「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

リニューアル図書館にて

2010-01-06 16:40:28 | 遠野

 昨年秋から?リニューアルの為、休館していた図書館、博物館・・・5日に図書館がリニューアルオープンしたということで、早速図書館に行って参りました。

 どこがリニューアルといわれても以前との違いはわからない、外装が変わったかな?

 中も良くはわからないが、とにかく2階の郷土資料室へ・・・・。

 

 

 

 

 郷土資料室も以前とは変わらない、本棚の配置等で以前より狭くなったような・・・さらにまだ資料書籍が完全ではないようで、雑然としているといった印象・・・。

 休館中は、調べたいと思った時に使えないもどかしさと開館したら直ぐあのことを調べてみようとか色々と考えていたが、いざっ、開館となるとあの時の思いとは裏腹で何から調べたら良いのか、何の事を調べたいと思っていたのか・・・ほとんど忘れたといいますか思い出せない・・・汗

 

 とりあえず、思い出したことがあったので・・・・いつもの書籍を探し出して調べ始める。

 

 南部藩参考諸家系図・・・全5巻揃

 

 

 盛岡(南部)藩士の各家系図集で編纂は文久年間(1861~1864)盛岡藩士星川正輔。

 各家で所伝等に任せた内容で年代や南部藩正史との矛盾なども多く散見され、資料的限界があることは否定できないとしながらも、それでも盛岡藩士の3250家余りを掲載した堂々たる内容であるのは間違いない。

 また遠野と関わりある諸氏、すなわち阿曽沼氏遺臣等で南部藩士となって、その後を追うのは今のところ第一の資料であると思っている。

 

 ということで、以前「遠野旧事記」での内容で・・・・

 700石・浜田彦兵衛・南館・・・・浜田氏について少し興味があったが参考諸家系図に掲載されておりました。

 天正18年気仙郡浜田村、浪人となり閉伊郡に潜居 浜田彦兵衛清春

 南部信直公より100石賜る

 慶長年中、南部利直公より大槌城代の任

 寛永4年 700石

 

 

 閉伊郡とあるも遠野とは記されていない。

 浜田村とは現陸前高田

 大槌城代ということであるが慶長年間は大槌孫八郎(政貞)が城主であったと思われるが大槌氏が改易となった元和年間以降か?

 700石の家禄は遠野旧事記とも一致、寛永4年は八戸から八戸直義公が遠野に入部した年であるので、その直前に加増されて遠野を離れたものか?

 松崎町光興寺には浜田姓が多いですが、地元古老の談によると気仙郡の浜から先祖が来たものだろう・・・とご教授いただいたことがあったが、いずれ真意はともかく浜田彦兵衛に関わる何か縁がありそうな雰囲気は感じられる。

 

 こういった事、遠野と縁ある盛岡藩士等も少しずつですが調べて行けたらと思っております。

コメント (14)
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