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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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台湾旅行2025【食べたもの】

2025-02-11 21:08:39 | ■中国・台湾旅行

2月8日から10日まで2泊3日の台湾旅行に行ってきた。私の最後の海外旅行は、コロナ禍直前の2020年正月の台湾旅行だったので、それから5年ぶりである。見てきたもののレポートはこれからゆっくり書くとして、まずは食べたもの。

今回、基本的には一人旅を計画したのだが、むかし仕事でお世話になった方が台湾にいることが分かっていたので、連絡を取ってみたら食事をご一緒してくれることになり、初日の夜は台北からMRTで1時間ちょっと(台鉄の特急だと40分位)の桃園市中壢区まで遠征した。

連れて行ってもらったのは「禅園」という客家料理のレストラン。小人数向きに区切られた空間、アジアというより地中海ふうのインテリア、若いお姉さんの接客も行き届いていて気持ちよかった。料理はどれも美味!

初めて食べて感動的に美味しかったのは、豆腐の蟹みそ煮込み(蟹黃豆腐煲)。日本でもどこか食べられるお店はないだろうか。グリンピースの甘みがアクセント。

豚バラ肉と芥子菜の漬物(梅干扣肉)は、東京の雲南料理レストランでも食べたことがあったが、本来は客家料理なのだな。梅干菜は東京でも手に入りそうなので、今度、買ってみようかしら。

2人で5品注文したら満腹で全部は食べ切れず、知人が「打包」して持って帰った。飲みものは、プーアル茶→台湾ビール→紹興酒。ごちそうさまでした。

その後は一人旅なので、例によって台北駅のフードコートなどを活用。台南小吃の麺料理は。干しエビ風味のスープが美味しい。

泊まったホテル(サンルート台北)の周辺も、コンビニやカフェが多くて便利だった。温州ワンタンのお店と手作り包子のお店が気になって、迷った末、2日目の夕食代わりに肉まんをテイクアウト。肉まんの生地が、やっぱり日本のコンビニ商品とは違うなー。

あと、朝食に利用した楽田麵包屋(パン屋)のパンも美味しかった。種類豊富で、どれも日本のパンよりボリューミー。

観光レポートは明日以降、順次。なお、さきに写真だけ選んでフォトチャンネルに載せてみた。

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珠玉のコレクション再び/少女たち(三鷹市美術ギャラリー)

2025-02-06 22:46:04 | 行ったもの(美術館・見仏)

三鷹市美術ギャラリー 『発掘された珠玉の名品 少女たち-夢と希望・そのはざまで- 星野画廊コレクションより』(2024年 12月14日~2025年 3月2日)

 京都・岡崎の神宮道の「星野画廊」は、画家の名前にとらわれず、埋もれていた優品を数多く発掘してきた老舗画廊。本展は、そのコレクションから、さまざまな年代や境遇の女性を描いた作品を紹介する。2023年夏に京都文化博物館で見た展覧会と同じタイトルを冠しているが、規模はややコンパクトで、完全な巡回展というわけではないらしい。

 京都文化博物館の展覧会は、正直、人も多く出展数も多くて疲れてしまった記憶があり、今回のほうが気持ちよく参観することができた。私が好きなのは笠木治郎吉の作品。『下校の子供たち』は、歴博の企画展示『学びの歴史像』で出会ったことが忘れられない。2019年の歴博の展示では作者名も明示されていなかったように思うが、近年、画家について、ずいぶんいろいろなことが分かってきたようだ。同じく明治後期に活躍した「作者不詳(Tani)」氏のことも、いつか分かるようにならないかな。『客を迎える少女』『覗き見する少女』など、ひめやかな好奇心の覗く眼差しが魅力的である。

 北野恒富、島成園などの有名画家の作品も実は混じっている。岡本神草の『拳の舞妓』(両手を広げ、正面を向いた舞妓のアップ)も出ていた。神草の『拳を打てる三人の舞妓の習作』の原状を復元したのも星野画廊さんなのだな。甲斐荘楠音は『畜生塚の女』もいいが、着物姿の女性がグラスのストローをもてあそんでいる『サイダーを飲む女』も好き。玉村方久斗は日本画における前衛を追求した画家だそうで、素朴絵みたいな『貴人虫追い図』『竹取物語』がおもしろかった。

