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いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

アンコールワット旅行 10月25日 シェムリアップ滞在

2013年12月13日 | アンコールワット2013/10/16~
6時起床。

起きてすぐ、プサルー・マーケットに向った。
リラリゾG.H.から400mほどの距離だ。
国道6号線を歩いていると、大きな箒で道路の端を掃いているおばちゃん作業員を見掛けた。
道路の端に砂が薄っすらと積もっているのを掃いているのだ、お蔭でバイクも自転車も安全に走行できる。
 国道6号線
   

プサルーの手前の狭い路地に野菜が売られていた。以前はなかった。
プサルー市場周りの通路には従来通り野菜を売っているが少なくなっていた。先ほどの路地に移った様だ。
カット野菜をその場で作って売る野菜屋も無くなっていた、不衛生の為か??
 

以前無かった味噌?香菜や漬物屋が目に留まった。
  

市場内で売っていた乾物が外周通路で売られていた。
味の素は当然知っているが味丹は中国製?。
   

肉類は鶏肉がほとんどであったが、今は、豚肉、牛肉も増えて来た。

胡椒の実、3mmほどの実を樽に入れ売っていた。
レストランで生胡椒をかじり、今日大きな樽に入った胡椒を見るとカンボジア胡椒の生産が多くなって流通するようになったのか!! それとも今まで私が気付かなかっただけか!!

カンボジア胡椒を知ったのは、TV番組で日本人が1997年に胡椒栽培をはじめ、事業が軌道に乗るまでを放送していた。日本に輸出しようとしたがまったく売れず、アンコールワットに来る日本人に売ったり、カンボジア国内で徐々に売れ、今ではドイツで高級胡椒として売れているそうです。
「世界一美味しいといわれたカンボジアの胡椒はポルポト政権が米の作付けだけを強制した為、700年の歴史がある胡椒栽培が壊滅状態になった。1979年、ポルポト政権から解放された胡椒農家が畑に戻ると、数本の胡椒の木がかろうじてまだ生き残っていた。そこから、カンボジア胡椒の復活が始まった。」という物語があるそうです。

1時間ほどで戻った。
ハンモック・カフェに朝食に行った。
コーヒーとトースト&オムレスであった。
Aさんがハンモックで横になっていた。
遺跡巡りはまったくしていない、出掛けるのは長期滞在のDさんと夜にパブ・ストリートに飲みに行くぐらいだと言っていた。
Aさんは今回の行き先をバリ島かシェムリアップか迷ってシェムリアップにした。エアアジアで羽田~バンコク(クアラルンプール経由)が往復\27,000で買えたのでシェムリアップに来た様だ。
私もエアアジアの関西空港~バンコク(クアラルンプール経由)チケット価格が往復\37,000と1万円ほど下がったので9月末に購入した。しかし、3日後に再検索すると\27,000程度と更に1万円ダウンしていた。だからエアアジアのチケットを買うタイミングが難しい。

旅の予定では明日、トレサップ湖を高速ボートでプノンペンに行く事になっている。フロントでプノンペン行きボートチケットを買えるか聞くとボートは運航していないとの事だ。
一番楽しみにしていた「トレサップ湖の高速ボートでプノンペンへ」が駄目だとは何と!!!!
この先の旅ルートのシェムリアップ→プノンペン→シアヌークビル→コッコン(国境)→バンコクを行く気がしなくなった。

部屋にもどりタブレットでヤフー・ニュースを読んだ後、ハンモック・カフェに行きハンモックで横になった。
先日までハンモックが1ヶしか掛かっていなかったが、3ヶに増えていた。
ハンモックで小説を読んでいるとC子さんが来て同じ様にハンモックに横になった。
彼女も遺跡巡りをして他の時間はリラリゾG.H.で、まったりした時間を過ごしているそうだ。

昼前、オールドマーケットに昼食に出掛けた。
雲っているので歩くことにした。
国道6号線を歩いていると、トゥクトゥクが停まって、日本人男性が降りてパソコン・ショップに入って行った。トゥクトゥクには若い男女が乗っており、そのまま走って行った。
昨日あたりからリラリゾG.H.で見掛ける様になった。若い男女は日本人でない、多分タイ語を話していた。リラリゾG.H.は日本人以外を宿泊させるのかと思っていたので気になっていた。

一昨日乗ったUS$0.5運ちゃんが近付いて来た、すでに距離の半分ほどを歩いていたので断わった。
もう10分も早く来て待っていたら乗っただろう。
シェムリアップ川を渡り、川沿いに歩いた。

オールドマーケットとその北側にあるパブ・ストリートに挟まれたエリアにパブ・ストリートと平行に路地がある。
その路地をパブ・ストリート・アリーと言うそうだ。路地の両側にレストランやバーが並ぶ。
カラフルなテーブルクロスのレストランに入った。
シーフード焼きそばとビール大を頼んだ。
ビールを飲みながら通りを行き交う人々を見るのが好きだが、この路地は人が少なく、自転車、バイクや車も通れないのでつまらない。
つまらなくしていると、ウエイトレスが相手をしてくれた。日本人ですか?と英語で私はカタコトの英語であった。
リラリゾG.H.では会話はすべて日本語ですむので大変楽だ。だが、ますます英会話が出来なくなっていく。
支払いは別のウエイトレスが来て、支払いが終わるとシェーシェーと言われてしまった。速攻でI am Japanese!と言っていた。


部屋に戻り、タブレットで遊んだ。
Googleの計算ソフトを試してみた。見た目の画面はエクセルと同じで計算式も同じだが、入力方法が面倒くさい、他のやり方を試したがエクセルの様には行かなかった。
計算が面倒くさいので、マス目を使って旅の予定表を作ってみた。
「トレサップ湖の高速ボートでプノンペンへ」と考えていたがボートの運休でバス移動になる、それにリラリゾG.H.での居心地が良いのとで予定変更し予定表を作ってみた。
10月30日にプノンペンへ移動し、31日にシアヌークビル、11月1日にバンコクへ向う。

夕食は今日もフリーダム・ホテルのレストランに行った。
近いのでついつい、このレストランにしてしまう。他に探そうとしないのが悪いのだ。
シーフード香菜春雨サラダとアンコールビール大にした。
香菜も歯ごたえがあるが、野菜炒めの野菜ほどではない。シェムリアップの野菜は硬い、噛んでいると顎が痛くなる。
帰り際にウエイターに日本語で「また明日!」と言われてしまった。

アンコールワット旅行 10月24日 シェムリアップ滞在

2013年12月11日 | アンコールワット2013/10/16~
6時起床。晴れ。

ベッドに寝そべり、タブレットでヤフー・ニュースを読む。

ハンモック・カフェに朝食に行った。
コーヒーを頼む、今日はサンドイッチだった。

朝食後、ロビーで小説を読んだ。
この時間帯、部屋を空ける様にしている。
洗濯物のポロシャツ、Tシャツや短パンを網かごに入れておくと、スタッフが毎日取りに来てくる。それとベッドメイキングの為である。
洗濯物は夕方に部屋に届けてくれる。
シェムリアップは暑く、毎日汗をかくので、このサービスに大変助かっている。

B女史がロビーに入って来た、「10時ごろになると、いつも自転車で出かけられますね!」と声を掛けた。「一様、仕事をしていますので!」と返ってきた。
日本語&英語の先生をしていると聞いていた。


