宮応かつゆきの日本改革ブログ

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「新型コロナー”専門家は確率を語れ、実態と合わぬ対策”ー」ウイルス学者 西村秀一さん

2020年07月13日 | 未来社会へのプロセス

 新型コロナウイルスの感染が、日本でも、世界でも拡大が続いています。医療関係者、感染症専門家がメディアで様々に見解や対策を語っています。「朝日」11日付「インタビュー」欄に国立病院機構仙台医療センター・ウイルスセンター長 西村秀一さんの発言が掲載されました。

 「インタビュー」の動機は、「新型コロナウイルスへの対応をめぐり、『専門家』のあり方が問われている。『正しく恐れる』ために欠かせない情報をきちんと示さず、社会や経済の混乱につながっているという。どういうことなのか」。一部を紹介させていただきます。

 — 日本社会の新型コロナへの対応を批判していますね」

(西村さん)実態と合わない対応が続いていることを危惧しています。亡くなった方を遺族にも会わせずに火葬したり、学校で毎日机やボールを消毒したり、おかしなことだらけです。私は『もうやめよう』と提案しています。コロナ対策の委員として宮城県の会議でも訴えました」

 — どこが問題ですか?」

(西村さん)まず強調したいのは、病院と一般社会は分けて考えるべきだという点です。いまはスーパーでも病院でも、使っているフェースシールドを着けていますね。しかし、ウイルスが現に存在して厳しい感染管理が必要な病院と一般社会では、ウイルスに遭遇する確率が全然違う。厚生労働省が6月に実施した抗体検査で、東京の保有率は0.10%でした。そこから推測すれば、街中そこかしこでウイルスに遭うようなことはありません」

 — 東京では1日200人を超える感染者が出ています。ウイルスが街中にいないと言えますか」

(西村さん)東京全域を一律に考えるべきではありません。いま感染者が出ている多くは、限られた地域の特定の場所の関連です。市中感染があっても人口1千数百万人に比べればそれでもまだ数は少なく、ウイルスが街に蔓延しているわけじゃない。社会での感染対策として、リスクの高いところからつぶしていくことは可能です」

 — なぜ実態と合わない対策が続いているのでしょう」

(西村さん)突き詰めて考えると、専門家の責任が大きいのです。例えば、接触感染のリスクが強調され『手で触れる』ことへの恐怖が広がっていますが、ウイルスと細菌の違いが軽視されています。細菌は条件が整えば自己増殖して一般環境で長く残りますが、ウイルスは感染者の対外に出て寄生する細胞が無くなると、少し時間が経てば活性を失う。本当はウイルスは細胞より接触感染のリスクがずっと低いのです。なんでもアルコール消毒する必要はありません」

 — リスクが低いと聞いても、不安に感じてしまいます」

(西村さん)世間の人がそんな不安を抱くのは、専門家がきちんとリスクを評価し、社会にそれを伝えていないことに原因があります。リスク評価の根幹は、具体的な確率を検討することです。例えば、感染者のせきでウイルス1万個が飛んだと仮定しても、多くは空気の流れによって散らばり、机などに落下するのは1㌢四方あたり数個。ではそれが手に付く数は? 鼻に入る確率は? 時間経過でもウイルスは減る。こう突き詰めるのがリスク評価なのです」

「『可能性がある』と語って人々に対策を求める専門家がメディアで散見されますが、キャスターや記者は『それなら感染する確率はどれぐらい?』と問わなきゃいけない。専門家に課されているのはリスク評価です。リスクがあるかないかという定性的な話をするのでなく、どれぐらいあるか定量的に評価しなければなりません」

 ― ただ少しでもリスクがあるのなら、対策を取った方が安心でなないでしょうか」

(西村さん)『ゼロリスクを求めれば。稔のため』と対策もどんどん大きくなる。しかし、その下で数多くの弊害が出ています。人と人の関わりが無くなったり、差別してしまったり、職を失い、ウイルスでなく、その対策で命を落とす社会的弱者もいる」

「スーパーで買ったポテトチップの袋までアルコールで拭くのは、ウイルス学者の私には笑っちゃうような話だけど、笑えない。そんな恐れを広げた専門家に怒りが沸きます」

「葬儀の問題も同じです。息をしないご遺体からウイルスは排出されません。皮膚に残っていたとしてもお清めをするか体に触れなければいい。お別れをしたいという気持ちを大切にした葬儀はできるはずなのです」