goo blog サービス終了のお知らせ 

ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

春寒・松尾山 (2012.02.09)

2012-02-09 17:06:45 | 矢田だより


よく晴れていますが風の冷たい朝。9時半、法起寺横の斑鳩町営駐車場をスタート。寒々した田園風景の中をまず法隆寺の方へ向かいます。左手には墓地の上に中宮寺宮址の森が見えます。現在の中宮寺より東に500mほど離れたここが元中宮寺のあったところです。



右側にも大きな墓地が見え、その手前の池で水鳥たちが身を寄せ合っています。町営斎場の角を右に折れて斑鳩神社を左に見て法隆寺から来る道に合流。ここからまた右折して広い道を山に向かって登ります。風が強くなりヤッケのフードを被りました。池の手前で車道を離れ、ゴルフ場を抜ける道(法隆寺CC)に入ります。池の堤の下辺りに車が何台か置いてありますが、毎日登山の方のもののようです。



ここからが山道(昔の町石道)の始まり。松尾寺まで1.2kmの標識があります。町石は「十一丁」。左の道を登ります。早や、下りてきた毎日登山の方に出会いました。矢田寺と違って、いつ来ても大勢の人が行き来している矢田丘陵では人気の道です。(9時50分)

急坂やなだらかな道を何度か繰り返すうちに汗ばんできたので、ヤッケを腰に巻きました。20分ほどで松尾寺の山門をくぐり、手水を使って本堂にお参り。境内を通り抜けて休まずにそのまま三重塔の石段へ。



ロウバイの黄と南天の赤が鮮やかです。塔の前を左に折れると急に静かな山道になります。



林の中を三度ほど折り返して切通しに出ます。この辺りの地層が松尾山断層を示していると聞いたことがあります。道標(近畿自然歩道)の見えるところをまっすぐ下ると白石畑に出ます。松尾山へは右へ。更に登ります。もとは「行者峰入道」の表示があった道ですが、いつの間にか標識がなくなりました。



尾根道をしばらく上下して広い舗装路に出ます。頭上にTV塔を見上げながら最後の急坂を上ると、松尾山電波中継所の前に出ます。三角点はぐるりと回り込んだ西北の雑木林の中。まったくの無展望です。(10時30分)



下りは広い舗装路を下ると10分足らずで山門、さらにこの南門を通過。



どんどん元の道を下って11時20分、駐車場に帰りました。帰りは風も止み、どことなく春の気配を感じるのどかな風景でした。

立春の矢田丘陵(1212.02.04)

2012-02-04 17:43:07 | 矢田だより


各地で最低気温を更新した節分の昨日から、一夜明けた今日は次第に良いお天気になりました。
10時10分、北横山のお地蔵さんに手を合わせてスタート。今日はいつもとは逆回りで東明寺の方に向かいます。大池の下では少しだけ雪が残っていました。



10時25分、東明寺。鐘楼の陰にだけ雪が残っていました。
落ち葉に埋もれた道を登って、10時35分、「こどもの森」への分岐。いつもは、ここから左へ折れて「緑ヶ丘休憩所」の前の急坂を上って矢田山の尾根に出るのですが、急に思い立って「こどもの森」へ降りてみることにしました。芝生の広場には犬を遊ばす人がひとり。静かな土曜日でした。



二つある峠池の間の堤を歩きます。左側の上池には氷の上に積もった雪が美しい模様をつくり、



日当たりがよく氷の溶けた下池では水鳥がたくさん遊んでいました。(10時45分)
「こども交流館」の前にはマウンティンバイクの若者が二人。裏に通り抜けて尾根道を登り返します。



少し気温が上がって汗ばむほどになり、ジャケットを脱ぎました。気持ちの良い森林浴の道です。



「小笹の辻」から久しぶりに矢田山三角点に登ってみました。(11時17分)



「まほろば展望所」から東方の眺め。28日に山焼きの済んだ若草山が黒っぽく見えます。気温は予想外に暖かく2℃ありました。標点に行った後(11時30分)、大石のほうへ降りようと展望台に行ってみました。
しっかりした山支度の先着の男女…なんとなく見覚えのある後姿に♀ペンが声をあげました。