昼食にオールドマーケットに行く事にしてリラリゾG.H.を出た。
バイクタクシーの運ちゃんが迎えに来た様に寄って来た。
オールドマーケットまでUS$1とのこと、ハーフダラー(US$0.5)と値切るとOKした。
ハーフダラーとダメもとで行って見たが、OKとは驚いた。地元価格だろう。
オールドマーケットに着いて2,000リエルを払った。ちょっと値切り過ぎかと思い1,000リエルをチップとして渡した。

オールドマーケット脇のいつも行くレストランは料理が悪くなったので行くのを止めた。
ぶらぶら探した。
スポーツ・バーがあったので生ビールを飲みに入った。
TVで、サッカーをしていた。どこの対戦だろう?
昨日、マンチェスターUの香川真司が久しぶりに先発出場して活躍したとヤフー・ニュースに載っていた。
その試合を放送していないかと思ったが違った。
次にTVを見た時、赤いユニフォームに気付いた。香川信司が走っている。
カウンターに移り、焼き飯を頼んで試合を見た。
ほとんどフルで試合を見れた。

マッサージ店の前を通ると料金表チラシを渡された、ボディ・マッサージ2時間 US$10となっている。
タイマッサージほどではなく、余り期待しないがボディ・マッサージを受ける事にした。
中でも最も若い人が私をマッサージする順番になった。
若いし、細いし、2時間マッサージ出来るのか不安を感じた。
店に案内された、1階はフットマッサージで2階がボディ・マッサージであった。
2階に上がると3人ほどがマッサージを受けていた。
システムも設備もタイと同じだ。
マッサージのやり方は、もむのではなく、オイル・マッサージの様に撫ぜ押さえる感じであった。
心配があたった、1時間30分も経つと片手だけが動いているだけだ。利き手でない方は動いていない。
2時間持たなかった、マッサージの腕も悪かった。


17時だ、夕食には、まだ早いが食事していく事にした。
ぶらぶら歩いた。
パブ・ストリートの西にある通りに、店先にシーフードを並べたレストランor食堂が3軒並んでいた。
イカを指差し、バーベキューと注文した。
ビールを飲みながら待つと、イカの野菜炒めが出て来た。
生胡椒(なまこしょう)が添えられている、いや一緒に炒められていた。
生胡椒は手のひらほどの長さのつるに直径3ミリメートルほどの胡椒の実がぶどうの様に付いていた。
しかし、この生胡椒がかじった様に部分的に胡椒の実が付いていない。
生胡椒の使い回しか???
4日前にも別のレストランでイカの野菜炒めを食べ、生胡椒が付いていたのでかじった。その生胡椒に私がかじった痕と同じ痕跡が1ヶ所付いていた。もしかして使い回し???と感じた。
今回は胡椒の実が半分しか残っていない、明らかに不自然である。
気付いてから食べるのをやめた。

オールドマーケット南のシェムリアップ川の橋を渡り、いつもの場所でバイクタクシーを拾った。
今日は、バイタク代US$0.5で交渉成立した。バイタク代US$1.5、US$1、US$0.5と数回乗る度に下がって行った。
日が落ちた頃、リラリゾG.H.に帰った。

アンコールワット旅行 10月23日(2) アンコールワットへ

2013年12月08日 | アンコールワット2013/10/16~
アンコールワット東門に向った。
10時30分ごろになっている。
運ちゃんには西側で待つ様に言った。
遮断機ゲートをくぐり、陸橋を渡った。こちらは裏門にあたる。
関係車両も陸橋を渡れ、アンコールワット中心部付近まで行ける。

東門が見えて来た。
  

東門から続く参道越しにアンコールワットの中央祠堂が見える。
ここからのアンコールワットが神秘的で好きだ。
   

西参道からのアンコールワットとは一味違う風景だ。
第一回廊から中央祠堂の距離が近い。
 

ここに大きなハングル文字で何か書いた電気自動車が停まっていた。
韓国人10人ほどのグループが電気自動車に乗って帰って行った。日程が詰まっていて急いでいるのか!!
アンコールワットを西塔門から入り見物し終わって東門に抜けて行ったのだろう。
西から東に抜けるコースを行く観光客もいるが、ここから電気自動車を使うのは韓国人だけの様だ。
他の客は東参道を歩き、振り返って参道越しにアンコールワットの中央祠堂を仰ぎ見て記念写真を撮る。
この神秘的なアンコールワットを見ないで帰るのはもったいない。 

木の柵のすき間から基壇に入る。
目の前に第一回廊が高い壁の様に見える。
一昨日レリーフを見て廻った第一回廊から第二回廊、第三回廊、中央尖塔群を仰ぎ見る。
 

疲れて来た、残り体力が少なくなった様だ。
最上階にあたる第三回廊に急いだ。
第三回廊への階段に列が出来ていた。
帽子を脱ぐ様に職員に指示され、急勾配の鉄階段を登る。
 第三回廊への鉄階段     閉鎖 石階段
  

第三回廊からのこの景色が一番美しい。
昔、王様だけが見られた景色だろう。
 


アンコールワットの風化 
「アンコール・ワットでは,建築石材として砂岩とラテライトがおもに用いられている。砂岩はおもに建築物の表面に,またラテライトは内部に用いられている。」とある。
建築物表面の砂岩しか見えないので、内部の事まで思いもよらない。
アンコールワット環濠の内側にある周壁はラテライトで出来ているのは知っていた。
第三回廊基部の表面の砂岩が落ちてラテライトの内部がむき出した。
 内部のラテライト(茶色い石)
  

第三回廊の四隅にある張り出した場所、12年前には西欧人が昼寝をしていた所だ。
今は立入り禁止である。
砂岩と砂岩のすき間が広がり、前に傾いている。
  

十字回廊の柱の基部
 



十字回廊の正面からテラス、西参道越し西塔門が見えた。
第一回廊の正面入り口は通行禁止になっている。
 

参道から寄り道して北聖池から1枚写真を撮った。人気の記念撮影ポイントだ。 
 

アンコールワットを東門から西に通り抜けた。
12時になっていた。
もうくたくただ、運ちゃんにリラリゾG.H.に帰るように言った。

シャワーを浴び、着替えて冷蔵庫から缶ビールを出して飲んだ。
ビールがうまい。
立て続けに2缶飲んでしまった。

昼食が遅くなった。
近くのレストランでミートソース・スパゲティと缶ビールを頼んだ。
スパゲティを食べたかったので注文したが、いつもの中華系レストランでは私が作るスパゲティと変わらず、もうひとつだった。          

2時間ほど昼寝した後、タブレットで日記をメモった。
AndroidのGoogle・officeはローマ字入力できるが、携帯電話のショートメールと同じで予測候補文字から選択する方式で慣れていないのでストレスを感じる。
帰国後、自分のパソコンのGoogleアプリで入力した日記メモデータを使える事を期待して入力した。

夕食は、今日もクメールのエビ・カレー&ライス、ビール大にした。
レストランからの帰り、アンコール缶ビール4缶US$2で買った帰った。
缶ビールが安いのが嬉しい。

アンコールワット旅行 10月23日(1) タ・プロームへ

2013年12月05日 | アンコールワット2013/10/16~
タ・プローム

6時起床。晴れ。

ベッドに寝そべり、タブレットでヤフー・ニュースを読む。

いつもより早く、ハンモック・カフェに朝食に行った。
AさんとC子さんも来ていた。
コーヒーを頼んだ。
コーヒーと焼きそばが運ばれて来た。朝から焼きそばとは! ビールが欲しい。
C子さんは、フィリピン、マレー半島を北上してバンコク、そしてここに来た、日本を出て1ヶ月半だそうだ。
今日は、アンコールワットに行くと話すとAさんは今回は遺跡には行かずに、ここでぐだぐだしてると言われていた。

