ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

大詔奉戴日(12月8日)

2009-12-08 09:04:50 | 読書日記
「たいしょうほうたいび」…昭和17年から19年までの僅か3年間、
この日は「太平洋戦争」が始まった日として重要な日付でした。
大詔とは「天佑を保有し、万世一系の皇祚を践める大日本帝国
天皇は…」で始まる対米英開戦詔書のことです。
(「テンユウをホユウし、バンセイイッケイのコウソをフめる…」
の文言は何時の間にか暗記していました)

当時、私は国民学校1年生でした。
ちなみに国民学校制度は、私の入学した昭和16年(1941)から政令
によって制度化され、これまでの尋常小学校や尋常高等小学校が
すべてこの名前に変わったのです。

1941年12月8日は、大阪も寒い冬晴れの日でした。
朝早くラジオが「帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋において米英
軍と戦闘状態に入れり」という「大本営発表」を伝えました。
(この文句は有名になった後から覚えたのかも知れません。)
親父が「とうとうやったか!」と妙に興奮していたのを覚えています。
学校の帰りには、新聞販売店の前に号外が張り出されていました。
いわゆる「ハワイ真珠湾攻撃」による当初だけの大勝利の始まりです。
子供心にも「勝った!勝った!」と有頂天でしたが、この頃のたいてい
の人がそういう気持ちだったのではないでしょうか?

突如、まずメロディーがそして歌詞が思い出されました。
「見よショウトウ(檣頭?)に高らかに Z旗高く翻る 時こそ来たれ令一下
 ああ 十二月八日朝 星条旗まず倒れたり 巨艦裂けたり砕けたり」

間違っている可能性大で題名も忘れましたが、今頃また浮かんでくるとは
なんと恐ろしいこと…。



この本を読んで、オビに書いてある「国民的熱狂」という文字が
とても重く感じられます。後からでは何とでもいえますが、当時は
文化人もマスコミも殆どの人が「戦争に熱狂していた」していて、
庶民は否応なくその雰囲気や渦の中に巻き込まれていったのでしょう。

今、「戦後編」を読んでいますが、終戦は私の小学校5年生の時、
そして卒業すると新制中学校第1期生です。(最も小学高等科の先輩
がすでに2.3年生としておりましたが)
あの頃の想い出は、ただただ「ひもじかった」の一語につきます。
「昭和史」を読むと、日本中が飢餓状態だったことがよく分かります。

あの戦争のために失ったものは、国家も個人も実に大きなものでした。
今日は8月15日とは違った意味で、これからは二度と馬鹿な戦争をしない、
平和な国家であり続けることを祈る日でありたいと思います。