じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

「無常という事」

2006-09-30 17:01:48 | 
モオツァルト・無常という事

新潮社

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★ 何を思ったか、ふと小林秀雄の「無常という事」が読みたくなった。短い文章なので読むのに時間はかからないが、内容の読解にひどく時間がかかる。「記憶するだけではだめで、思い出すことが大事だ」と主張する筆者だけに、ただ読むだけではダメで、読んで考えることが大事だとでも言うことか。

★ 筆者が比叡山を散策したとき、ふと思い浮かべた鎌倉時代の「なま女房」の話。そこからの筆者の思索の逡巡とやがて導き出された「無常」という事が書かれていた。

★ 私の読解力では何が言いたいのか、イマイチ分からなかった。ぼんやりとは分かるのだが正解がわからない。正解を求めよとすること自体が受験国語の弊害なのかも知れないが。ただあれこれ検索して、中路正恒という先生のホームページを拝見して、少しばかりわかったような気がした。

★ 読解はともかく、「無常」というのは日本人に馴染みの深い感覚だ。人間、生きていること自体が無常ということで、小林曰く、「死んだ人間ははっきりしている」。自然も同様で、変わらないものに接したとき私達は無常を感じるのかも知れない。

★ この文章が昭和17年という戦中に書かれたことを考えれば、小林の胸中には更に深い何かがあったのかも知れない。

★ 答えのない読書も時には楽しいものだ。
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