8時出発は少し忙しい、私も遅れたが、それ以上に、運ちゃんも遅れた。
バイクの後ろに乗り出掛けた。
アンコールワットに近付き、運ちゃんはアンコールワットでいいのかと確認して来た。
バンテアイ・クデイ、タ・プローム、アンコールワットの順で廻ろうと伝えた。
アンコールワットの環濠に突き当り右に曲がった。
アンコールワット東門に近付き、最後でここからアンコールワットに入ると伝えた。

バンテアイ・クデイに着き、外周壁の東塔門前でバイクを降りた。
運ちゃんが反対側で待つと言った。
真直ぐ通り抜けると西塔門に出る、そこで待つとの事だ。
東塔門と向かい合うようにスラ・スランがあり、先に行った。
「スラスランは王のための沐浴池である。東西700メートル、南北350メートルの大きさを持つ。周囲には石段が設けられており、西側には砂岩のテラスがある。」とある。
テラスから大きな池を見た。
 スラ・スラン
 

スラ・スランのテラスから振り返るとバンテアイ・クデイの東塔門が見える。
バイヨン寺院の人面塔を持った塔門だ。
 バンテアイ・クデイの東塔門
  

外周壁の東塔門をくぐると森の中に砂道が続く、静かな森の中の参道だ。
東塔門が見えて来た。
東塔門の前にテラスがあり、テラスの横に池(聖池or環濠)がある。
  

仏教寺院内部はさまざまな建物が並ぶ構成になり、一直線に通り抜けられる。
  

中央祠堂を過ぎると西塔門に出る。
  

西塔門から森の中の参道をさらに西に歩くと外周壁の西塔門に出た。
外周壁の西塔門の人面塔がなかば崩壊していた。

バイクの後ろに乗り北に2分ほど走るとタ・プロームに着いた。
東門前は土産物屋や物売りでにぎわっている。
小回りコースのルート道路沿いに西門があり、そこが正門だと思っていたがここが正門らしい。
森の中の参道を歩く。
 

参道を歩いていると聞き覚えのメロディが聞こえて来た。
カンボジア内戦で負傷した人達が楽団を組んで演奏しているのだ。
それはアリランであった。韓国人観光客のガイドが仕組んだのだろう。
アンコールの静かな森の中でこのメロディは似合わない。
周壁の東塔門が見えて来た。
  

タ・プロームといえば遺跡に食い込むカジュマルの根だ。
     

     

寺院の周壁が崩れ落ちた石材が散乱して、崩壊が進んでいる??
修復が進んでいる様にも見えず、木道を整備して観光客による傷みを軽減している。
  

  

  

12年前に初めて来た時と比べると散乱した石材は整理され、崩壊の危機も脱した様に感じる。
カジュマルの木の根により崩壊がどんどん進むと言われていた。
しかし、今は「現在ここで議論が沸き起こっている。熱帯の巨大な樹木は遺跡を破壊しているのか、それともいまや遺跡を支えているのかという議論である。」と言われている。

参道でアリランの演奏を聞いたので韓国人観光客が多くいるのかと思っていたが、見掛けなかった。
あのアリランは何だったのか? 
私を韓国人と思ってアリランを演奏してチップをもらおうとしたのか?

後半に続く。

アンコールワット旅行 10月22日 アプサラダンス

2013年12月02日 | アンコールワット2013/10/16~
6時起床。

ベッドに寝そべり、タブレットでヤフー・ニュースを読む。

ハンモック・カフェに朝食に行った。
スタッフにコーヒーを頼む。
Aさんがハンモックでスマートフォンをいじっていた。朝食は終わった様だ。
横のテーブルにつくと「宿泊客が少ないですね」と声を掛けられた。
「いつ着いたのか?」と聞くと一昨日の夕方に着いたと言われていた。

バンコクのルンビニ公園からカジノ・バスでアランヤプラテート/ポイペト国境に行って、ポイペトから乗合タクシーでシェムリアップに着いたそうだ。カジノバス代 THB200、乗合いタクシー代 US$10~20。
ポイペトでのカンボジア到着ビザは、US$20(\2,000)と手数料THB100(\300)。手数料THB100と掲示しているらしい、それでも手数料を拒否する人もいるそうだ。
ビザ代 US$20(\2,000)+THB100(\300)=\2,300。手数料は別として、昔から公式には到着ビザはUS$20であったが、ポイペトでは12年前、6年前に、手数料込みでTHB1,000取られた。いつから公式通りになったのか。

今日の朝食は、トースト3枚とオムレツであった。
女性がハンモック・カフェにやって来た。C子さんも昨日着いたそうだ。
これで旅行客が私を入れて3名の様だ。
他に、長期滞在者が男女各1名居られる。B女史の方は1年半前に来た時も滞在されていた。

ハンモック・カフェにあるハンモックで寝ながら小説を読もうとしたが運ちゃんが先客でいた。
前回はハンモックが3本掛かっていたが、今回は1本だけだ。
ロビーで小説を読んだ。
運ちゃんが今晩アプサラ・ダンスに行くか聞きに来た。行くと答えると、その足で予約に行ってくれた。
昨日に今日の予定を聞かれ、アプサラ・ダンスにでも行こうかと行っていたのだ。
長期滞在のB女史が自転車でどこかへ出掛けて行った。前回来た時も10時ごろになると自転車でどこかえ出掛けいた、それで良く覚えているのだ。
もう1人の男性も自転車でどこかへ出掛けて行った。

オールドマーケットに昼食に行こうとゲストハウスを出た。
国道6号線に出た所でバイクタクシーやトゥクトゥクが客待ちしている。
今日は天気が良く、今だけかも知れないが? 歩いて行くのが辛いのでバイタクに声を掛けた。
オールドマーケットまでUS$1.5との事、US$1で交渉成立した。

行きつけのオールドマーケット脇レストランでヌードル・スープと生ビールを頼んだ。
ビールを飲みながら、通りを行き交う人々を見て、ゆっくりとした時間を過ごすのが好きだ。
出されたヌードル・スープは麺&具の少ないスープであった。一昨日の野菜炒めもそうだが量が少ない。
次回はレストランを変えよう。        

帰りもバイクタクシーに乗ることにし、シェムリアップ川の橋を渡った。客待ちしているバイクタクシーと価格交渉した。
一昨日はUS$1.5であったが、今回はUS$1で交渉成立した。

リラリゾG.H.の部屋に戻った。
A6サイズのノートを持ち歩いている。日記を書くためである。2日も経てば何をしていたのか忘れてしまうので箇条書きにメモするためだ。
タブレットのソフトにQuickofficeというのがあり、マイクロソフトのエクセル&ワードに相当する。
これを使って日記をメモしようと考えトライした。
携帯電話のメール入力と同じだ。ただし、キーボードが画面に出るのでローマ字入力ができる。
ただ、インターネットに繋がっていないと、このソフトは使えない。「クラウド」というのだ。
タブレットを持っていてもWebに繋がらないと使い道がないというのも釈然としない。ソフトの文章や表計算ぐらいインストールできればいいのにと思う。