 星野画廊、いつか京都で時間のあるときに立ち寄ってみたい。笠木治郎吉のゆかりだという、かさぎ画廊(鎌倉と横須賀)も行ってみたいな。

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悪の帝国像を忘れて/帝国で読み解く近現代史(岡本隆司、君塚直隆)

2025-02-04 22:28:09 | 読んだもの(書籍)

〇岡本隆司、君塚直隆『帝国で読み解く近現代史』(中公新書ラクレ) 中央公論新社 2014.12

 「帝国」をキーワードに近現代史(18世紀~現代)を捉え直してみようという対談。ヨーロッパ国際政治史の君塚先生も中国史の岡本先生も大好きなので、わくわくしながら読んだ。はじめに岡本先生が言う、『スター・ウォーズ』シリーズの最初に制作されたエピソード4に描かれた帝国は、まさに多くの人々が抱いている「帝国や皇帝は悪である」というイメージをトレースしたものであると。うん、分かりやすい。しかし「帝国=悪」というイメージは本当に正しいだろうか。スティーヴン・ハウは帝国を「広大で、複合的で、複数のエスニック集団、もしくは複数の民族を内包する政治単位(後略)」と定義しているが、帝国の歴史的な実態は多様で多義的であると両氏は考える。

 検討は18世紀の東アジアから始まる。中国(清朝)は、康煕、雍正、乾隆の盛世。当時のヨーロッパは貧しかった。もともと小麦の収穫倍率は米よりずっと低く、中世で1対2~3、18世紀でも1対4~6程度だった。米は奈良時代に1対20(1粒蒔けば20粒収穫できる)だったという。この研究、おもしろい。ヨーロッパは必然的に機械化を図らなければ豊かになれなかった。18世紀半ばに産業革命が起き、同時に科学・農業・金融などさまざまな「革命」が起きて、ヨーロッパは飛躍的な発展を遂げる。一方、清朝はウルトラ・チープ・ガバメントで、官と民が著しく乖離している上に、民もバラバラだったことが、発展の阻害要因となった、というのが岡本先生の見立てである。

 19世紀末、日清戦争が日本の勝利に終わると、列強による中国分割競争が本格化する。東アジアでは日本が急速に台頭し、日露戦争にも勝利を収める。しかし勢いに乗って進めた朝鮮の植民地化政策は「稚拙だったとしかいいようがありません」と両氏とも厳しい。中国では梁啓超が国民国家の概念を持ち込み、ようやく中国が本気で変化を志すようになる。しかしそれは途方もない困難を伴う事業だった。君塚先生の「中国は『複数の民族を内包している』という意味での帝国としてしか存在しえないといえるかもしれませんね」という言葉が味わい深い。

 第一次世界大戦から第二次世界大戦へ。君塚先生は日本の「ポイント・オブ・ノー・リターン」として、上海への攻撃(1937年)に始まる日中戦争を挙げる。満洲国の建国に留まっていれば、ソ連南下の防波堤として、イギリスも蒋介石も容認していたのではないか。日本の外交は、ある時点までは非常にクレバーだったが、戦勝国として世界の大国の仲間入りを果たしたあたりから、傲慢、怠慢になって、学ばなくなったという。歴史は繰り返していないか、不安を感じる指摘だった。

 第二次大戦終結後、表向きは世界から帝国が完全に消滅した。しかしアメリカとソ連をどう考えるか。特にアメリカは、自由と民主主義を信奉する国でありながら、その「自由と民主主義」という理想を世界に拡大するため、邪魔になる勢力を潰すことには全くためらいがない。岡本先生は、これは西部開拓時代の「マニフェスト・デスティニー」以来のアメリカのDNAのようなものかもしれないと述べている。昨今、この野蛮なDNAが悪い意味で頭をもたげているようで気になる。そして、やっぱり「ひとつの中国」を目指す中華人民共和国の試行錯誤も気になる。なぜあんなに「ひとつ」を強調するかというと、気を許せばすぐにバラバラになる集団だから、というのは、滑稽だけど分かる。皇帝を戴く帝国も、帝国主義も否定されて久しいが、「国民国家と帝国的なもののせめぎ合いは今も続いている」と君塚先生はいう。

 私は高校の世界史の教科書で、最終章近くに登場した「民族自決」「国民国家」というキーワードをまぶしく眺めた記憶がある。しかし、これが万能の価値観でないことは、悲しいけれど、よく分かってしまった。多様なエスニック集団や民族が平和に共存する方法を考える上で、近代以前の「帝国」にも虚心に学ぶべきものがあると思う。

