6時起床。
7時に野菜サンドイッチとコーヒーを頼み、部屋に持って来てもらったが、ゆっくり食べるひまがなかった。
半分残し、残ったサンドイッチを包んで列車の中で食べる事にした。
キャンディ駅8時20分発Badulla(バドゥッラ)行きに乗るので7時30分にはホテルをチェックアウトする必要があった。
フロントで宿泊費と朝食代でRs.3,597(2,730円)の請求があり、クレジットカードで支払を依頼するとフロントで手続き出来ず、2階の女子事務員が下りて来て処理してくれた。
思ったより時間が掛かり、ホテルを出るのが遅くなった。
ホテルスタッフにトックトックで行こうかと相談すると歩いて行けると言われてしまった。
キャンディ駅まで歩いて10分であった。予想外に近かった。
切符売場の1,2等窓口で、時刻、行き先、1等と書いた紙を出すと1等は無いと言われ、2等切符を買った。
ヌワラ・エリヤの最寄の駅ナーヌ・オヤまでRs.180(140円)であった。
改札で切符を切られ構内に入った。切符は懐かしい厚紙製の切符で、切符の端をパンチで切られた。
構内、プラットホームを写真に撮ろうとデジタル・カメラを出して、電源スイッチを入れたが作動しない。
電池が入れ換えたが作動しない。
昨夜、SDメモリーを交換した。
そう言えば、日本を出る前も、同じ様にSDメモリーを挿入して、電源スイッチを入れたが作動しなかった。
しかし、直ぐに作動したので故障の前兆だとは思わなかった。
SDメモリーの出し入れをして電源を入れたが、やはり作動しなかった。
駄目だ、デジカメが壊れた!!!!!!!
スリランカの若者が声を掛けて来た、切符を買う時、私の後ろに並んでいた男だ。
俺に付いて来いという感じで、20分遅れて入って来た列車に乗り込んだ。
乗客がいる、マータレーから来た列車の様だ。キャンディ駅始発ではないのか?
彼は、空軍のIDカードを見せて、ハブタレーの空軍に戻るところだと言った。
私は、その手前のナーヌ・オヤまで行くと伝えた。
彼は、22歳で次男、3男1女で長男は千葉にいると言っていた。
彼が乗り換える様な事を言っている。
キャンディ駅の時刻表に8:20 Badulla(バドゥッラ)と書かれている。
私は、当然、この列車がBadulla(バドゥッラ)まで行くのだと思い込んでいた。
彼も私も片言英語で、私は「Transfer?」と言うと、ペーラーデニヤ・ジャンクションと言っている。
昨日行ったペーラーデニヤ植物園近くにジャンクションがある。キャンディからの線路、コロンボからの線路&バドゥッラからの線路が合流する。
合流地点があるのは知っているがそこで乗り換えるのか????
三角形のプラットホームが見えて来た、最後尾車両に外国人が大勢乗っていた。
彼が立ち上がり、付いて来いという感じであった。バックパックを持って続いた。
列車は満席で座れそうにない、最後尾車両まで行ったが1等席で、ここは空き席がある様であった。
しかたなく、適当な2等列車に乗り込んだ。乗り移った人はみんな立っているのではないか?
空軍の彼がいなかったら、乗り換えていなかっただろう。
1等が空いている様なので行って、車掌に1等席に変えてくれと頼んだが駄目であった。
彼のところの戻ろうとしたが、速度を上げていて列車の揺れが激しく、戻れずに立っていた。
10分ほど立っていると男性が席を譲ってくれた。
直ぐ降りるので、構わないと言っている様だ。
1つ目の駅で停まったが、彼は降りなかった。2つ目の駅でも降りなかった。恐縮である。
1時間ほど経って彼が降りるので、お礼を言った。
列車はゆっくりと高原地帯を進んでいった。少しづつ高度をかせいでいくようだ。
茶畑をチラホラ見掛けるようになってきた。
ハットン駅の1つ手前のRozelle駅で列車は停まった、単線の為の列車待ちと思っていたが、一向に発車しなかった。
プラットホームに下りていると、空軍の彼に会った、アクシデントと言っている。
何かアクシデントが起きて列車が停まっているらしい。
日本のシニア女性2人を見掛け、何かあったのですか?と声を掛けた。
この先でライフラインの修理をしているので1~2時間停車するとの事。
お互いのスリランカ旅行の話をした、彼女らはサファリが好かったと言っていた。
彼女らは1等車に乗っていたので、よく座席が取れましたね!と聞くと、ガイドさん曰く人気の鉄道ルートで中々取れないが裏ルートがあって手に入れたそうだ。
座席に戻り小説を読んでいると、先ほどの彼女らが「これから面白いものが見れるよ!」と呼びに来てくれた。
列車の最後尾に小さな保線作業用軌道車を長いロープで繋いで牽引しようとしていた。
彼女らのガイドが説明してくれた。上り坂の勾配がきついので列車に牽引してもらい、上り切ると後は惰性で下る。
それは解るが、こんな山間部に人力の軌道車がある事が理解できない。
昔、日本にも2人が対面で遊戯のシーソーの様に手で上下させて進む軌道車があったが、それと似た人力の軌道車をここで見るとは!!
