ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

闇の奥

2010-07-21 09:10:07 | 読書日記
辻原登著 文藝春秋社 2010.04.10 第一刷刊


第二次世界大戦末期、ボルネオで消息を絶った若い民俗学者がいた。彼・三上隆は世界
各地に残る「小人族」が実存することを信じ、また
『百万年の昔、天上から神が降下したもうたごとく、かの山巓から生きとし生けるもの
が東南アジアの島々へ、とりわけ二つの高山島、台湾島とボルネオ島に下ったのだ。
みな小さなヒマラヤなんだよ。』(友人への手紙)というように、ヒマラヤの造山活動、
いわゆる「ヒマラヤ褶曲」が、これらの土地に同じような環境を産んだと考えていた。

この本は、三上隆の生存を信じる人たちが、戦後、彼の足跡を追って捜索を続ける物語
で、6つの章から成り立っている。
序章に当たる「イタリアの秋の水仙1」(この章の名にも意味があるのだが…)で、
何故この物語が生まれたかが語られ、物語の輪郭が大まかな見取り図のように朧気なが
ら読者に示される。


キナバル山(4101m)

続く三つの章は、1982年(昭和57年)に第三次三上隆捜索隊がボルネオで彼の生存して
いた証を発見する話しである。
目的地はキナバル山から連なるクロッカー山脈を縫って流れるサバ州キナバンタン河の
源流域。ここで「矮人族(ネグリト)」が登場し、首狩族らしいということで物語は奇怪な
雰囲気を見せる。しかし、三上はすでにロマンティックな想い出を残して、この地を立ち
去っていた。


大塔山

次の章は1986年(昭和61年)、舞台は日本、しかも三上の生まれた和歌山県である。
第三次捜索隊員でもあった男が、友人二人を誘って大塔山系に分け入り、苦心の末に
「ネグリトの村」を発見する話。しかも、ここで三上隆が姿を現し、しばらくは東チベット
にいて「気がついたとき、ここにいたのです。」と語る。
しかし、これは語り手が「孫娘におとぎ話」をするつもりで書きためた資料でもあり、
どこまでが真実で、どの部分がファンタジーなのか分からない。

最後の章は再び「イタリアの秋の水仙2」で、これは2009年(平成21年)、つまり去年
の話し。すでに第三次捜索隊までの隊長・村上も、大塔村で小人族の村を発見したとい
う出水もすでに亡く、村上の息子と第三次の脇役で今や千葉大名誉教授の青木が東チベット
に出かける話しである。
三上が滞在していた村は東チベット・ミニヤコンカの麓で、その話はなんとダライ・ラマ
が語ったことで保証される。しかも、三上はダライラマのチベット脱出に一役買って
いたのだ!


ダライラマの夏の離宮・ノルブリンカ

村上の息子と青木がラサ暴動後の東チベットへ行く手段も傑作で、日本からの「マツタケ
狩りツァー」に便乗して、途中から抜け出す。
ここで登場する同じツァーの一員、実はチベット人の中年女性がとても魅力的だ。

この本は実在の山や人物が登場し、かの「和歌山のカレー」事件や「ダライラマのチベット
脱出」事件も、構成上、重要な役割を果たしている。現実と夢想が交錯する不思議な物語
世界に読者を誘い込むこの小説は、「文学界」に連載されていた文芸書ながら、非常に
面白く読み終えた。

南方熊楠を始め、この本にも登場する岡潔など、和歌山県には天才奇才を産む土壌があ
るのだろうか?この本の主人公・三上隆同様、作者も和歌山県人である。