ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

トルコ日記(13)

2010-07-06 06:00:00 | 旅日記
6月17日(木) トロイ
アイワルクの夜は、ホテルのエアコンの効きが悪く寝不足気味でした。7時20分出発。
バスの中でうつらうつらしながらトロイに向かいます。今日も曲がりくねった山道から海水
浴場のあるエーゲ海に出て、160km2時間半ほどでトロイに着きました。ダーダネルス海峡
を隔てて向かい側はヨーロッパです。
 トロイと言えばシュリーマンの発掘物語、その夢をかきたてたホメロスのイーリアス、
それを題材にした映画「トロイのヘレン」(美女ヘレンに扮したのロッサナ・ポデスタが
妖艶だった…)が頭に浮かびます。



遺跡に着くと、「トロイ戦争」で有名な木馬が真っ先に目に飛び込みます。



遺跡巡りの前のトイレタイムに、さっそく♀ペンが大急ぎで登ってみました。



遺跡は、いろいろな時代の町が重なって残っていて、全体で九つの層(古い時代から1~9
(ローマ数字)の「市」として区分)から成り立っています。つまり、一つの時代の町が亡びた
後に次の時代の町が建てられ、その町が滅んでまた次の町が…という長い時代を経た
遺跡なのです。
順路が決まっていて、まずこの4市東側の塔と城壁から見学します。右奥の人物の見える
ところが城門です。



城壁。トロイ戦争についての説明を聞きます。この上から大石を落としたり、油を流して
火をつけたりしました。
オカンはサカンに「皆さん、トロイには失望する人が多いです。(残された僅かな遺物から
当時の状況を)想像して下さい」と繰り返します。私は楠正成の千早城の戦いを思い出しま
した。



石垣の間に野の花が咲いて「つわものどもの夢の跡」を偲ばせます。



ここはエーゲ海を望む遺跡の北東の隅です。当時はこの辺りまで海岸線が迫っていました。



2市後期の城壁



シュリーマンが黄金の財宝を掘り当てた2市の溝。シュリーマンの発掘は財宝目当ての
荒っぽい方法で、しかも埋蔵物の殆どを自国に持ち帰ったことで、トルコ人には評判が
悪いとオカンはいいます。しかし、トロイが実在したことを世界に知らせた彼の功績は
認めなければならないとも言っていました。





いくつもの時代の層が重なっていることが良く分かる個所です。



2市正面の門に続く石畳の傾斜路



これはトロイのもっとも新しい時代(B.C1200~)、トロイ戦争後荒廃した市をギリシャ人
入植者が城塞都市として再建、さらにB.C85年ローマの侵攻で炎上した後、ローマ人によって
復興した頃の遺跡です。(5世紀の地震で市は最終的に放棄されました)
「聖域」と呼ばれ、神殿や生贄の獣を捧げた祭壇跡が見られます。



アデイオン(屋根つきの小劇場)



掘り出された石材が並ぶ通りを出口に進みます。



この小さな建物が資料展示室。



壁に地図や写真が張ってある他は、ここにある遺物は貧弱なものです。シュリーマンの妻が
発掘物の黄金のヘアバンドやネックレスで身を飾った写真を見ると、トルコ人が彼を嫌うの
が分る気がします。
昨日見たエフェソスに比べると見所は少ないのですが、歴史の重みを想像によって掻き立て
られたトロイの遺跡でした。