく山道になり、真っ青に晴れ上がった空の下、歩き慣れた道を枯葉を踏んでゆっくりと登っていきます。久しぶりの山行に幸ちゃんと♀ペンの話が弾みます。「こうして話しながら登れるペースがいいのよね。」二人だけなら黙って歩くことが多いだけに、楽しそうです。中間点の石不動さんに手を合わせ、さらに登り続けるうちにようやく汗ばんできました。


歩きはじめは体の重かった変愚院も次第にいつもの調子を取り戻しました。奥ノ院への分岐を過ぎて最後の急坂を登ると、天理ダムからの林道に出会います。頭上を飛ぶ飛行機を見上げて「どこへ行くのかなあ」。


注連縄が張り巡らされた柳本竜王社の池の横を過ぎて、山頂の南城跡に登ります。


い山頂にはそれぞれ単独行らしい男性が3人先着されていました。天気が良過ぎてかえって遠くが霞んでいましたが、金剛・葛城から生駒山に続く山並みの下に大和平野が拡がる眺めは何度見ても飽き足りません。ベンチに腰を下ろして熱いコーヒーを飲んで15分休みました。




帰りは田(でん)竜王社の前を通って林道分岐から左へ柳本古墳群への道をとりました。
荒れた感じの林の中の急な階段道を下り、途中の分岐で右に折れて長岳寺奥ノ院へ。大きなお不動さんの前に、お正月らしくお餅や花が飾られていました。古墳群を通ると山辺道を帰るのが長くなるので、山腹を横切って登りの分岐へ戻りました。


午後になっても何人か登ってくる人に出会います。「滑りやすいから気をつけてください」と道を譲って下さった人もいました。14時25分、長岳寺に帰り山門から竜王山を背にした本堂の方に手を合わせました。風もなく穏やかな青空の下を楽しく歩けて、幸先良い今年の初山行になりました。


絵馬と縁起物

2014-01-06 13:08:52 | 今日の大和民俗公園

今年初めての日曜日。暖かかった三が日が終わり、冬の寒さが戻ってきました。

4日から再開した公園歩き…ただし朝の冷たさは老人にこたえますので10時近くになって家を出ます。寒々とした公園にツバキの赤だけが鮮やかです。


この日(5日)開館の奈良県立民族博物館に入りました。(以下の写真は撮影・BLOG公開許可を頂いています)
常設展の一部「農耕と暮らし」です。




2月2日までは「コーナー展」が行われています。




絵馬は「午歳」に因んだものに限らず、色んな絵柄や変わった形のものが展示されています。


どの絵馬にも人々の様々な願いや、その願いが叶ったお礼の喜びが表されていてとても興味深く観覧しました。


我が家の馬たち

2014-01-05 17:50:53 | 我が家の歳時記

新春恒例「我が家の馬たち」をご紹介します。まずは子供のアメリカ土産のマット?




奈良の馬たち。1は春日大社の授かりもの(
春日一刀彫)。2、3 は法隆寺の授かりものの土鈴。ご当地名産・赤膚焼です。4は手向山八幡宮の、5は.春日大社の絵馬


1は妻籠宿で、2は「甲斐駒」で山行の帰りに求めたもの、3は「秋田駒」です。


1は鵜戸神宮(宮崎)、3は馬篭宿(中仙道を歩いた時)で、2はどこで買ったか忘れました。


1.伊勢神宮の授かりもの、 2. 白馬登山の土産  3、登呂遺跡の土産 (下の二つは不明)


1.宮崎のシャンシャン馬っこ   2.桐原の藁馬   3.佐土原遺跡の土産

まだどこかに隠れていそうな気がしますが、この辺で…。


ようやく初詣で(2014.01.03)

2014-01-03 16:38:52 | 我が家の歳時記

穏やかで温かい三が日でした。今日は息子家族と私たち夫婦の6人で、堺の義父母へ新年の挨拶に行きました。
合計200歳の義父母に元気を貰って(孫たちはお年玉も頂いて)帰りに方違神社に初詣。

 

♀ペンの生家はすぐ近くで、私も結婚前後から何度も参拝した神社です。周辺の様変わりとともに、参拝客の多さにびっくりしました。以前はお正月でも静かな風景だったのですが…。