ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

私の関西百山(41) 湖南アルプス

2014-01-19 09:44:12 | 私の関西百山

41 湖南アルプス    

大津市の東南端から甲賀市(旧信楽町)に続く山域には500m級の山々が散在し、その花崗岩を露出した山容から湖南アルプスと呼ばれている。私たちの好きな山域の一つなので、あえて一纏めにしてリストアップする。

 

太神山(600m)
【たなかみやま】奈良時代から平安時代にかけては、都に邸や寺院の建築用材を切り出す大切な杣山であった。また田上の名の通り、農耕の水源の山として崇敬されてきた。

1970年代には枝のバス停から歩いたが、今はアルプス登山口までバスが通じている。ここからは天神川沿いに東海自然歩道を30分ほど歩くと迎不動がある。車ならここの駐車場まで入れるようになった。不動橋から山道らしくなり、七曲りの急坂を登る。道の両側に奇岩の連続する変化の多い地形となり泣不動に着く。稜線に出て矢筈ヶ岳への道を分けると、間もなく不動寺二尊門である。

「右しがらき道」(現在は廃道)という古い石の道標と木の門があり、その奥の対になった石の童子が微笑ましい。門をくぐると四十四丁の町石があり、ここから広い参詣道を登る。四十八丁でもう一つの山門をくぐり、折れ曲がった長い石段を登ると不動寺で、岩にのしかかるように作られた舞台作りの本堂が建っている。二等三角点の埋まる頂上はさらに石段を登った奥ノ院手前にある。下山は稜線に帰り北に向かう。林の中の八丁坂を下ると砂岩帯となり少し登ると天狗岩がある。

木曾駒のものよりずっと小型だが、鼻の形が高いだけこちらの方が天狗らしい。ここからの下りは、かってはブッシュの中だったが、今は全コースが東海自然歩道になっている。道は西に曲がり吉祥寺川の流れを何度か渡り返して、新免古墳群や磨崖仏をみて新免バス停に出る。(全行程約11km)


矢筈ヶ岳(562m)
【やはずがたけ】尖った双耳峰を矢筈(弓の弦をつがえる矢の尾部のくぼみ)に見たてた山名である。

上述の田上山の迎不動から富川道に入る。両岸には黒い岩がそそり立ち、清らかな流れに沿う気持ちのよい道を登ると御仏河原にでる。右をとると笹間ヶ岳への道である。左手の雑木林を登り稜線に出ると、やがて出合峠に着く。右に折れ急登10分ほどで失筈ヶ岳の頂上に立つが、狭い頂上は樹木に囲まれ、わずかに南西方が望めるだけである。太神山へは出合峠に戻り北へ向かう。ここからはかなり複雑な地形で、ルートファイティングに苦労した。最後に谷の源流のようなところを渡ると、間もなく二尊門に出た。


 

笹間ヶ岳 (433m)
【ささまがたけ】地元では権現山と呼ばれている。

登山口の上関近くにある新茂知神社に参拝して林道を進む。やがて深い翠緑を湛えた美しい池・図越池の横を通る。雑木林の中の緩い登りから、深く決られた溝状の登りを過ぎて尾根に出る。

1978年11月に子供たちも一緒に登った時は『尾根筋へ出て大きな岩のある展望の良いところで一服した。正面に立木観音の屋根が小さく望まれる。

ここから痩せ尾根を登り、最後は樹林帯の中、えぐられた道の急登となる。』と山日記に記している。
 1993年に来た時は林道や河川砂防工事中で各所に青いビニールシートが敷かれ、登山道も味気ない風景の中だった(この辺りの登山路の状況は現在かなり変化しているようだ)。笹原へ出てしばらくで笹間ヶ岳頂上である。