なんと日本山岳会在籍中は何かとお世話になった関西支部長の重廣恒夫さんと、この人とも何度か山行を共にしたMさんでした。ご一緒に展望台に登りました。
 重廣さんは73年、エベレスト南西壁の世界最高点到達。77年、日本人初のK2初登頂。80年、北壁からの新ルートでチョモランマ(エベレスト)登頂。88年、日本・中国・ネパールのチョモランマ交差縦走の登攀隊長…と数々の記録を打ち立てた日本を代表する実力派アルピニストです。
 こんなところで思いがけず何年ぶりかの再会に驚きました。聞くと『 Challenge 4000 (日本全国4000山踏破)計画の一環で、この辺りではここ矢田山がまだなので来てみた』ということでした。



松尾山から来られて東生駒まで歩かれるとのことで、予定を変更してご一緒することにして元の道を帰ります。これは今日二度目の最高所。このあと、もう一度三角点にも登りました。重廣さんは「これで1,381山目。4000山まで、まだまだですよ」と笑っておられましたが、本当に凄いチャレンジです。

最近のJACの様子や、昔の仲間の現況、私たちの最近の状況などをお話ししながら「子ども交流館」までご一緒して、「また、どこかの山で…」と差し出された手を握ってお別れしました。(12時25分)



東明寺からポカポカと春近しを思わせる陽射しを背中に浴びながら元の駐車場所に帰ると、ジャスト13時でした。休みなしで3時間近く、歩数計の数字は13,618になりました。思いがけない出会いもあり充実した楽しい山歩きでした。

この一週間

2012-01-27 18:05:34 | 矢田だより
1月20日(金)夜、診療所で定期健診。尿に糖が出ているが許容範囲。先月の血液検査も異常なし。待合にマスク姿の急患が多い。風邪を移されそう。傘さしてヘッドランプ点けて田圃道を帰る。

1月21日(土)SRCのボタン鍋例会。上六で拾って貰って阪神高速を飛ばして1時間で丹波篠山渓谷の森公園(猪村の近く)へ。新鮮な猪肉でビール、焼酎、ワインなどで適当に飲んで騒いで23時、就寝。

1月22日(日)晴れたり曇ったり。能勢町の竜王山~牛の子山、チンジンさんと巡って5時間余り歩く。久しぶりのグループ山行で楽しかった。カメラを忘れたので写真はタラちゃんに頼んだ。道の駅でトイレ休憩後、帰りも上六まで送って貰う。お蔭で明るいうちに帰れた。朝、昨夜の鍋の残りの雑炊。昼、オニギリ。夜、寿司をたらふく食い、焼酎一杯。

1月23日(月)曇り。遅くまで寝る。昼前、迎えのバスに乗って奈良・春日野荘での町内の飲み会へ。風邪のせいか会席料理はあまり旨くなかった。酒も少なめ。カラオケはしっかり歌った。17時過ぎ帰って、お茶を飲んで寝てしまう。

1月24日(火)晴れたり曇ったり。24時間のうち、食事の4時間を除くと約20時間寝ていた。緑内障のおかげで風邪薬が飲めないのが辛い。夜、起き出して10時までメールをしたり、TVを見たり。朝、雑炊。昼、肉うどん。夜、おでん。焼酎もうまくない。

1月25日(水)朝飯を喰ってまた布団に入ったが、流石にもう眠れず。横になっている。「黒猫の遊歩あるいは美学講義」を読み始めた。一風変わったペダンティックな推理小説。朝、パン。昼、うどん。夜、フライと昨日の残りのおでん。焼酎一杯。

1月26日(木)晴れたり曇ったり一時雪。寒。昨夜はついに寝足りたのか朝4時まで一睡もできなかった。親孝行に行く♀ペンを送り、帰ってずっとコタツでPC。日記を書き、写真を整理。昼飯(インスタントのカレーうどんに焼き餅二個入れる)を喰って昼寝1時間。♀ペンを迎えに行き、夕飯に鴨鍋、焼酎2杯。雑炊たらふく。久しぶりに旨いと感じた。まだ痰は出るが、ようやく風邪終息か?