18時ごろ、運ちゃんが向かいに来た。
オールドマーケット近くのアプサラダンス・ディナーショーの店に着いた。
大勢の客が来ていて、ビュッフェにも並んでいた。
運ちゃんが席に案内してくれた。舞台の左側の一番前の席で舞台が良く見えた。
食事が終わる頃にアプサラ・ダンスが始まります。と言って下がって行った。

ビールを頼んでビュッフェを取りに行った。
中華ビュッフェであった。少しずつ5種類ほどの中華を大皿に取った。奥の部屋にも何か有りそうだ。
中華を食べ終わって、果物を取りに行って奥の部屋を覗くとお粥とヌードルがあったのでヌードルをもらった。

農民ダンスが始まった。
 

私のテーブルは2人用、私の左側も2人用テーブルで日本人男性が座っていた。右側には西欧人夫婦と子供2人が座っていた。
農民ダンスが始まると中国人女性3人が私達の前に現れた。
前に立たれたらダンスが見えない。まわりからブーイング!
西欧人の奥さんが席を外していた。その中国人が、黙って奥さんの席に座った。
旦那さんが慌てて何か言っている、中国人も言い返している。
子供たちはあきれ、私はあっけにとられた。
次にインド人の席に行って同じ様にあしらわれていた。
私のテーブルも、横の日本人1人のテーブルにも椅子は1脚だけだ。
中国人客が空いている椅子があれば、勝手に座りトラブルになるのだろう。
その対策が不要な椅子は置かない??

次に中国人女性は後ろから椅子を持って来て私の前に座った。
その椅子に中国人が行こうとして西欧人子供2人に制止されたが強引に進んだ。
私はフラッシュをたいて連写してやった。
横の日本人は、それを見ていて、思わずふきだしていた!!
西欧人の奥さんは、私を不思議な顔で見ていた。憮然とした私の顔が無表情で不気味だったのか?? イエーと親指でも立てれば、ニッコリしたのか?? 
 
 (だれか判らないと思うので載せました)

アプサラ・ダンスが始まった。
立ち上がって写真を撮りたいが、後ろの人達の邪魔になるので座った状態で撮ったり、カメラだけ高く上げシャッターを切っていた。
   

後ろに人の気配を感じて振り向くと、中国人が大勢立っていた。
舞台の近くで立ったら後ろの人が見えないだろう!!!
次に後ろでざわざわしだした、振り向くとテーブルで雑談している、ダンスに飽きたのだろう。

舞台の左側はアジア人、中央&右側が西欧人と一部日本人と席は住み分けられていた。
中央&右側は比較的静かに鑑賞している。舞台前に写真を撮りに来るが、すぐに席にもどる。
それにひきかえ、こちら側は中国人が多く、マナーが悪いのでかき回されている感じだ。

ダンスが終り、舞台に出演者が集合していた。ダンスは1時間ほどだった。
運ちゃんが来て、舞台へ上がれ写真を撮ってやると言われたが断わる。
記念写真タイムの様だが、客は誰も上がらない。誰か1人上がれば、みんながそれに続くのだろ。
フタッフが請求書を持って来た。ビュッフェUS$12、アンコールビール大US$3.5。

アプサラ・ダンスを見に来たのか、中国人観光客のマナーの悪さを見に来たのかわからない!!!!

運ちゃんに明朝8時に迎えに来るように頼んで部屋にもどった。

アンコールワット旅行 10月21日 バイヨンへ

2013年11月30日 | アンコールワット2013/10/16~
バイヨン寺院

11時30分ごろになっていた、アンコールワットを見終わって、疲れたのでリラリゾG.H.に戻ろうかと思ったが、運ちゃんが次に行く気満々なので釣られてバイヨンに行った。
北に向かうとアンコール・トムの南大門に着く、バイクは停まらず直進した。もし、停まれば行けと指示しようと考えていた。
直進するとバイヨン寺院に突き当る。

1年半前来た時、「バイヨン寺院に突き当って大きなハングル文字が飛び込んで来た。ミニクレーンを覆うシートがあり、そのシートにハングル文字が大きくあった。バイヨンの修復事業をまさに韓国がしているとアピールしている様である。バイヨンは日本国政府アンコール遺跡救済チームとカンボジアのアプサラ機構が担当している。5年前来た時は、上智大学が行なっていた。」という経験を1年半前にした。

今回はどうかと、真っ先に思った。
日除けのシートは、白い無地や3色パラソルに変わり、文字は無かった。

東側入口のテラスからバイヨン寺院を見ても崩壊が激しく構造が良く分からない。
「基本的には二重の回廊と、その中心に位置する高さ43メートルの中央祠堂からなる。中央祠堂とその周囲に配置された16の塔堂を巡るテラスがある。」とあるが、圧倒されるが、ただの岩山の様だ。
近付くと観世音菩薩とされる顔を刻んだ人面塔が見えてくる。
 テラスからのバイヨン寺院
 

 観世音菩薩の人面塔
    

    

正面の反対側に行くと乾季には、赤土がむき出しになっている環濠?ただのくぼみ?であるが、雨期には今日の様に水があり水草が覆う環濠?池?となり見栄えが良い。
 

12時30分ごろ、次に向った。
運ちゃんには「小回りコース」だけしか言っていないので運ちゃん任せだ。
運ちゃんが雨が降りそうだと言った。
タ・ケウに向っている。雨がポツポツ落ちて来た。
冷たい雨だ。タ・ケウが見えて来た、写真を撮るかと運ちゃんに聞かれたがいいから行けと伝えた。
間もなく運ちゃんは店の前でバイクを停めた。そこで雨宿りだ。
テントを張った小さな店が2軒あり、土産物屋と服や布を売る店だ。
もう少しでタ・プロームがあり、入口に食堂がある。そこまで行けば食事もでき、ビールも飲めると思っていたが、ここで停まってしまった。
店の女の子に椅子を勧められ、こんな時の為文庫本を持ち歩いており、座って小説を読んだ。

いつだったか忘れたがここで水を買った事がある。
缶ビールがあるのでは?と思い聞くとあった。1缶買って飲んだ。
雨は土砂降りだ。
小さなテント店で雨が吹き込んでくる。商品が濡れない様にシートを掛けていた。

トゥクトゥクで隊列を組んで観光するのが中国人観光客に人気がある。
トゥクトゥクは、運ちゃんはポンチョをかぶり、座席は幌で被われている。
隊列が停まった。幌から客が降りて来て、林の中に入って行った。トイレがあるのだ。
ここはタ・ケウの参道入口であるが、誰もここから歩かない。

土砂降りの雨は一向にやまなかった。
何組かのトゥクトゥクの隊列が停まった。
1時間ほどで雨はやむだろうと思っていたが、土砂降りが少し弱まるがまた土砂降りと何回か繰り返し、1時間半ほどでやっと小雨になった。

運ちゃんに行こうと言われ、バイクに乗る。
バイクで走り出して、間もなく、また降って来た。
タ・プロームを通り過ぎ、運ちゃんにスラ・スラン横のレストランに案内された。
雨に濡れて少し寒い、エアコンがきいていれば寒いだろうと心配したが天井ファンだけであった。
スタッフがメニューを持ってきたが、運ちゃんがカレーを勧めたのでカレーと缶ビールにした。
運ちゃんは奥にいると言って出て行った。まかないを食べるのだろう。
クメール・カレーはココナッツミルクを使い、少し甘いカレーであるが美味しい。
シェムリアップに来てから毎日食べている。
缶ビールUS$2.5、 カレー+ライスUS$7でシェムリアップのレストランより相当高い。