八幡岩という巨岩があり、登ると上は思ったより広く、反対側は20mはあろうかと思われる絶壁になっていて、眺望はすばらしい。琵琶湖大橋が遠く光り、宇治川の流れが帯のようだ。醍醐山、瀬田川、琵琶湖、遠く比叡、三上山、近くに堂山から太神山への稜線と期待通りの展望が楽しめた。稜線上の小さいピークをいくつも上下して、尾根から離れて沢筋を大谷河原に下る。ほぼ池塘が点在するほぼ平坦な湿地帯を行くと、御仏河原に出る。ここから出合峠までも尾根や谷の入り混じった分かり難い道だった。93年には御仏河原から天神川へ下り、堂山へ向かっている。

 笹間ヶ岳より

堂 山(384m)
迎不動から天神河原の流れを飛び石伝いに渡る。若女谷左岸の道をしばらく行くと鎧ダムの堰堤がある。その先で河原の奥まった処を左手の松林の中に入る。高原状の湿地帯を20分ほど行き、少し登ると見通しの良い尾根に出た。小さなピークがいくつも連続する露岩の多い尾根道を歩く。頂上直下のコルからいったん大きく下り、岩場を登ると頂上に着いた。大きな岩があり360度の展望である。下りは天神川ダムに向かって下る。露岩と低い松の尾根道で、やがて谷に向かって急降下するが、所々、道が不明瞭な所がある。沢に降りると何度か流れを渡り返し、時には徒渉を強いられたり、沢沿いの道を探したりしながらどんどん下って天神川ダムにでた。アルプス登山口までは数分の距離だった。この翌年には逆コースを歩いた
。 

 


私の登った「午」の山(6)

2014-01-19 08:53:34 | 山日記

馬ノ鞍峰(1,1781m)
(うまのくらみね)台高山脈主稜のうち、北半分の高見山から池小屋山までは良く歩かれているが、池小屋山から大台ケ原山への南半分は原生林と密生した笹薮が続き、道は踏み跡程度しかなく山小屋や避難小屋もないので、縦走する人は少ない。入山の困難な山が多い中で私たちにも取り付きやすい山が馬ノ鞍山である。

2007年5月、この山域をよく知るハチキンさんから誘ってもらい登った。入之波温泉を過ぎて三之公林道終点まで車で入る。

右に明神谷を見下ろしながらの緩い登りは小さな沢を渡ったり、ザレ場を越したりするが、桟道や丸木橋などでよく整備されている。明神滝への分岐を見送り、登山口から1時間ほどでカクシ平の三之公行宮跡に着いた。

三之公とは、北朝に神器を譲った後亀山天皇の曾孫にあたる尊義王、その子の尊秀王と忠義王の三人のことをいう。今でも不便なこの山奥でご不自由な生活を過ごされたと思うと、お気の毒でならない。小さな谷を何度か渡り、林の中の急斜面を登って馬ノ鞍峰から西に延びる尾根の上にでた。

木の間から白髭岳、弥次平峰を眺める。勾配が緩んで雑木林の中を行くと次第に痩せ尾根になった。見事なシャクナゲ林に入るが、まだツボミが固く残念だった。

その代わりにアケボノツツジの花が艶やかな彩りを見せてくれた。最後の急坂を登って二等三角点の埋まる山頂に立つ。

林に囲まれて展望はないが、長い間の念願だった山頂だけに満足感に浸った。少し下ったところで昼食を済ませて元の道を下る。

帰りはカクシ平で尊義親王のお墓にお詣りし、明神滝へ寄った。

滝は40mといわれる高さから一直線に落下している。これだけの高さを、岩壁に触れずに飛び出すように落ちる滝は、関西では珍しいのではないだろうか。

【参考コースタイム】林道終点09:15…明神滝分岐09:48…カクシ平1キロ道標10:03~10:13…カクシ平10:48…尾根に出る11:40~11:50…馬ノ鞍峰12:20~12:55…尾根下降点13:35…尊義親王墓所14:00…カクシ平1キロ道標(コーヒータイム)14:30~14:47…明神滝15:10~15:20…林道終点15:40

*「私の登った午の山」はこれで終わり、「私の関西百山」を再開します*