じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

無用の用

2006-09-12 14:11:01 | 教育
★ 役に立たないとされていることがかえって役に立つこと。これを無用の用というそうだ。有用、無用と軽々しく判断すること自体、人間の浅はかさということだろうか。

★ ところで、子どもたちから「こんな勉強をしていて何の役に立つのか」とよく言われる。半分は、自分が問題を解けないことへのいらだちのようだが、その気持ちはわからなくもない。といって、くどくど説明しても聞く耳をもたないようなので、その場は「受験のためだ」とお茶を濁すが、本当は無用の用なのだ。

★ 私自身、大学生のとき同様なことを指導教官に尋ねたことがある。指導教官が言うに、「無用なことをやるのが学校なんだ」とのこと。この言葉は含蓄に満ちている。もちろん学校では将来生きていく上で必要なことを学ぶ。読み・書き・算もそうだし、人間関係やさまざまな経験、その中には悲しい事、悔しい事、嬉しい事、いろいろとあるだろうけれど、そうした人生経験の基礎を学んでいる。どれ一つとして無駄な事はない。

★ 因数分解や解の公式や平方根や更には微分、積分、三角関数。将来数学を使った仕事にでも就かない限り、学校を卒業したらお目にかかることは少ない。英語にしても、いくら国際化とは言え日常生活で英語を使う機会はそれほどないのが現実だ。理科にしても社会にしても学校で学んだ事を日常生活でどう生かすかというと難しい。国語でも古典や文法を学ぶ事にどういう意味があるのだろうか。そうした無駄な学習に多くの時間を消費する意味は何だろうか。確かに受験のための学習は虚しいものがあるが、それも怠け癖の人間にとって必要悪とするならば、学校での学習はまさに無用の用だ。

★ 国民の品位は教養の高さだと思う。民主主義といった制度をとるなら尚更、国民全体の教養が高くなければならない。そうでないと衆愚政治に陥る。そして、教養というのは無用の用だと思う。一見無用に見えて、実は人生を豊かにする上で、もっとも必要なものなのだろう。豊かな知識と広い視野は、ものごとを正しく判断する際に欠かせないものだと思う。

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