じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

迅速な対応だが

2017-08-30 20:31:19 | Weblog
☆ 「北」のミサイルが発射されたとき、政府の対応はかなり迅速だった。

☆ 30分を経ずして首相は囲み取材を受けているし、話もよく練られていた。菅官房長官の記者会見も早かった。

☆ 安倍首相は米軍情報に基づき、すべて把握していたというから、前もって知っていたんだよね。

☆ ならば早朝から警報音で国民を目覚めさせ、右往左往させずに、前もって警戒を促すこともできたのではないか。

☆ 日本政府が事態を把握していて、それを国民に知らせなかったのか。なぜ?

☆ 何か思惑があるのでは、と勘繰りたくなる。
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「黒子のバスケ」

2017-08-30 19:46:45 | Weblog
☆ アニメと言えば「黒子のバスケ」も面白かった。

☆ 中学校で全国制覇をした名門バスケットボールチーム。10年に1度の天才プレーヤーが5人同時に集まり「キセキの世代」と呼ばれる最強チームだった。しかし、このチームにはあと一人、幻の6人目がいたという。

☆ 彼らはそれぞれ別々の高校に進学し、高校日本1を目指してぶつかりあうという話。

☆ 基本的なバスケット技術に、さらに現実離れした技を加味しながら、それでいて臨場感のあるゲーム。ストーリの展開から目を離せなかった。

☆ アニメだと主な登場人物が髪の色で見分けられるから、わかりやすかった。

☆ 最後の聖凛高校(主人公・黒子テツヤの学校)とエンペラーアイをもつ赤司征十郎が率いる京都の洛山高校(モデルは洛南高校か)の対戦。最後は思わず息が詰まるほど感動した。

☆ バスケのアニメは「スラムダンク」が良かったが、「黒子のバスケ」も負けず劣らず良かった。
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教員の「多忙」と「多忙感」

2017-08-30 09:34:50 | Weblog
☆ 「働き方改革」の流れなのか、最近急に教員の労働時間が話題になっている。

☆ しかし、タイムカードだ、情報端末だと小手先のテクニックばかりが話題になっているようにも思える。また文科省は教職員の採用増を求めているが、それだけで多忙な勤務実態が軽減されるとは思えない。

☆ 教員の仕事とは何か、更には学校の役割とは何かまで掘り下げないと、単に教員の学校滞在時間を管理するにとどまる。それで働き方が変わったと言えるのだろうか。

☆ 教員の「多忙」については、かなり前から問題提起され、研究もされている。手元には、堀内孜編著「学校組織・教職員勤務の実態と改革課題」(多賀出版、2001年)、「教育総研年報2002」(国民教育文化総合研究所、2002年)がある。

☆ 前者は、「日本教育経営学会が学校の内部組織実態や教職員の勤務実態を解明するべく実施した共同研究の成果を取り纏めたもの」(まえがき)で、その第Ⅲ部で「教職員勤務の実態」、第Ⅳ部第15章で「教職員定数・配置と勤務体制の改善」を取り上げている。

☆ 後者は、多忙化問題研究委員会報告として、教員の職務と「多忙感」認識に関する質問紙調査、教員の勤務実態についての行動調査のまとめ、「教員の多忙化構造と改善・改革の在り方」を考察している。

☆ また、京都教育大学公教育経営研究会「現代学校研究論集第26巻」(2008年)は、「教員の勤務実態と学校運営の課題」を特集テーマとし、教員が自らの体験を通した勤務実態や多忙感について論じている。中でも、私は研究会で、松元伸祥氏(現公立中学校校長)の「勤務実態調査等から考える教職員の多忙化」をレポートさせてもらったが、現場の人間ならではの示唆に富む指摘を勉強させてもらった。

☆ 松元氏は、平成18年に文部科学省が40年ぶりに実施した「勤務実態調査」を取り上げ、昭和41年の調査と比べて、約4倍の日常的な時間外勤務が行われており、事務的な業務や生徒指導等の業務が増加したと指摘する。

☆ また、多忙化の構造を物理的、心理的な面から分析。まず、「立体的に配列されたさまざまな業務を同時進行で複数担い、瞬間的な状況判断とともに優先順位を自己決定し、時間管理をしながら業務をこなしていく」(40頁)のが教員の業務であり、一つのことに集中できない実態を指摘する。また顧客発想(効率を追求)と教育的発想(結果的な効果の高さを重視)の不幸な対立、物理的な「忙しさ」と自己充足感が得られない「多忙感」の違いを説く。

☆ 松元氏は「『やりがいのある多忙』から『やりがいが感じられず消耗する多忙』へ」(38頁)と変化してきた学校の在り方に斬りこむ。


☆ 私はかつて学校経営史の勉強をしていたが、学校の「多忙」は今に始まったことではない。昭和6年に書かれた小学校の校長先生の手記にも、連日夜の11時ごろまで教材研究等に熱中していた様子が描かれている。もちろん夏休みも返上で。それでも「教育で生きる我々ではない。教育に生きるのである。人間教育だ。短時間で明日の準備が出来たら皆嘘だ。何時間あっても足るものか」(水山光高(久世郡大久保校校長)著「校長生活三年有半」(未刊行)と意気込みを語っている。

☆ 水山校長は、夏休み返上で奮闘する教員が「今年の夏は涼しいですね」といった言葉に涙が出るほどうれしかったという。本当に校長の思いが通じ、教員が一丸となって教育実践に励んでいたかどうかはわからないが、この校長の実践は、昭和7年京都府下の校長による研究発表会で報告され、またこの校長の次の赴任校での実践は「日本新教育百年史6近畿」(玉川大学出版部 1969年)に「寺田小学校の総合科教授」(202頁~207頁)として記録されている。


☆ 急速な時代の変化の中で翻弄される学校そして教員。さまざまに批判されながらも日本の教育は素晴らしいと思う。そしてこれは一人一人の教職員の涙ぐましい努力と献身の成果に他ならない。

☆ 教育の世界ではアクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学びの実現)が求められている。これは児童・生徒にだけ求められるものではなく教員にも求められよう。そして教職員が主体的に働けるアクティブ・ワーキング(主体的・創造的で充実感のある労働の実現)の環境をぜひつくって欲しいものだ。

 

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