ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

しまなみ海道・生口島(2011.10.27)

2011-10-30 15:55:27 | 旅日記

雲一つない青空の下、8時過ぎ尾道のホテルを出た車は生口島へ。尾道大橋を渡ります。
対岸の向島は思いの外に大きい島です。市民センターや高校、ショッピングセンターなどを見ながら向島ICから「しまなみ海道」に入ります。因島大橋を渡ると村上水軍で名高い因島。ミカン畑の見える丘陵地を走り抜け、生口橋を渡ると「しまなみ海道」の真ん中、生口島です。

何十年も昔、「しまなみ海道」(正しくは本州四国連絡道尾道今治ルート、西瀬戸自動車道)が一本につながっていない頃に、いくつかの島を訪れたことがあります。橋のあるところは貸自転車で、また自転車ごと漁船にも乗せて貰っての旅でした。今は1時間もかからず生口島に到着。

車を耕三寺駐車場に入れて、まず平山郁夫美術館の見学です。 9時の開館時間までコーヒーでも飲もうかと辺りを歩きましたが、立派な商店街はできていたものの喫茶店は見つからず、コーヒーは館内で頂きました。

平山郁夫さんは、1930年、この生口島で生まれ、豊かな瀬戸内の自然の中で少年期を過ごしました。10歳の時の絵、小学4年生当時の絵日記、中学生時代のスケッチや武者絵から最近の大作に至るまで、数々の作品をじっくり鑑賞しました。この美術館の特徴は、大下絵と言われる作品制作過程の原画も展示されていることです。

「慕わしきバーミアン」と「バーミアンからの平和の思い」の構成で、昭和40年代の平和と大石仏破壊後の惨状を対比させた特別展も見応えがありました。数々の展示の中で、このパンフレットの「三聖人平和の祈り」(キリスト、釈迦、マホメット)、金色の背景に黒い影絵の「求法高僧東帰図」、一面が炎の赤で描かれた中に不動明王がかっと目を見開いて立っている「広島生変図」が特に強く印象に残っています。

1時間を超す絵画鑑賞に疲れて、美しい庭園の緑で目を休めました。(ケイタイで撮影)

次は耕三寺です。今や「西の日光」と呼ばれる有名な観光地ですが、「潮聲山」という山号を持つ、れっきとした浄土真宗のお寺です。生口島出身の金本福松という人が、大阪で苦労した挙句に事業(特殊鋼管製造)に成功し、昭和初期から長い年月をかけて建立しました。

お堂や塔は全て日本各地の建築物を模して建てられていて、この「中門」は法隆寺の中門を模しています。

四天王寺金堂を模した法宝蔵。内部は近代美術展示館となっています。
この左には室生寺のものを模した五重塔があります。

「西の日光(東照宮)」と呼ばれる所以になった「孝養門」。
福松は母の没後、出家して僧侶となり耕三と名乗り、耕三寺の建築に着手しましたが、母が生前に行けなかった日光東照宮の陽明門を供養のために模して作った門です。 

 

本堂 。宇治の平等院鳳凰堂を模したもの。東翼楼には奈良・興福寺から移された釈迦如来坐像(重文)が安置されています。
左の大観音像はコンクリートと漆喰で作られた高さ15mの救世観音です。
このあと、岩山の地下に掘られた350mの「千仏洞地獄峡」巡りをして「未来心の丘」へ。

海を見下ろす高台に広がる5,000平方mの白い大理石の庭園です。



彫刻家の杭谷一東がイタリア産の大理石を使って設計・製作したもので、庭園全体が広大な芸術作品になっています。

 

最上部の「光明の塔」

いったん出口をでて道を隔ててた浄土苑へ。建物は金剛館。ここにも快慶作の重文・宝冠阿弥陀如来坐像をはじめ様々な仏教美術品が展示されています。耕三寺を出ると、ちょうど正午。駐車場横で甘いミカンを買って車に帰りました。

昼を過ぎても雲一つない紺碧の空と波静かな瀬戸内の海を眺めながら向島に着きました。朝とは違う道を通って…

尾道渡船(フェリー)に乗りました。車は数台で満車。自転車や人も乗り込みます。NHKの連ドラ「てっぱん」に登場したあのフェリーです。料金は車両運賃込みで一人140円した。

出港すると対岸の千光寺山がぐんぐん近づきます。千光寺の玉の岩(天辺に玉が見えます)やビルの間に天寧寺の塔が緑の山肌を背に鮮やかです。デッキに出る間もない数分間の船の旅でした。

もと魚屋さんの経営する綺麗なレストランで昼食後、お菓子屋さんや海産物のお店で買い物して新尾道駅まで送ってもらいました。自宅で採れたという柿、黒豆、キウィなど、どっしり重いお土産まで頂いて、来年の再会を約して別れを惜しみました。

下見までしてくれた旧友の暖かいもてなしに、ただ感謝するばかりの快晴に恵まれた尾道の旅でした。