じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

選挙戦と暴走

2019-04-22 09:52:33 | Weblog
★ 統一地方選挙が終わった。衆議院補選での自民の敗北が印象的だが、地方議員のなり手不足、投票率の低下も顕著だった。地方政治への無関心が広がっているようだ。

★ 衆議院補選では反中央、反政権の兆候が見られた。自公の関係にも微妙なズレを感じる。

★ 支持層の硬い共産党や公明党にもかげりが見られる。高齢化の影響だろう。

★ ふがいない野党勢力(とりわけ両民主)を背景に、国政では自民党がまだ優位に立っているが、これも盤石ではなさそうだ。地下ではグツグツと鬱憤が溜まっているし、風次第でどうなるかはわからない。消費税増税による景気の減速、そのあたりが潮目だろうか(すでに物価の上昇が始まり、消費に減速がかかっている気がする。)それを見越して、衆参同日選に踏み切るかどうか。

★ 先の荻生田発言は風向きを読むためか。


★ 話は変わって、週末は連日の暴走事故。いったいどうしたのだろうか。東京池袋の事故はヒューマンエラーの可能性が大きそう。神戸市バスの事故は運転手の発言と事故映像がどうも食い違っているような。急発進には思えないが。横断歩道の前で止まれなかった何らかの事情(身体の不調、よそ見運転など)があったのだろうね。

★ 青信号で横断歩道を渡っているのに輪禍に見舞われた方々がかわいそうで仕方がない。自動運転が遠からず実現しそうな時代なのに、どうしてこうした事故が防げないのだろうか。特に高齢者によるアクセルとブレーキの踏み間違い事故は減らせないものだろうか。

★ 高齢者の認知能力、運動能力が課題なら、運転免許証の取得が満18歳からであるように、その有効年齢を満80歳までにするとか、それでも運転したい人は試験を受けて、短期の免許証を発行するとか、打つ手があるのではなかろうか。本人のためにも。もちろん犠牲者になってしまう人のためにも。  
コメント

村上春樹「1Q84 BOOK3前編」

2019-04-21 16:36:13 | Weblog
★ 村上春樹さんの「1Q84 BOOK3前編」(新潮文庫)を読んだ。

★ 天吾と青豆は随分と接近してきた。お互いが求めあっているが、まだ出会うまでには至っていない。BOOK3では天吾と青豆に牛河という人物が絡んでくる。自らについて語るとともに、第3の視点で二人を捉えている。

★ さて、青豆は自らの中に新しい命を感じた。男女の交わりなしに身ごもるとはどういうことか。

★ 後編ですべての謎が明かされるのだろうか。 
コメント

映画「日本の悪霊」

2019-04-19 23:51:24 | Weblog
★ 村上春樹さんの「1Q84」を読んでいると、ラスコーリニコフ、ソーニャという名前が出てきた。ドストエフスキー「罪と罰」を想定しているのであろう。ということでいろいろ検索していると、日本版「罪と罰」ということで高橋和巳原作の映画「日本の悪霊」(1970年)がひっかかった。

★ 高橋和巳作品、「邪宗門」「憂鬱なる党派」は読んでいたが「日本の悪霊」はまだ読んでいない。

★ 映画は群馬県の小都市を舞台にヤクザの縄張り争いと描いたもの。見せ所はヤクザとデカが入れ替わり、その両者を佐藤慶さんが演じていることだ。

★ 随所に六全協前後の左翼運動(山村工作)をチラつかせているが、いろんな要素の混じった作品だった。シリアスなヤクザ映画でもないし、受けを狙ったコミカルなものでもない。お色気もそこそこ入っているがピンク映画ではない。全編に岡林さんの楽曲が採用されているし(本人も登場)、そこは至極ドキュメンタリータッチだったりする。

★ たぶん「私とは何か」を問うているのだとは思うけれど、1970年という時代ならではの映画だと思った。
コメント

松本清張「空白の意匠」

2019-04-19 19:51:12 | Weblog
★ 宮部みゆき責任編集「松本清張 傑作短篇コレクション中」(文春文庫)から「空白の意匠」を読んだ。

★ ある地方の小新聞、経営は厳しく、広告代理店から回してもらえる東京の企業の広告で何とか食いつないでいた。その新聞社に勤める広告部長が主人公。

★ その小新聞、大手製薬会社の広告のすぐ上に、その製薬会社が力を入れて発売している強壮剤で女性が死んだと報じた。事実なら仕方がないが、どうも先走った記事だった。案の定後にそれは誤報とわかる。

★ 誤報と詫びて済む話ではない。広告主は怒り、それを扱う代理店は広告部長に取引停止をほのめかす。

★ 広告を失っては経営が成り立たないということで、代理店担当者への接待に贅を尽くすのだが・・・。

★ 最後はサラリーマンの悲哀を感じた。


★ マスコミ業界、編集と営業の対立はよくある話。新聞など発行部数が激減しているから、随分と世知辛いことだろうね。
コメント

インフルエンザ再流行

2019-04-19 10:39:27 | Weblog
★ 近隣の中学校でインフルエンザが猛威を振るっている。

★ 15日(月曜日)に中学3年生の塾生が高熱で休むと連絡があった。それから他の生徒も。昨日はクラスで5人程度、学年で10人を超えた。そしてついに今日19日、学年閉鎖になった。

★ 今回はB型の流行。症状は39℃を超える高熱。ちょうどワクチン(予防注射)の効力が切れた頃なのかも。

★ 今のところ3年生だけの流行だが、週末をはさんで他学年にも広がるかも。ただでさえ10連休でカリキュラムの消化が厳しいのに、これで休校措置が長引けば、夏休みの短縮もあるかも。
コメント

