ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

遅咲きの月下美人(2011.10.21)

2011-10-21 21:46:21 | 矢田だより

秋も深まった今頃になって、また月下美人が咲きだしました。
一昨夜に一輪咲いたのは見逃しましたが、昨20日夜、♀ペンが寝る前に香りに気付いて撮ったのがこの写真です。

今夜は二輪揃って開きました。いつもより少し小ぶりで香りもやや薄いようですが、この時期に咲くのは珍しいと思います。

 


二上山(2011.10.19)

2011-10-21 09:52:17 | 山日記

<登 山 日> 2011年10月19日   <メンバー> ♀ペンと
<コースタイム>道の駅ふたかみパーク当麻07:45…二上神社07:55~08:00…分岐点ベンチ08:22~09:25…雄岳09:00…馬の背09:10…雌岳09:23~09:40…馬の背09:45…下山路入口09:50…244.8m四等三角点10:28…二上山ふるさと公園10:54…道の駅11:00

まだ車の数もまばらな道の駅に車を入れる。真っ青な空の下にくっきりと浮かび上がる雄岳を見ながら、北に歩く。700mほどで二上神社口駅から登ってくるT字路になり、左手の溜池下の角を曲がりこむように西に折れる。春は池堤にサクラが美しい道である。200mほどで二上神社に着く。

一般に二上神社と呼ばれるこの社は、石柱に見えるように三つの神社の総称である。正面石段左の手水舎にその説明板が掲げられている。ちょっと長いが原文のまま写しておく。

葛木 二上神社(かつらきふたかみじんじゃ)
祭神 豊布都霊神(又の名 建御雷神)   大国御魂神
 豊布都霊神又の名を建御雷神と申して大国主命と国譲りの談合の結果、その御子、建御名方神と海辺で力比べの相撲を取り、この難問を解決された神で、この相撲は日本の名勝負の第一に挙げられています。現在武道体育の神として祀られています。
 大国御魂神は建速佐男神の御孫で非常に温和な神で、もっぱら富国に努力され、星祭の神つまり厄除けの神として祭られています。この二神を総じて、文と武の神、縁結びの神として、あがめられています。

葛木 倭文座天羽雷命神社(かつらきしとりにいますあめのはいかずちのみことじんじゃ)
祭神 倭文之祖 天羽雷命
天羽雷命は、古書によると、天照大神の荒衣和衣の御衣を織り、天孫降臨の時、御衣織として共に降臨、機織りの術を授けられた神です。
 伊勢、駿河、伊豆、甲斐、近江、上野、丹後、但馬、因幡、伯耆、などの国々に祭られているが、その根本の神と言はれてきた。倭文は文布で、子孫も倭文氏とし、諸国に機織と裁縫の術を伝へた。

加守(掃守)神社(かむもりじんじゃ)
祭神 掃守の祖、天忍人命(産育の祖)
 古語拾遺に、神武天皇の御父、鵜草葺不合命の生まれます時、海辺に宮室(産室)を建て、箒を作り蟹を掃う、これを以て蟹守と言ふ。中古、掃部の職は、この神より出たものです。蟹守、加守は祓いの意であり、この氏族は機織とともに全国に散在している。 

参拝をすませて神社の横の坂を登り、イノシシ除けの柵の扉を開いて登山道に入る。すぐに薄暗い樹林帯の中、急な木の階段道が続く。いったん緩まった勾配がまた強まり、次第に汗ばんでくる頃、二上山駅からくる道と合流してベンチがいくつかある。ちょっと一息いれる。

しばらく緩やかな登り道を行く。右に大きくカーブする地点から丸太の階段、続いて左に曲がると岩交じりの急な登りになる。一か所、鉄梯子も付けられている。尾根にでるとなだらかな傾斜になり、最後ひと登りで大津皇子墓所、そのすぐ先が神社がある雄岳頂上である。一昨日、竜王山に登った後なので、今日は本当に楽に登ってきた。

2月に来たときは人で一杯だった頂上には、軽装の若い男性が独りいただけだった。サクラの葉が色づき、ススキが風に揺れている。参拝をすませて休まずに馬ノ背に下る。昔はゴロゴロの嫌な下り道だったが、今はずっときれいに整備されて楽になった。馬ノ背も、登り返した雌岳も無人で、気味悪いほど静かだった。

山頂の日時計の針が射している10時までは、まだ40分ほどある。コーヒーを飲んで休んでいると、軽装の人が一人、しばらくしてまた一人登ってくる。10数分を過ごして腰を上げる。いつもは岩屋峠へサザンカの道を下るのだが、今日は前から気になっていた、馬ノ背と雄岳の間から道の駅へのルートを下ることにした。

万葉の森周辺はコウヤボウキやシロヤマギク、ヨメナなどの白い花が多かったが、途中で馬ノ背へ出るとアザミの花が満開だった。

馬の背から5分ほど雄岳の方に登ると、右手にちょっとした岩場があり、白い塗料で「当麻道エキ」の文字と矢印が記されている。

 

岩場は一登りで終わり、美しく紅葉した木の下から林の中に、しっかりした登山道が続いている。

下りに入って数分足らずでこんな標識があった。この後、「であい坂、ひと息坂、ながめ坂」はどの辺りかと思いながら歩いたが、よく分からなかった。よく知られた名なのか、この標識を付けた人の命名か、それも分からない。

標識のところから右へ折れると、間もなく南側の展望が開ける場所に出た。小さなベンチが置かれている。前の木の枝が邪魔だが、金剛・葛城と雌岳の眺めがよい。ここから再び林の中に入り、急な下りになるのが「であい坂」かも知れない。

私たちは初めてだったが、この道はかなり多くの人に歩かれているようだ。土を階段状に掘り下げたり、水の流れる溝を作ったり、太い竹で手すりを付けたりと、よく整備されていて歩きやすい。この坂を下ると左にカーブしてなだらかに山腹を捲いていく。右手から冷たい風が吹き上げてきて心地よい。 ずっと木陰で夏も涼しく歩けそうだ。この道に入ってから登ってくる3人の人に出会った。下り坂になり後から追ってきた人に道を譲ったが、すぐ先にあるベンチで休んでいたので再び先にいく。ここは「ひといき坂」だろうか。(「一息入れる」のか、「あと一息」か?)ここは少し開けた鞍部状になっていて、鎌を持った人が一人黙々と笹を刈っていた。この人たちのお蔭で楽に歩かせて貰えることに心中で感謝しながら通過する。

ここから短い登りになる。コンクリートブロックで保護された四等三角点があった。地図の244.8m地点である。ここからも小さなアップダウンがある。林の中で見通しが悪く分岐する踏み跡も増えたが、かねて「アップダウンがある」と聞いていたので、一番よく歩かれていそうな稜線を忠実に歩く。

最後に少し長い登り(といっても標高差30~40m?)があって絶好の見晴らし台にでた。青空の下に雄岳と雌岳が並んで見送ってくれている。暗い林の中をちょっと下って、登り返すと広いT字路にでた。標識があり、「ふるさと公園」の上部にでたことが分かる。石段途中(276段目)の合流点まで下る。上を見ると展望台があり、二人の人影が手を振っている。先のT字路はこの展望台へ続いているようだ。下を見ると石段が延々と続いている。膝を悪化させるのを懸念して「らくらくコース」を下ることにした。

公園の入り口にもイノシシ除けの柵があり、扉を開けて公園に入る。下山路入口からノンストップで70分かかった。大阪側、奈良側からと何度も登っている二上山だが、この初めての下山路は変化があって面白かった。次は登りに使ってみようかと話し合いながら道の駅に帰った。