ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

尾道散策(2011.10.26)

2011-10-28 13:50:22 | 旅日記

32年前にヨーロッパを訪ねた友人2人と尾道を訪ねました。新尾道駅へ車で迎えに来てくれたのは、この町生まれで今は大阪と生家を行き来している、昔の仲間。彼の案内で二日間、秋の尾道の旅を楽しんできました。

26日、まず尾道ラーメンの有名店「東珍康(とんちんかん)」で昼食後、ホテルに車を置いて千光寺へ。
正面に見えるのが千光寺山。鳥居奥に見える艮神社の参道右側にロープウェイ乗り場、さすが有名なラーメンの町だけあって、ここにも尾道ラーメンの店があります。

ロープウェイは満員でしたが、たったの3分の辛抱で山頂に着きます。頂上展望台からの眺め。
尾道水道を挟んですぐ目の前が向島です。

ここから約1キロ、千光寺まで「文学のこみち」を下ります。道沿いに、尾道ゆかりの作家や・詩人の作品が自然石に刻まれた文学碑25基が立っています。

正岡子規の句碑。「のどかさや 小山つゞきに 塔二つ」
二つの塔は、西国寺三重塔と天寧寺海雲塔のことといいます。

金田一京助歌碑 「かげとものをのみちの やどのこよなきに たびのつかれを わすれていこへり」

林芙美子文学碑。有名な放浪記の一節が刻まれています。
『放浪記  林芙美子
 海が見えた   海が見える
 五年振りに見る尾道の海はなつかしい。 汽車が尾道の海にさしかヽると
 煤けた小さい町の屋根が 提灯のやうに拡がって来る。
 赤い千光寺の塔が見える。  山は爽やかな若葉だ。 
 緑色の海、向うにドックの赤い船が、帆柱を空に突きさしている。
 私は涙があふれてきた。』

天気が良すぎて、松の影が濃いのが残念です。千光寺山(144.2m)の八合目あたりから古寺・千光寺の境内になります。

千光寺は空海が開祖で多田満仲が中興したと伝えられている真言宗の古いお寺。「文学のこみち」から来ると裏門をくぐります。
とまず出会うのが鏡岩です。境内中央にある「玉の岩」と関連の深い岩で、昔はその宝珠や日、月の光を鏡のように反射させていたと伝えられています。

続いて光明真言、大日如来真言の梵字が彫られた梵字岩。ここから大師堂の前を左に折れて小さい門をくぐります。

除夜の鐘で有名な竜宮造りの鐘楼。もともとは元禄初年より「時の鐘」として朝夕に時を告げていました。
俚謡にも「音に名高い千光寺の鐘は一里聞こえて二里響く」と歌われています。

鐘楼裏手からの大展望。尾道水道にかかる新旧二本の尾道大橋(手前が新尾道大橋)の左の山は、浄土寺山(178.8m)。その右山裾に浄土寺があります。

玉の岩(または烏帽子岩) 高さ、幅ともに約15m。
昔、この岩の上に如意宝珠があって「夜ごと海上を照らしていたが、異国人に刳り抜かれ奪い取られた」という言い伝えがあります。
しかし大師堂売店の小父さんによると、今も夜には三色に光り輝くそうです。

この角度から見ると、小父さんの言葉がウソではないことが分かります。

朱塗り、舞台作りの本堂。本尊千手観音菩薩が須弥壇に安置されています。
本堂裏には「くさり山」があり、「石鎚山」の標識もありました。千光寺の鎮守は熊野権現と石鎚山蔵王権現なのです。ここにも本地垂迹思想がうかがえます。岩の下まで行ってみると大きな鎖が下がっていました。石鎚山を思い出して登りたくはありましたが、今回は他の人の手前自重しました。

これで千光寺の参拝を終わり、次は浄土寺に向かいます。