1月27日(金)8時起床。朝飯を喰ったあと昼までBLOG作成。チャーシューメンを喰って昼寝1時間。5日ぶりに入浴。夕食、牛シャブ。焼酎二杯。とにかく栄養のあるものを喰って寝るに限る。しかし、ボツボツ山の虫が蠢きだした。

*そんな訳で、一週間更新できずご心配をかけました。お問い合わせまで頂き感謝です。また、よろしくご愛読ください*

こおりやまさんちの金魚

2012-01-19 11:13:27 | 矢田だより
昨日、郡山散歩の途中、朝日町の洋菓子店・パルファンで買ったお菓子です。



このお店は古くからシュークリームなどで有名ですが、去年、「一果 ichika 」シリーズのひとつとして、郡山特産の金魚を象ったマカロンを売り出しました。金魚形二つ、丸い普通のマカロン三つの他に別の焼き菓子1個がセットになって箱に入っています。

マカロンはフランスを代表する焼き菓子ですが、このマカロンに使われているジャムは、これも大和郡山(片桐地区)特産のイチジクのジャムです。

このパルファン(有限会社)の代表・五條さんは、昨年の台風12号の被害でまだ仮校舎で授業を受けている、五條市大塔町の保育所、小学校、中学校に、12月2日に「一足早いクリスマス・プレゼント」を贈呈しました。奈良新聞によると、届けられたのは直径28センチの特製ケーキ2個、24人の児童・生徒たちは、切り分けられたケーキを嬉しそうに口に運んでいたそうです。

この「金魚」も、ほのぼのした暖かさを感じさせるような形と味のお菓子でした。

郡山歴史散歩(2012.10.18)

2012-01-18 13:51:14 | 矢田だより
朝の寒さが次第に緩んで、いいお天気になりました。近鉄駅前に用事があるので、近くの史跡に寄り道しながら散歩しました。



養魚池の金魚たちが暖かい日を浴びています。通り道にある箕山町の大納言塚へ行ってみます。



大納言塚。
豊臣秀吉の異父弟で郡山100万石の城主・豊臣秀長は天正19年(1591)に郡山城内で没しました。享年51歳。秀吉はここに菩提寺・大光院を建立して弟を弔いました。手前の大石には「大納言塚」の文字、山門の手前には「お願いの砂の箱」が見えます。



金属製の蓋を持ち上げると中には白い砂が盛ってあり、小さな穴から箱の中に落ちるようになっています。「自分の名前と願い事を告げて砂を三度、穴に通せば、優しく賢くとても立派な殿様が、きっと願いを叶えてくださる」ということです。もともとは、墓前に敷き詰められた粗い白砂を持ち帰り、願いをかけて返納する習わしだったのですが…。



豊臣家滅亡後、大光院は藤堂高虎によって京に移され墓地は荒廃していましたが、安永6年(1777)、春岳院の僧・栄隆らの尽力によって外塀や五輪塔など現在の姿になりました。高さ2メートルの五輪塔の「地」輪に秀長の戒名が刻まれています。

*用事を済ませた帰り道に、永慶寺町の黄檗宗「龍華山永慶寺」へ行きました。郡山城主・柳沢家の菩提寺です。



永慶寺山門
市指定文化財。旧郡山城の南門を移築したもので、安土桃山時代の郡山城を偲ばせる現存する唯一の遺構です。



山門から石段を登って広大な境内に入ったところ。左端のこんもり大きいのは庭石です。右は本堂。




本堂。釈迦三尊を安置しています。



本堂裏の高浜虚子句碑。『秋雨や俥なければ歩くまで』



境内の拝観を終わり、弁天門を出ます。



帰り道の城南町で古いお家の前に「荒木又右衛門屋敷跡」の石碑がありました。
伊賀の仇討「決闘・鍵屋の辻」で名高い剣豪・荒木又右衛門は、郡山藩・松平忠明に召し抱えられ剣術師範役250石に取り立てられました。その折の住居のようです。なお、又右衛門は仇討(寛永11年・1634年)の助太刀をするため、その前年に郡山藩を退身しています。