雨は土砂降りではないが、降ったりやんだりしていた。
運ちゃんがタ・プロームに行こうとやって来たが、もうリラリゾG.H.に戻れと言って出た。
途中、雨が降って来たのでポンチョを出してかぶった。
遺跡エリアを抜けると雨はやんだ。
いや、道路を見ると雨に濡れていない、この辺りは雨が降っていないのだ。
遺跡エリアだけが3時間近く豪雨と、しとしと雨とは驚きだ。

部屋で昼寝した。
夕方、今度はこの辺りで土砂降りの雨が降った。

今日も夕食にフリーダム・ホテルのレストランに行った。
2日連続、ここでクメール・カレーを食べた。今日はおばちゃんウェートレスがメニューでこれがいいと薦めてくれた。
英語で書かれたメニューでは、シーフード・サラダである事だけは理解できた。
出て来た料理は、シーフード香菜春雨サラダであった。
カービングらしいトマトで作ったバラが副えられていて、コックの自信作!!
スパイシーさはほど良く、うまかった。春雨も量が少なく邪魔しない。
ライスが付いて来たが??、必要ない。

タブレットでヤフー・ニュースを読んだりしていた。
缶ビールがあると思い冷蔵庫を覗くと無い。
ゲストハウスに缶ビールを置いているが、Aさんに教えてもらった缶ビールUS$0.5の店に行って見る事にした。
しかし、その店は閉まっていたので大通りの酒屋に行った。
奥さんは携帯電話中で、旦那さんが対応してくれた。
缶ビール4缶を取り、価格を聞かずにUS$2を渡そうとした、US$4だと言われたがUS$2だと言って私は退かなかった。
電話中の奥さんをちらっと見ながら、旦那さんはUS$2を受け取った。
缶ビールの地元価格はUS$0.5(\50)なのだ!!!!

アンコールワット旅行 10月21日 アンコールワットへ

2013年11月27日 | アンコールワット2013/10/16~
6時起床。

ベッドに寝そべり、タブレットをWiFiに繋ぎヤフー・ニュースを読む。
日常生活と変わらない、ベッドではないがパソコンで毎朝ヤフー・ニュースを読むのは日本と変わらない。

ハンモック・カフェに朝食に行った。
今日も誰もいない。
コーヒーを頼む。
今日は、フランスパンの半分を使ったサンドイッチであった。
ミンチと玉ねぎを炒めレタスに包んでサンドイッチにしている。うまい。

ロビーのソファに座り小説を読んだ。
Aさんが缶ビールの入ったレジ袋をさげて入って来た、ここは雰囲気が変わりましたねと声を掛けられた。
私が「確かパソコンが並んでいて」、Aさんが「その端に洗濯物が積上げられていた」と話した。
Aさんの歳は私と同じ位か? 彼も私もリラリゾG.H.は初めてでは無いようだ。
ここから奥に行くと缶ビールがUS$0.5で買える店があると教えてくれた。


9時ごろ、アンコールワットに行く準備をして、フロントを覗いたが誰も居なかった。
前日までに観光ツアーをお願いしなければならないが、予約していなかった。
ハンモック・カフェや新設カフェに運ちゃん達がいつも屯している。
屯しているとは聞こえが悪いが、常時4人ほどいる。リラリゾG.H.のスタッフと見分けがつかない時もある。
宿泊客が暇そうにしていると話し掛けて相手をしてくれる。特に女性客には親切だ。
運ちゃんにアンコールワットに行きたいと声を掛けるとトゥクトゥクorバイクと聞かれ、バイクと答えると俺やな!という感じで青年?がバイクを押して来た。
「アンコール遺跡小回りコース」を頼んだ。料金表があって、US$12である。

バイクの後ろに乗ったが、運ちゃんはヘルメットもかぶらず!!!と思っていると、狭い路地を入って彼の自宅に着いた。
妹さんとおばあさんに迎えられ、中へ入れと言われたが玄関で待った。
ヘルメットとウィンドブレーカーを持って運ちゃんは出て来た。
バイクの後ろに乗り、アンコールワットに向った。

途中、道路脇に少し入ったチケットブースで1週間有効の3日券(US$40)を買い、検札を受けてアンコールワットに向った。
10時前にアンコールワットに着いた。
11時30分ごろに戻ると行って運ちゃんと別れた。
環濠越しに西塔門が見え、奥に中央塔が小さく見えた。
午前中は、逆光になって細部は見えない。
15時ごろに来て2時間ほどアンコールワットを見て、夕日を見にプノンバケンに行くのが定番のコースである。
しかし、今の時期は午後になるとスコールが来るので仕方なく午前中に来た。
 環濠越しの西塔門
 

環濠に掛かる陸橋を歩いて行く。
 陸橋 (歩いた陸橋を振り返る)
 

西塔門の中央の塔門(正面入口)を通り抜けると西参道越しにアンコールワット中心部が見えた。
ここで、いつも「おおー!!」と感嘆の声をあげる。
 西参道越しのアンコールワット中心部
 

西塔門は両翼230mあり、参道側の側壁に多くのデヴァター(女神)が刻まれている。
南翼のデヴァターを見て歩いた。
 デヴァター(女神)
  

デヴァターを見て西塔門の南端まで行くと門があり、バイクはもちろん車でも通れそうなフラットな通路があった。
これは意外で驚きであった。
  

西塔門正面門は陸橋から1メートルほど階段を上がり参道に続く、中央部では第1回廊、第2回廊、第3回廊と高度を上げる。中央尖塔部は地上65メートルあり、仰ぎ見る様になっている。
仏教寺院遺跡やヒンズー教寺院遺跡は、丘の頂上や山の中腹に本堂があり参道を歩いて仰ぎ見る構図になっている。
しかし、ここアンコールワットは平地に建造された為、同じ効果を出すために、この様な壮大な建造物になったと言われている。

だから、陸橋からアンコールワット中心部には徐々に階段で上がって行くものと思っていたのが、この南端の門ではフラット通路になっていたので意外に感じたのだ。
その時、女性2人にガイドが付いて近付いて来た、話し声をよく聞くと日本語で話していた。
私はガイドに「なぜ、この門の通路はフラットなのか?」と尋ねると、ここは「象の門」と回答があった。
象が通り抜ける為の門なのだ。
西塔門に象の門がある事は思い出した。しかし、神聖な象に対し敬意を払って「象の門」と命名しているのだと思っていた。象が通る為の通路だとは考えていなかった。

南象の門から続く道を進んだ。
参道の北側は、北聖池越しのアンコールワット記念写真ポイントがあったり、土産物屋があるので観光客が多いエリアである。
しかし、今、参道の南側エリアを歩いている。
人がいなくて静かで良い。
  