モーパッサン「シモンのパパ」

2019-04-18 18:06:47 | Weblog
★ 「モーパッサン短篇選」(高山鉄男訳、岩波文庫)から「シモンのパパ」を読んだ。

★ シモンにはパパがいない。そのことを理由に他の生徒たちからいじめにあう。シモンは7、8歳だが、14、5歳ぐらいの子までが彼をからかい、いじめた。

★ なぜシモンにパパがいないのか。詳しい事情は書かれていないが、どうやら彼の母親が騙されて、シモンを身ごもったようだ。そのことは他の子どもの母親や近隣の人々の噂話となり、それを小耳にはさんだ子どもたちが、シモンをいじめているのだ。

★ シモンは決意した。川に身を投げて死んでしまおうと。しかしその時・・・。

★ 心無いいじめは時代を超え国を超え共通するもののようだ。人の心の中にいじめを生む何かがあるのだろう。モーパッサンはニワトリの例を引いていたが、それは異物を集団で排除しようとする動物性、野蛮性の名残なのかも知れない。じゃあなぜ異物を排除しようとするのだろうか。それは異物への恐れなのだろうか。 
コメント

サキ「二十日鼠」

2019-04-18 16:27:12 | Weblog
★ 「サキ短篇集」(中村能三訳、新潮文庫)から「二十日鼠」を読んだ。イギリス版ショートショートいう感じ。サキ(1870-1916)は日本でいうと明治時代の人だから、ショートショートの先駆と言える。

★ 「二十日鼠」はある男性の服の中に二十日鼠が迷い込んだという話。列車の中で服を脱いでそれを取り除こうとするのだが前の座席にはご婦人が座っている。ご婦人が眠っている間に服を脱いだのは良かったが・・・。

★ 最後にオチが用意されている。

★ 1958年版で読んだのでさすがに活字の小ささに苦しんだ。
コメント

ドラマ「NCIS~ネイビー犯罪捜査班」

2019-04-18 00:19:12 | Weblog
★ 最近、ドラマ「NCIS~ネイビー犯罪捜査班」(2003年~ )にはまっている。現在16シーズンが放映中の長寿番組だ。

★ 長く続く番組はそれなりの理由がある。とにかく面白い。NCISとは海軍犯罪捜査局の略称で、その名の通り海軍内での犯罪の捜査にあたる。

★ 先行していた「犯罪捜査官ネイビーファイル」(1995年~2005年)のスピンオフともいえる。(この作品ではサラ・マッケンジー中佐<キャサリン・ベル>がとても魅力的だった)

★ NCIS第1シーズンでは主要なキャストを5から6人に絞り、わかりやすい作品に仕上がっている。独裁的だが魅力的なボスのギブス捜査官、軽口を叩くが仕事もできる元警官トニー、元シークレットサービスの魅力的なケイト、うんちく話が止まらないドクター、ゴスロリ風で危ない感じだが科学捜査のエキスパート・アビーが活躍する。

★ 当分、退屈しなくて済みそうだ。
コメント

アニメ「ルパン三世」

2019-04-17 11:01:46 | Weblog
★ 「ルパン三世」の原作者、モンキー・パンチさんがお亡くなりになったという。

★ アニメ「ルパン三世」を初めて見たのは第1シーズン(1971年)第2話の「魔術師と呼ばれた男」。当時私は中学生だった。それまで見ていたアニメは「鉄人28号」にしても「鉄腕アトム」にしても主人公が子どもだった。それに対して、ルパンは大人で、ギャグも少ない。意表を突かれた作品だった。峰不二子のシャワーシーンや色仕掛けにもドキドキ。(「ハレンチ学園」は読んでいたけれど)

★ 「魔術師と呼ばれた男」は銃弾、手榴弾、バズーカ砲でも殺されない不死身の男がルパンに敵に。指からは火炎放射、空中浮遊も、と盛りだくさんだ。ルパンもついに負けるのか。しかしそこはルパン、種明かしを解明し、形勢逆転。それにしても悪女(峰不二子)に魅かれる性癖はどうにかならないものか。次元の世話が思いやられる。

★ 後の作品と比べれば、さすがにアニメ技術の進化を実感せざるを得ない。静止画が多く、紙芝居という感じもするが、ストーリーは面白かった。

★ エンディングのチャーリー・コーセイさんの歌も印象に残っている。
コメント

フィッツジェラルド「バビロン再訪」

2019-04-16 21:39:15 | Weblog
★ ヘミングウェイと言えば「ロスト・ジェネレーション」。同じ時代の作家フィッツジェラルドの短編集(野崎孝訳 新潮文庫)から「バビロン再訪」を読んだ。

★ 「バビロン」とはここではパリを表す。第一次世界大戦が終わった1920年代のパリ。戦後の解放感と退廃的な空気の中で、新しい時代の新たなクリエイターたちが連日の「放蕩」に酔っていた。この時代の様子は映画「ミッドタイム・イン・パリ」でも描かれている。

★ アメリカはバブル経済でにわか成金が現れた。多くの人々が株に手を出し利益を得、バブルの崩壊、世界恐慌とともに没落していった。

★ この作品の主人公チャーリーもそのような人物であった。あぶく銭に溺れ家庭を顧みないうちに妻には先立たれ、自らも心身を壊し、娘は義兄家族に預かってもらっている。財産を失い、酒浸りから目覚めて、娘を取り返そうとするのだが・・・という話だった。

★ 戦間期のひと時の明るさ。しかし、次の戦争がすぐ目の前に来ていたことを私たちは知っている。
コメント (2)