対向列車が通過して行ったので列車に乗り込んだ。
Rozelle駅に列車は2時間ほど停車していた。
ハットン駅に着いた、ここから1時間でナーヌ・オヤ駅に着く。
スリランカの鉄道のお奨め景勝区間にキャンディ~バドゥッラ間があげられている。
「どこまで行っても広がる茶畑の緑とその間を縫って流れる小川や滝の風景を見る事ができる。」とある。
その様な風景が続くようになってナーヌ・オヤ駅に着いた。15時になっていた。
空軍の彼が、下車するのを確認に来ていた、お礼を言って降りた。
プラットホームに降りると、客引きがぴったりと私に付いて来た。
客引きが駅前に停まっているワンボックスカーに案内し、ヌワラ・エリヤまでRs.100で乗って行けと行った。
車に西洋人の新婚さん風が出発を待っていた、新婚さんを迎えに来た車?らしい。それに便乗する感じである。
車に乗り込み、ヌワラ・エリヤに向かった。
車の中で客引きがホテルのパンフレットを見せて、ここに泊まらないかと言ってきた。それは、グレン・フォール・インであった。
ガイドブックにも乗っているホテルで、気に入らないければ、他のホテルにも歩いて行けるので行く事にした。
山小屋風のゲストハウスでまだ新しい。
ワンボックスカーは、私を降ろして別のホテルに向かった。
3階のスイートに案内された、宿泊費はRs.3,000との事、広すぎると言うと2階の部屋に案内されRs.2,000(1,550円)で泊まる事にした。
客引きは、次にホートン・プレインズとワールズ・エンドへのツアーに誘ってきたが断わり、Rs.100を払って部屋に入った。
部屋内は、ひんやりしていた。
列車が遅れたので夕方まで残り時間が少なくなったが、ビクトリア・パークとヌワラ・エリヤの中心街に行く事にした。
半袖では、少し寒いので長袖Tシャツを着た。
畑の中に民家やホテルが点在する中を歩く、帰り道に迷わない様に目印を見付けながら歩いた。
イギリス植民地時代に避暑地として栄えたそうで、その頃の雰囲気が残っている。
ビクトリア・パークを通り抜け出来て中心街に出られるのであれば入ろうと思ったが、チケット売場で「ワン ゲート」と言われてしまった。
ビクトリア・パークとゴルフ場に挟まれた道路を中心街に向かった。
大木2本が切り倒すれていた???
