ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

トルコ日記(1)

2010-06-23 11:26:45 | 旅日記
アンカラからカッパドキアへ

6月13日(日)
5時15分ドーハ着。乗り継ぎに1時間半ほど費やして、



昼前にトルコ共和国の首都アンカラに着きました。空港で入管手続きを終え、両替も
済ませて外に出るとムッとする暑さが身体を包みます。それでも標高850mの高さに
あるアンカラは過ごしやすい方で、明日からはまだまだ暑くなるということで先が思い
やられます。



バスに乗り込みます。現地スルーガイドは OKAN OZKAN という名前で、自分でも「”おかん”
は日本語でお母さんのことなのに、自分は男でおかしい」というようなことを話していました。
今日はアンカラから南東に300キロ離れたカッパドキアへ4時間を越えるバスの旅です。



空港を出てしばらく走ると、建設中のカラフルな高層住宅がたち並ぶ郊外から



バスはアンカラ市内に入ります。アンカラはトルコ共和国建国の父・アタチュルク(ムスターファ・
ケマル)によって、旧弊を排するためにあえてイスタンブールを排して首都に定められました。
オカンの話しを聞いていて、明治維新で都が京都から東京に移ったことを連想しました。
為政者が変わるときには、世界中どこにでもあったことなのでしょう。
また、「アンカラ」は「アンゴラ」から来ているとのことで、アンゴラはウサギではなくこの
地方に有名なヒツジの種類だそうです。
この街の見学は最終日の楽しみにして、名物の渋滞を抜けてハイウェイに乗ります。



一直線に伸びる道路の両側に、広々としたトルコの大地が拡がります。
トルコの面積は日本の二倍もあり、そこに住む人々は日本の半数に過ぎません。
また国旗やヒッタイト、ペルシャ、セルジュク、オスマンからトルコ共和国に至る長い歴史、
簡単なトルコ語の挨拶など、オカン先生の講義は、この道のように延々と続きます。



やがて大きな湖に沿って走るようになりました。岸辺に白く光るのは塩の結晶です。
トゥズ湖(トルコ語で塩湖の意味)はトルコで二番目に大きい湖で水深は1~2m、普段は
1500平方キロmの広さがあります。極端に塩分が高いので、夏の間に湖の水の多くが干上がる
と平均30 cmの塩の層が現れます。
今はまだ時期が早いので、湖岸近くだけに白い色が見えていました。



ここでトイレ休憩を兼ねて下車。トイレは殆どが有料制で0.5~1トルコリラを支払います。
飲み水はバスの運転手が車に用意していて、一本50クルシ(0.5トルコリラTL)で分けてくれ
ます。店で買うよりも安い値段です。

湖の畔を散歩しました。遠くから見ると、裾をヒザまでたくしあげた人たちが湖のかなり遠く
まで歩いています。遠浅とはいえちょっと驚きましたが、近くに寄ってみるとこのように踏み
石が続いているのです。
イエス・キリストが湖上を歩いた奇蹟で人々を驚かせたガラリア湖にも、ひょっとすると
こんな仕掛けがあったのではないか…と変愚院は罰当りな想像をしました。



少し湖上を歩いた♀ペンが手に塩の結晶を掬い取って帰ってきました。



これがその塩です。湖畔には製塩所が三つあり、トルコ国内の塩の70%がここで生産される
そうです。



湖畔を離れてアクサライで東に折れ、バスは再び広大な平野部を走ります。
この辺り中部アナトリア地方は豊かな穀倉地帯で、小麦やライ麦を主にした農業が盛んな
ところです。黄金色のライ麦畑やナタネ畑の中にポプラの木が立ち、その間をまっ直ぐに
道路が延びる…ところどころで牛や馬や羊が放牧されている…北海道の風景をさらに大きく
したような車窓の眺めでした。「トルコは他国に頼らぬ自給自足経済の国です」とオカンも
誇らしげでした。

やがて修復中のサライ(隊商宿)が見えてきました。ここにはシルクロードが通っていたの
です。またしても「雑誌サライのシンボルマークはラクダだったなあ」と連想しました。
じっと座ってボンヤリ走り過ぎる景色を眺めるだけなので、ついつまらないことを考えて
しまいます。



ようやくカッパドキアが近付いてきました。写真中央にシンボルのオルタヒサールが見えます。
一口にカッパドキアといってもその範囲は東西20キロ、南北40キロにも及ぶ広大な範囲です。
カッパドキア地方と言っていいでしょう。ホテルまでの間にも、いろいろな奇岩地帯を見て、
明日の予備知識を得ることができました。



今宵の宿。ユルギュップという町にあります。



ホテルでの夕食。ビュッフェ形式だったので色んな料理を「カルシュク」(ミックス)に盛り
合わせてみました。



二階ロビーで。明日も良い天気のようで楽しい観光が期待できそうです。