参道脇の南経蔵の横まで聖池が氾濫していた。
参道を挟んで北経蔵も見えた。
 南経蔵
 

南経蔵の前から聖池越しにアンコールワット寺院(中心部)を眺めた。
氾濫して大きくなった南聖池越しに見るアンコールワット寺院は珍しい。
 

氾濫して大きくなった聖池の縁を歩いてアンコールワット基壇部に向った。
高さ2メートルほどの基壇部に上がる階段がそこに見えているが、氾濫した聖池で通れない。
南側に砂利道があるので回り込んだ、丁度警官が来てバイクを停めた。
警官に「水で通れない」と声を掛けた。
その時まで砂利道は通れるだろうと思っていたので、その先を見て驚いた、こちらも冠水していた。
警官がバイクの後ろに乗れと言ってくれた。私を乗せる為に停まってくれたのだ。

基壇部南西角付近に警官の詰め所とトイレがあった。奥にはお寺が見えた。
基壇部に上がる。
基壇部南西の角からアンコールワット寺院の第1回廊が見える。
基壇は東西332メートル南北258メートルと大変広い。
 

今日は、ゆっくり第1回廊を一周してレリーフ(浅浮き彫り)を見て歩こう。
アンコールワットには数回来ているが、時間が無いのでレリーフの一部しか見られない。
時間が無いと言っても体力が続く時間の事で、2時間が限度である。陸橋を渡って第3回廊まで上がって戻るには時間が無い。
今日もすでに1時間が経っている。
今日3日券を買ったが、3日間ともアンコールワットに来る積りなので、今日は第1回廊のレリーフを見れば終りである。
 

  

   

 
  

壁一面に浮き彫りされているが1/4面に浮き彫りが無くなっているところもある。
また、厚さ10センチメートルの石に浮き彫りして壁にはめ込まれているが一部掛けていた。
蟻の大群が壁をつたい繋がって歩いていたり、雨水がつたっていたりした。
修復が間に合わなくなってきている様だ、崩壊がはじまっているのか?

陸橋を渡し道路に出ると、運ちゃんが手を上げていた。

つづく。

アンコールワット旅行 10月20日 シェムリアップ滞在

2013年11月25日 | アンコールワット2013/10/16~
6時起床。

タブレットでWiFiに繋ぎ、Webでヤフー・ニュースを読む。

ハンモック・カフェという東屋で、朝食が出る。
行くと誰もいない、スタッフが来て、コーヒーor紅茶と聞いてくれ、コーヒーを頼んだ。
前回2度とも春休みの時期で学生さんが多かった、若者のみんなが、ここで朝食を取り情報交換していたが、今日は誰もいない。10月は宿泊者が少ない様だ。
今日は、インスタントラーメンであった。朝からラーメンとは!!!
 ハンモック・カフェ&リラリゾG.H.建屋
  
 ハンモック・カフェはG.H.建屋の前(写真左)にあったが、写真右側に移築されて、元の場所に新しいカフェが造られていた。

今日の予定は何もない。
明日にでもアンコールワットに行こう。
部屋でゆっくりする。


昼前にオールドマーケットに歩いて向った。
雲が多く、それほど暑くない、30分も歩けば着くだろう。
国道6号線を西に行き、シェムリアップ川に突き当り、シェムリアップ川沿いに南に歩く。
途中、シェムリアップ川沿いを写真を撮りながら散策した。
シェムリアップ川の水位は高かった。もう50cmも水位が上がれば洪水だ。
 シェムリアップ川
 

オールドマーケットのレストランで昼食にした。
イカの野菜炒めUS$2.5と生ビールにした。生ビールが半ドルで飲める、これが嬉しい。
通りを行き交う人々を見ながらゆっくりとした時間を過ごす。
生ビール2杯飲んで気持ちがいい。

帰りは、バイクタクシーに乗ろう。
オールドマーケットでバイクタクシーを拾うと吹っ掛けられるのでシェムリアップ川の橋を渡ったところで拾う。
行き先プサルー、フリーダム・ホテルでバイク代金交渉をしたが、US$1.5で決まった。確かUS$1でなかったのか??
1年半の間に値上がりしているのか??

エアコンはつけずに、天井ファンを最低速にする。
ベッドで1時間ほど昼寝をした。
夕方、雨が1時間ほど降った。

夕食はフリーダムのレストランに行った。
昨日はクメール・エビカレーであったが、今日はチキン・カレーUS$3.5 ライスUS$0.5 ビール大US$2.5を頼んだ。
このレストランでは、単品で頼めばトータルUS$6.5(\650)だ。ビールが高い。
扇風機をつけてくれるので蚊がよってこないが、日に寄って脚を刺される時がある。明日から虫除けスプレーをしてこよう。

レストラン横の小通りを挟んだ隣に酒屋があり、缶ビールと水を買った。
缶ビールUS$1であった、前回の1年半前はUS$1しなかったはずだ。

21時、就寝。

アンコールワット旅行 10月19日 シェムリアップへ

2013年11月22日 | アンコールワット2013/10/16~
6時起床。
夜中、豪雨が続いた。

雨の中、セブンイレブンへ行ってコーヒーと菓子パンを買った。サンドイッチもあるがツナが挟まっている、日本にあるハムとレタスのサンドイッチがない。
食べながらタブレットでヤフー・ニュースを読んだ。

荷物は昨夜まとめておいたので、バックパックのパッキングはすぐに終わった。
7時30分、まだ早いが雨が上がったので、バスターミナル モーチット2へ向かった。
スカイトレインBTSのモーチット駅で降りてタクシーに乗ろうとしたが、1台目は近い?と乗車拒否にあい、2台目はTHB100なら行くと言われドアを閉めた、3台目の運ちゃんが何も言わずにOKした。
BTS運賃THB42、タクシー代THB61(\190)、ホワイトロッジから40分掛かった。

乗り場106番に行くと、多くの西欧人がいたので、ここで間違いないだろう。
まだ8時過ぎだ、9時出発まで時間があるので、タブレットを出してWiFiに繋がるか試したが駄目だった。
タイの駅やバスターミナルでWiFiに繋げる為の登録ページを日本の自宅パソコンで見付け登録しパスワードを取得していたので試してみたのだが駄目だった。
シェムリアップ行き国際直行バスが来て乗車が始まった。
大きな手荷物にはタグを付けて荷物室へ、私のバックパックは必要ない車内に持ち込めという感じでタグを付けてくれなかった。
お母さんが見送りに来ているタイ人の女の子2人もいた。
バスに乗り私の座席に座ると、前の座席に先ほどのタイ人女の子2人が座り、お母さんだと思っていた人が「シャムリアップには迎えが来ています。私はこれでお別れです。」と日本語で話していた。お母さんと思っていた人はツアー会社の人で、彼女達は日本人であった!!!
日本の方ですか!と声を掛けていた。

9時15分ごろ出発した。
国際直行バスはどのルートを走るのだろうか? 出発してすぐにタイでトーウェーtollwayという有料道路に入った。
窓側席で車窓からよく見える。スワンナプーム国際空港へのエアポートレールリンクの高架が見てた。国際空港前を東へ走るようだ。
国際空港を過ぎてトーウェーを降りた所から、道路は冠水していないがその他は水に浸かっていた。
日本を出る時、台風25号が来ていたが、台風24号がベトナムからカンボジアで熱帯低気圧に変わっていた。
タイ、カンボジで洪水が起きていると10月に入って伝えられていた。それもシェムリアップへ向う方面で道路が冠水しているところがあると報道されていたの心配していた。

11時頃、トイレ休憩でドライブインに停まった。
バスにはトイレが付いているが、やはり出来るだけ使いたくない。
まだタバコを吸う人がいるのか! バスの前で3人が吸っていた。クラクションを鳴らされ乗り込んで来た。
 国際直行バス
 