郡山に住んで30数年経ちますが、この屋敷跡は始めて知りました。ぽかぽか暖かい陽射しの下の散歩で、新しい発見もあって楽しかったです。ただ、カメラもケイタイも持たずに行って、♀ペンのケイタイを借りて移送したので写りがよくなく残念です。直線距離では家から駅まで3キロ足らずですが、寄り道したので歩数計の数字は10,580になりました。

今日も冬晴れ矢田丘陵(2012.01.11)

2012-01-12 13:45:24 | 矢田だより

気温は低いがよく晴れた朝。♀ペンを駅へ送った足で、どこへ行こうかと迷いましたが結局は矢田山へ。カメラはおろか水も持たずに全くの空身。写真は携帯で撮ります。

いつものお地蔵さんの辻に車を置いて、9時20分スタート。大石を経て登ります。露ナシ池に張った氷が溶けかけていました。

展望台を過ぎて「まほろば展望所」へ

「まほろば展望所」から東方の眺め。若草山から南へ続く山並み、奈良市街がよく見えました。気温0度。汗も全くかかず快適です(09:55~10:05)。今日はここから南へ歩くことにしました。

南僧坊池にはまだ氷が張っています。水鳥の姿が一羽も見えません。

10:40~10:45 国見台。 高見山は霞み、大台山脈は雲の中でした。松尾山は割愛して下ります。

10:20 矢田寺に参詣して、味噌舐め地蔵さんの下から近畿自然歩道に入って

地蔵さんの辻に帰りました(11:30)。今日は珍しく10人以上の人に出会いましたが、二人連れ二組の他は単独、しかも男性ばかりでした。休憩を入れて2時間10分、歩数計(ケイタイ)の数字13,235歩。


矢田山と山麓散歩(2012.01.05)

2012-01-05 14:27:40 | 矢田だより

正月三が日を過ぎたが、昨日はあまりの寒さと強風に風邪をぶり返すのを恐れて、今日5日になってようやく今年の初歩き。

今にも雪が降り出しそうだった朝の空も9時前から青空が拡がりました。木曜恒例の親孝行に行く♀ペンを駅に送った足で、矢田歩きに行きました。9時20分、大和民俗公園駐車場に車を入れて歩き出します。空は晴れ上がりましたが風が冷たく、耳が痛いほどです。

9時30分、ヤタニイマスクシタマヒコ神社。ミニバスから下りた礼服の人たちが拝殿に向かう姿が見えます。

正面の楼門にプロペラが架かっています。航空祖神ともいわれるニギハヤヒノミコトを祀る神社だけに航空関係の参拝者も多いのですが、先ほどの人影は陸上自衛隊の人でした。

社務所に新年のご挨拶に伺うと、加藤宮司さんが私たち夫婦と義父母の分まで、御神饌のお下がりを授けてくださいました。お餅と昆布とスルメが入っています(写真は合成)。しばらくお話して9時40分辞去。

矢田山の見える牧場でウシたちが冬の陽を浴びています。

いつも挨拶してくれる人懐っこいウシです。昔はこの辺りにいくつかあった牧場も今はここだけになりました。
この先で矢田寺の参道に出て、坂道を登っていきます。

9時53分、山門をくぐり石段を登って境内に入ります。大門坊千仏堂、一言地蔵さん、聖天さん、春日神社、本堂と巡拝しましたが、今日は珍しく境内に人影がありませんでした。西僧坊前から矢田山へ向かいます(10時05分)。二丁の町石標から四丁手前までが急坂で、身体が次第に温まってきました。五丁でヤッケを脱いでザックにしまっていると男性が一人登ってきたので、挨拶して後についていきました。しかし、露ナシ池の上(七丁)で縦走路に折れたので、また一人になり「まほろば展望所」へ。<この町石道は大阪から暗峠を越えてくる古い参詣路なので、矢田寺から離れるほど数字が大きくなります。ちなみに次の八丁は矢田峠です>