すぐに中心街に着いた。グレン・フォール・インから15分ほどであった。
中心街への入口にバスターミナルがあり入った。
明日、ティー・ファクトリー(茶の精製工場)のラブーケリー・ティー・センターに行く予定にしているので、そこ行きのバス乗場を探したが分からず、案内所で聞き確認した。
バスターミナルの向かいに郵便局が見えた、コロニアル建築であるそうだがピンク色が色あせ、みすぼらしく見えた。
バスターミナル近くのレストランに入った。パンが陳列ケースに入り、その奥にカレーや中華があった。
夕食が近いので、細長いパンにカレーを挟んだカレーパンにしておいた。
ホテルに戻ると、夕食はカレーで良いかと聞かれ、OKした。
先ほどパンを食べたので、夕食は遅めにして、部屋に入った。
寒い、ベッドにもぐり込み小説を読んだ。
19時ごろ、長袖Tシャツにトレーナーを重ね着して食堂に行った。
ビールを飲みながら待つと、数種のカレーが小皿に載って並べられた。
ご飯に2~3種類のカレーを掛けミックスして食べた。美味い。
20時ごろ寝た。寒い。
7時に野菜サンドイッチとコーヒーを頼み、部屋に持って来てもらったが、ゆっくり食べるひまがなかった。
半分残し、残ったサンドイッチを包んで列車の中で食べる事にした。
キャンディ駅8時20分発Badulla(バドゥッラ)行きに乗るので7時30分にはホテルをチェックアウトする必要があった。
フロントで宿泊費と朝食代でRs.3,597(2,730円)の請求があり、クレジットカードで支払を依頼するとフロントで手続き出来ず、2階の女子事務員が下りて来て処理してくれた。
思ったより時間が掛かり、ホテルを出るのが遅くなった。
ホテルスタッフにトックトックで行こうかと相談すると歩いて行けると言われてしまった。
キャンディ駅まで歩いて10分であった。予想外に近かった。
切符売場の1,2等窓口で、時刻、行き先、1等と書いた紙を出すと1等は無いと言われ、2等切符を買った。
ヌワラ・エリヤの最寄の駅ナーヌ・オヤまでRs.180(140円)であった。
改札で切符を切られ構内に入った。切符は懐かしい厚紙製の切符で、切符の端をパンチで切られた。
構内、プラットホームを写真に撮ろうとデジタル・カメラを出して、電源スイッチを入れたが作動しない。
電池が入れ換えたが作動しない。
昨夜、SDメモリーを交換した。
そう言えば、日本を出る前も、同じ様にSDメモリーを挿入して、電源スイッチを入れたが作動しなかった。
しかし、直ぐに作動したので故障の前兆だとは思わなかった。
SDメモリーの出し入れをして電源を入れたが、やはり作動しなかった。
駄目だ、デジカメが壊れた!!!!!!!
スリランカの若者が声を掛けて来た、切符を買う時、私の後ろに並んでいた男だ。
俺に付いて来いという感じで、20分遅れて入って来た列車に乗り込んだ。
乗客がいる、マータレーから来た列車の様だ。キャンディ駅始発ではないのか?
彼は、空軍のIDカードを見せて、ハブタレーの空軍に戻るところだと言った。
私は、その手前のナーヌ・オヤまで行くと伝えた。
彼は、22歳で次男、3男1女で長男は千葉にいると言っていた。
彼が乗り換える様な事を言っている。
キャンディ駅の時刻表に8:20 Badulla(バドゥッラ)と書かれている。
私は、当然、この列車がBadulla(バドゥッラ)まで行くのだと思い込んでいた。
彼も私も片言英語で、私は「Transfer?」と言うと、ペーラーデニヤ・ジャンクションと言っている。
昨日行ったペーラーデニヤ植物園近くにジャンクションがある。キャンディからの線路、コロンボからの線路&バドゥッラからの線路が合流する。
合流地点があるのは知っているがそこで乗り換えるのか????
三角形のプラットホームが見えて来た、最後尾車両に外国人が大勢乗っていた。
彼が立ち上がり、付いて来いという感じであった。バックパックを持って続いた。
列車は満席で座れそうにない、最後尾車両まで行ったが1等席で、ここは空き席がある様であった。
しかたなく、適当な2等列車に乗り込んだ。乗り移った人はみんな立っているのではないか?
空軍の彼がいなかったら、乗り換えていなかっただろう。
1等が空いている様なので行って、車掌に1等席に変えてくれと頼んだが駄目であった。
彼のところの戻ろうとしたが、速度を上げていて列車の揺れが激しく、戻れずに立っていた。
10分ほど立っていると男性が席を譲ってくれた。
直ぐ降りるので、構わないと言っている様だ。
1つ目の駅で停まったが、彼は降りなかった。2つ目の駅でも降りなかった。恐縮である。
1時間ほど経って彼が降りるので、お礼を言った。
列車はゆっくりと高原地帯を進んでいった。少しづつ高度をかせいでいくようだ。
茶畑をチラホラ見掛けるようになってきた。
ハットン駅の1つ手前のRozelle駅で列車は停まった、単線の為の列車待ちと思っていたが、一向に発車しなかった。
プラットホームに下りていると、空軍の彼に会った、アクシデントと言っている。
何かアクシデントが起きて列車が停まっているらしい。
日本のシニア女性2人を見掛け、何かあったのですか?と声を掛けた。
この先でライフラインの修理をしているので1~2時間停車するとの事。
お互いのスリランカ旅行の話をした、彼女らはサファリが好かったと言っていた。
彼女らは1等車に乗っていたので、よく座席が取れましたね!と聞くと、ガイドさん曰く人気の鉄道ルートで中々取れないが裏ルートがあって手に入れたそうだ。
座席に戻り小説を読んでいると、先ほどの彼女らが「これから面白いものが見れるよ!」と呼びに来てくれた。
列車の最後尾に小さな保線作業用軌道車を長いロープで繋いで牽引しようとしていた。
彼女らのガイドが説明してくれた。上り坂の勾配がきついので列車に牽引してもらい、上り切ると後は惰性で下る。
それは解るが、こんな山間部に人力の軌道車がある事が理解できない。
昔、日本にも2人が対面で遊戯のシーソーの様に手で上下させて進む軌道車があったが、それと似た人力の軌道車をここで見るとは!!