丘陵地帯をアランヤプラテートに向った。
途中、兵隊の検問があった。今でも検問があるのか。
はじめて、このルートをバスで通ったとき、兵隊の検問があり、なぜか緊張したことがあった。

13時ごろ、アランヤプラテートのバス・ターミナルに着いた。
なぜ、ここで停まるのかと思っているとビザ代行業者が乗り込んで来て説明をはじめた。
カンボジア・ビザを持っていない人は、THB900(\2,780)でビザ申請を代行するとのことで、必要な者に申請用紙を、全員にカンボジア出入国カードを配った。
到着ビザを自力で取ろうと思っていたが、代行料THB900ならと安いと依頼した。
ここの国境で2度到着ビザを取ったが2回ともTHB1,000取られた、ビザ代はUS$20だと言っても受け付けてくれなかったのだ。
申請書を記入して、代行料THB900と渡した。後で気付いたが写真は不要であった。
気がつくとバスはどこかで停まっていた。
前に座っている日本の女の子に「ビザは取って来たの?」と聞くと日本で取ったとのこと。

焼き飯の弁当が配られた。量は少なかったが腹が減っていたのでうまかった。
バスを降りて乗務員に、ここは何処だと尋ねるとあそこがカンボジアだと言われた。カジノホテルが見えていた。
ビザが届いたので出発した。
首から掛けるカードを全員に配布された。
14時過ぎタイ国境ゲートでバスを降ろされ、カンボジア側で待つとのことであった。
貴重品だけ持ってタイ・イミグレーションへ向う。
出国審査に並ぶ、私達だけで35人はいるので、その他をいれても混雑する。

カンボジアのイミグレーションに向っている時、「日本の方ですね、パスポートで気付きました。」と声を掛けられた。私も日本人かな?と思っていた男性であった。
タイを周った後、カンボジアに行く、予定は決めていないと言っていた。
ビザはどうしたか尋ねるとバンコクで次の日受け取りでTHB900で取ったと言われていた。
先ほどビザ代行業者に頼んだのと同料金だと話すと驚いていた。
日本円は使えるのかと聞かれ、私はUS$を持って来るのでどうだろう??と答えた。
当然使えるがレートが悪いのではないか?という意味であったが、舌足らずであった。
 カンボジア国境ゲート
 

 
ビザ代行業者がシェムリアップでのホテルは予約しているのかと尋ねてきた。
予約していなかったが当てがあったので断わる。
あそこで国際直行バスが待っていると言って離れて行った。
ビザ代行業者と思っていたがツアー会社のスタッフだったのだ。

カジノホテルの前に国際直行バスが停まっていた。
それを通り過ぎカンボジアのイミグレーションに行った、長い例ができていた。
順番が来てパスポートと出入国カードを渡す。左右の指10本の指紋を取られた。
パスポートに押されたスタンプで1ヶ月滞在可能を確認した。
 カンボジアのイミグレーション
 

国境を出発したのが15時30分頃になっていた。全員が国境を越えるのに1時間半もかかった。
ビザ代行による待ち時間を入れると、2時間は掛かっている。
イミグレーションの前にあるロータリーは相変らずゴチャゴチャしていた。
ポイペトの町並みは6年前に比べるとゴミも少なくなり賑やかになっていた。
舗装された国道6号線はポイペトの街を過ぎると車窓は田園風景が続く。しかし、田んぼは冠水し穂先が見える程度だ。
空撮すれば、真直ぐな道路が見え、その両側は冠水した田んぼに穂先だけが見えるだけの風景が続くのだろう。

道路は舗装されている。
6年前は、道路建設中で砂利道であったが、今は舗装されていた。
2009年にポイペトからシェムリアップまで舗装工事が完了したそうです。

はじめてアンコールワットに行ったのは12年前の2002年正月休みであった。まだ元気で会社員をしていた。
前日にバスでバンコクからアランヤプラテートに来てゲストハウスに泊まった。ゲストハウスでシェムリアップへのツアーを申し込んだ。
朝8時ごろゲストハウスを出発して、国境を越えポイペトのロータリーで車を待った。
カンボジアとタイの経済状況の違いを目の当たりにした。格差がひどい。この頃にはバンコクなどは日本と余り変わらなかった。
来たのはピックアップトラックであった。西欧人バックパッカーは荷物を荷台に載せ、その上に乗った。
私は追加料金を払い、エアコンの効いた運転席横に座った。
シェムリアップへの道はひどかった。道がうねり、でこぼこである。
平坦なのは橋だけである。しかし、1m×2mほどの鉄板を数枚敷いた橋だが1枚無い、あああー! 車が落ちる! 運ちゃんは慣れているいるのだろう、タイヤ間に開いた穴をいれ通過した。あああー!という感じは今も思い出す。
シェムリアップに着いた時には暗くなっていた。アランヤプラテートからまる1日かかった、12年前の話である。

その道は、今舗装され快適にバスは走る。
途中、町はシソポンだけだ。ここでバッタンバンへの国道5号線がはじまる。プノンペンに続いている。
国道6号線沿いにポイペトからシソポンまで新しい鉄道線路が見えた。これは意外だった。プノンペンからバッタンバンまでの鉄道も運行されているのか疑問だからだ。

冠水した田んぼと川や池の境は分からないが、田んぼで釣りや投網で魚を捕っているカンボジア人をよく見掛けた。
シェムリアップ郊外の国道6号線の1部数キロがデコボコで補修しても駄目な様だ。
シェムリアップに入ると数日前まで冠水していただろうと思われる所もあった。
国道6号線沿いのホテルが終着点となっていたが右折してオールドマーケット近くのツアー会社の前に停まった。
17時45分頃になっていた。
アランヤプラテートから案内してくれたツアー会社のスタッフが最後に英語で何か話していた。
トゥクトゥクでホテルまで送るとかホテルが取れるとか話している様だ。話に乗ると後が大変だ。明日からのアンコールワット観光へのしつこい勧誘がある。
前の座席の日本人女の子に「ホテルの迎えがあるのか?」と声を掛けた。「そうなんですけれど?」と返ってきた、「気を付けて!」と言ってバスを降りた。

少し歩いてトゥクトゥクが客待ちしているの見付け、プサルーと言うと「US$5」との事、「US$2」と言うと「片道か?」「イエス」で、すんなりUS$2(\200)で決まった。
リラックス&リゾート・アンコール・ゲストハウスに向った。3度目なので場所は分かっている。
近くまで来て「フリーダム・ホテル!」と告げ、フリーダム・ホテルに着くと、その路地を入れと指差し指示した。

18時過ぎにリラックス&リゾート・アンコール・ゲストハウス(リラリゾGH)に着いた、すでに日が暮れて暗くなっていた。
リラックス&リゾート・アンコール・ゲストハウスには予約をしていなかった。
外にマネージャが出ていて、私を迎える様な感じになり、「予約してしないが部屋は空いていますか?」と尋ねた。「はい!」と返答があった。会話はすべて日本語である。ここは日本人宿である。
パスポートを渡し、宿帳のチェックアウト日付はブランクにして、1週間ほど泊まりたいと伝えた。
宿泊費US$9(\900)、朝食7時~9時、夕食なし、外出時はフロントにキーを置いて下さいと説明を受け、部屋に案内してくれた。
テレビ台の棚に網かごが置いてあり、ここに洗濯物を入れて下さいとの事。午前中に取りに来て夕方に届けると説明を受ける。このサービスが嬉しい。
エアコン、冷蔵庫、テレビ、天井ファン、たん笥、ホットシャワー付きでUS$9/泊は安い。
 部屋
 