展望所から東方の眺め。こちらはまだ雲が多いようです。備え付けの温度計は2℃。じっとしていると寒いので、お茶を一口飲んで腰をあげました(写真は合成)。(10時40分~10時50分)

展望台に登ってみました。生駒山が間近に見えます。

 

一丁と二丁の間から「矢田の大石」 の横を下ります。ボルダリングの練習に来ていた青年としばらく立ち話をしました(11時10分~11時15分)。今日はこの人を含めて山中で5人に出会っただけでした。
 いつものお地蔵さんの辻<横山北>から、少し遠回りして三の矢塚へ行ってみます。

11時35分、三の矢塚。以前このBLOGでご紹介したように、ニギハヤヒがアマノイワフネから三本の矢を射たうちの三本目の矢が落ちた場所で、「邪馬台国想定地」でもあります。詳しくは拙ホームページの「矢田周辺の見どころ」の一番下をご覧ください。

11時55分、大和民俗公園駐車場にかえりました。出発してから2時間35分、腰を下ろしたのは「まほろば」で3分ほど、他は立ち話と写真を撮るのが休憩で、案外よく歩きました。歩数計の数字は16,294歩でした。


今年最後の?矢田歩き(2011.12.24)

2011-12-25 10:26:06 | 矢田だより

*「イタリア旅行」記はお休みさせて頂いて昨日、歩いた矢田山の様子を見て頂きます*

気温は低いですが、柔らかい冬の日差しが降り注いでいます。13時、横山北のお地蔵さんに手を合わせてスタート。

サザンカの花を見ながら野の道を行きます。イタリアから帰ると奈良の方が寒くて、二人とも風邪を引いていたので、久しぶりの矢田歩きです。今日は矢田寺はオミットして直接「矢田の大石」から矢田山へ。最初から急坂の登りですが次第に調子が出てきました。

13時35分「まほろば展望所」。気温4℃。じっとしていると手が冷たく感じます。5分ほど休んで北へ尾根道を行きます。

途中、東明寺の真上辺りの尾根道からの展望。正面が貝ヶ平山、鳥見山。

東明寺と「こどもの森」の分岐近くに、とても大きなスズメバチの巣がありました。

14時20分、東明寺にお参り。
14時35分、元の辻に帰って、今年も何度も歩かせて頂けたことにお地蔵さんへお礼を言いました。1時間半で出会った人、5人。静かなクリスマス・イヴの矢田歩きでした。


紅葉の矢田丘陵(2011.11.26)

2011-11-27 07:00:00 | 矢田だより

今日も素晴らしい青空。♀ペンが家事に励んでいる間に、独りで矢田歩きに出かけました。
10時10分、横山北のお地蔵さんの前に駐車して矢田寺へ。

矢田寺本堂。味噌舐め地蔵さんの前のカエデも真っ赤に紅葉しました。

矢田四国「へんろ道」を登ります。この辺りはまだ青い葉も残っていますが…

登るにつれて見事な紅葉の並木になります。この辺りは急坂で汗がにじんできました。

赤や黄に彩られた木々の間から「十福小屋」の屋根が見えてきました。あと一息。

小屋の前の見事な紅葉。

一休みして登り続けます。振り返ると眼下に大和平野が拡がってきます。
最高所の満米上人石像から緩く下り、今日は「へんろ道」後半部を割愛して頂池から矢田山最高所へ向かいました。

11時30分、最高所・まほろば展望所。気温は8℃。しばらく、じっとしていると汗が冷えて寒さを感じます。縦走路をさらに北へ。

空気が澄んで遠くの山もくっきり見えます。これは縦走路途中から東の眺め。林がV字形に切れ込んだ上に、貝ヶ平山、鳥見山。右手遠くに高見山が霞んでいます。こちらから見ると昨日、見た鋭い三角形ではなく、なだらかな山容です。

12時05分、東明寺。ここの紅葉も山の下からはっきりわかるほど鮮やかです。
二つのお寺を巡拝して、12時20分、車に帰りました。今日はなぜか人が少なく、10人足らずの人に出会っただけの静かな山道でした。