対向列車が通過して行ったので列車に乗り込んだ。
Rozelle駅に列車は2時間ほど停車していた。
ハットン駅に着いた、ここから1時間でナーヌ・オヤ駅に着く。
スリランカの鉄道のお奨め景勝区間にキャンディ~バドゥッラ間があげられている。
「どこまで行っても広がる茶畑の緑とその間を縫って流れる小川や滝の風景を見る事ができる。」とある。
その様な風景が続くようになってナーヌ・オヤ駅に着いた。15時になっていた。
空軍の彼が、下車するのを確認に来ていた、お礼を言って降りた。
プラットホームに降りると、客引きがぴったりと私に付いて来た。
客引きが駅前に停まっているワンボックスカーに案内し、ヌワラ・エリヤまでRs.100で乗って行けと行った。
車に西洋人の新婚さん風が出発を待っていた、新婚さんを迎えに来た車?らしい。それに便乗する感じである。
車に乗り込み、ヌワラ・エリヤに向かった。
車の中で客引きがホテルのパンフレットを見せて、ここに泊まらないかと言ってきた。それは、グレン・フォール・インであった。
ガイドブックにも乗っているホテルで、気に入らないければ、他のホテルにも歩いて行けるので行く事にした。
山小屋風のゲストハウスでまだ新しい。
ワンボックスカーは、私を降ろして別のホテルに向かった。
3階のスイートに案内された、宿泊費はRs.3,000との事、広すぎると言うと2階の部屋に案内されRs.2,000(1,550円)で泊まる事にした。
客引きは、次にホートン・プレインズとワールズ・エンドへのツアーに誘ってきたが断わり、Rs.100を払って部屋に入った。
部屋内は、ひんやりしていた。
列車が遅れたので夕方まで残り時間が少なくなったが、ビクトリア・パークとヌワラ・エリヤの中心街に行く事にした。
半袖では、少し寒いので長袖Tシャツを着た。
畑の中に民家やホテルが点在する中を歩く、帰り道に迷わない様に目印を見付けながら歩いた。
イギリス植民地時代に避暑地として栄えたそうで、その頃の雰囲気が残っている。
ビクトリア・パークを通り抜け出来て中心街に出られるのであれば入ろうと思ったが、チケット売場で「ワン ゲート」と言われてしまった。
ビクトリア・パークとゴルフ場に挟まれた道路を中心街に向かった。
大木2本が切り倒すれていた???
すぐに中心街に着いた。グレン・フォール・インから15分ほどであった。
中心街への入口にバスターミナルがあり入った。
明日、ティー・ファクトリー(茶の精製工場)のラブーケリー・ティー・センターに行く予定にしているので、そこ行きのバス乗場を探したが分からず、案内所で聞き確認した。
バスターミナルの向かいに郵便局が見えた、コロニアル建築であるそうだがピンク色が色あせ、みすぼらしく見えた。
バスターミナル近くのレストランに入った。パンが陳列ケースに入り、その奥にカレーや中華があった。
夕食が近いので、細長いパンにカレーを挟んだカレーパンにしておいた。
ホテルに戻ると、夕食はカレーで良いかと聞かれ、OKした。
先ほどパンを食べたので、夕食は遅めにして、部屋に入った。
寒い、ベッドにもぐり込み小説を読んだ。
19時ごろ、長袖Tシャツにトレーナーを重ね着して食堂に行った。
ビールを飲みながら待つと、数種のカレーが小皿に載って並べられた。
ご飯に2~3種類のカレーを掛けミックスして食べた。美味い。
20時ごろ寝た。寒い。