ビールが飲みたい、腹が減った。
フロントにキーを置いた、他に3ヶしかキーが置かれていない。がらすきなのだ。
フリーダム・ホテルのレストランに行った。ここは近くていい。
ここには、日本語メニューがある。お薦めと書いてあったクメール・カレーUS$3.5とアンコールビール大US$2.5を頼んだ。
日本人はカレーが好きなんだな! クメール・カレーはうまかった。

リラリゾGHにもどりフロントで缶ビールUS$1と水ペットボトルを買い、WiFiのパスワードをもらった、ここもパスワードを書いた小さな紙切れをくれた。
部屋でタブレットをWiFiに繋ぎ、ビールを飲みながらヤフー・ニュースを読んだ。
長い1日、疲れて、20時頃に寝てしまった。

 

アンコールワット旅行 10月18日 バンコク滞在

2013年11月19日 | アンコールワット2013/10/16~
6時起床。晴れ

シェムリアップ行き国際直行バスで、今日カンボジアへ向おうと思っていたが、昨日、Webサイトでシェムリアップ行き国際直行バスの今日の予約状況をみると残り3席になっていた。
当初、当日行っても満席になっていないだろう、モーチット2で当日チケットを買い国際直通バスに乗ろうと考えていた。
最悪、国際直行バスが満席で乗れなくても、アランヤプラテートまでバスで行き、国境を越えてポイペトから乗合いタクシーでシェムリアップへ向えばいいと思っていた。行き方は過去に経験があるので不安も無い。
しかし、残席3では、前もってチケットを購入するしかない。

それで、今日はバスターミナル モーチット2に明日発のバスチケットを買いに行った。
スカイトレインBTSに乗ってモーチット駅で降りた。
ここは、チャトゥチャック・ウィークエンド・マーケットの最寄の駅で目の前にある。また、バンコクの渋滞を避けてここまでBTSで来てタクシーでドンムアン空港へ行くのに使う。
そして、今日の様にバスターミナル モーチット2に行くのに使う。

タクシーでモーチット2に行くが近いので嫌がられる。タクシーを停め、「モーチット ツー」と言ったところ、一瞬、間を置いてOKしたので乗り込んだ。
この運ちゃんは英語が話せた、2はタイ語でソーンと言う、1,2,3,をタイ語でヌン、ソーン、サーンと教えてくれた。だから、「モーチット ソーン」と言わなければ運ちゃんに行き先が伝わらないと言われている様だ。
この運ちゃん沖縄に行ったことがあると言っていた。
モーチット2の3階のタクシー降り場で降ろされた。タクシー代THB70(\220)チップ込み

3階もチケット売場だがシェムリアップ行きチケット売場は1階にあるので1階に降りてチケット売場を探した。
22番窓口だそうだが、番号は当てにならない、同じ番号が他にもある。でもすぐに見付かった。アランヤプラテートやプノンペン、シェムリアップなどの英語文字が目に付いた。
明日のシェムリアップ行きチケットを欲しいと言うとパスポートの提示を求められた。
チケットをプリントアウトし渡され、チケット代THB750(\2,320)を支払った。
シートNo.A5とある。前から5列目の窓側席だ。17番目の購入者だ、約半分の席が埋まっている。
乗場を教えてくれたので確認しておいた。
 1階中央案内所の前にシェムリアップ行きチケット売場がある。
 


モーチット2から戻ってマーブンクローン・センターMBK6階のフードコートに行った。
ビールを売っているか確認してクーポンをTHB200で購入した。カードにチャージしてくれる。
まず、ビール小を買い、何を食べようか見て周りシーフード焼きそばにした。
余ったクーポンは現金に交換してもらった。

White Lodgeにもどり、2階の踊り場に上がると椅子に座ってノートパソコンを膝に置いている西欧人がいた。
ここには椅子が2脚置いてある。いつも西欧人が座ってWiFiを繋いでいる。ここは無線が繋がり易い様だ。
部屋で昼寝をしたり、小説を読んだりしてゆっくりした。

夕方、まだ早いが夕食に出た。
国立競技場の西側にソンブーン・シーフード本店があり、そこへ歩いて向った。
スカイトレンBTSの国立競技場駅ホームからフットサル・コート2面があり奥に体育館が見える。ここも国立競技場の敷地内だ。
敷地内が開放されていたので通り抜けられるだろうと入った。
フットサル・コートの西側に競技場が2ヶ所あり、その間に200mトラックがあった。そのトラックでは大勢がジョギングしていた。
敷地内外周道路にもジョギングをしている人、サイクリングする人がいた。
国立競技場が工事中で搬入ゲートが開いていたので私も入って見た。
この競技場はアジア大会のメイン会場になったことが3回有り、また、サッカー日本代表が2006年FIFAワールドカップ・ドイツ大会への出場をかけて北朝鮮との無観客試合をしたのもこの競技場だそうです。
 スパチャラサイ国立競技場
  

国立競技場の西端に門があった、これが多分競技場の正門だろう。
そこから敷地内を出た。
正門から南に1路地目を進むとソンブーン・シーフード本店があった。
元祖プーパッポンカリー(蟹のカレー炒め)の店だ。
まだ、18時過ぎだが大半のテーブルがふさがっている。
ほとんどのテーブルにプーパッポンカリーがあり食べられていた。
私が座った横のテーブルに厚化粧した、周りから浮いている綺麗な女性2人が座っていた。よく似た顔をしている。
素人では無さそうだ? 会話を聞くと韓国人だった。
 プーパッポンカリー
 

プーパッポンカリーは、あまり美味しくなかった。食べ残したほどだ。
元祖○×△が、うまいとは限らないの典型だ。
器具を借りて蟹の爪を割って身を食べたが腐っている?吐き出した。
新鮮な蟹であれば考えられない、客が食べなかった蟹爪を使い回しているのではないかと思うほどだ???
最近食べる機会がなかったが、今までで最も不味かった。
プーパッポンカリーとビール大で約THB460(\1,420)

帰りも国立競技場の中を通り抜けた。
競技場の南側にテニスコートが4面あり、テニススクールで1面使っていた、あとは女性2人でストロークをしていた。少し見ていたが、まだ初心者だ。
テニスコートを過ぎるとチュラーロンコーン大学スポーツ科学学部の建物があった。
この一帯はチュラーロンコーン大学が広大な土地を所有しいて、若者が集まるサイアム・スクエアの一部もチュラーロンコーン大学の所有だと聞いた事がある。
もう1つの競技場周りの広場で若い人が10~20人のグループを作ってダンスorチアガールの様なパフォーマンス練習をしていた。その様なグループがここにも、そこにも、あそこにもと多くのグループがいた。
やっている事がよく解らない。

フットサルを観戦した。小さな観戦席があったのでそこに座って見た。
ゴールポストが小さいのには驚いた。
ゴールを奪われたチームが退場して、待っていた他のチームが入りゲームを始める。待機中のチームが3チームほどいる。
2面で毎日ゲームをしている。

缶ビールと水を買って帰った。
ビールを飲みながら小説を読む。
21時ごろ寝た。