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2025年1月展覧会拾遺

2025-02-03 23:51:27 | 行ったもの(美術館・見仏)

台東区立書道博物館 東京国立博物館・台東区立書道博物館連携企画『拓本のたのしみ-王羲之と欧陽詢-』(2025年1月4日~3月16日)

 この年末年始は、三井記念美術館の『唐(から)ごのみ』展で弾みがついて、東博→書道博物館と拓本を眺めてまわった。本展は、石碑が亡失した天下の孤本、王羲之や唐の四大家ら歴代名筆の拓本、そして拓本に魅せらせた明清文人の高雅な世界など、拓本の持つ魅力とたのしみ方をさまざまな視点から紹介する。王羲之については、京博の上野本『十七帖』や五島美術館(宇野雪村コレクション)の『宣和内府旧蔵蘭亭序』も来ていて眼福だった。展示解説の端々に、歴史上の有名な書家をマンガふうに表現したキャラクターが使われていて、かわいい。アクスタにしてくれないかなあ…。

日本民藝館 特別展『仏教美学 柳宗悦が見届けたもの』(2025年1月12日~3月20日)

 仏教美学に関わる資料展示と、柳宗悦が直観で見届けた具体的な作物の提示によって、柳が悲願とした「仏教美学」を顕彰する。入館して、大階段下の展示ケースに近づいて、あれ?と思った。いつも展示品に添えられている、黒い札に朱書きの、同館独特のキャプション札がないのである。以前、あの文字を書ける人は限られているので、いつまで続けられるか、みたいな記事を読んだことがあったので慌てた。実は、今回の特別展に関しては、おそらく直観を大事にするために、あらゆるキャプションを意図的に外したようである(併設展の展示は、いつものキャプションつきだった)。

 地域も時代も異なる作品が醸し出す美のハーモニーには心が洗われたように思った。しかし、やっぱり私は直観では生きられない人間なので、大展示室前に用意されていた細かい文字のリストを手に取って、気になる作品の地域や時代をチェックした。写真は唐代の女子俑に台湾パイワン族の首飾り。ほかに記憶に留めたいのは、動物の造型の中にあった『猫型蚊やり爐』(瀬戸、19世紀)。玄関ホールの壁に掛かっていたデカい拓本『水牛山般若経摩崖』(南北朝時代)は、肥痩のあまりない、素朴な文字を好ましく感じた。

根津美術館 企画展『古筆切 分かち合う名筆の美』(2024年12月21日~2025年2月9日)

 根津美術館の古筆展、はじめから行くつもりで、全く説明を読んでいなかったのだが、あらためて開催趣旨を眺めたら「本展では、当館の所蔵に新たに加わった重要文化財『高野切』を含む、平安から鎌倉時代にかけて書かれた、館蔵の古筆切を中心に展示します」とある。えっ?現代でも高野切が新たにコレクションに加わるなんてことが起きるのか?! 新収の高野切は、古今和歌集巻第19の旋頭歌4首が書かれた1幅で、第三種の書風。「軽快でのびやかな筆線」と評されている。高野切は第一種が至高と言われるけれど、私は第三種もかなり好きだ。

 『源氏物語奥入断簡』にも目が留まった。『源氏物語奥入(げんじものがたりおくいり)』は藤原定家による『源氏物語』の注釈書。2022年には新出の断簡が発見され、2023年に五島美術館で展示されたが、今回展示の断簡は、すでに知られていたものらしい。「いにしへのしずのをだまきくりかへし」という、伊勢物語所収の和歌が記されていた。

 なお、古筆について私の推しは、やや癖の強い藤原定信(石山切・貫之集)とバランスのとれた藤原教長(今城切)である。

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北宋ミステリー画巻/中華ドラマ『清明上河図密碼』

2025-02-01 23:32:21 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『清明上河図密碼』全26集(中央電視台、優酷、2024年)

 北宋の都・開封の賑わいを描いた画巻『清明上河図』をモチーフにしたミステリー時代劇。画巻の作者として知られる張択端も劇中に登場する。主人公は大理寺の下級官吏の趙不尤。父親の趙離、弟の墨児、妹の弁児、そして妻の温悦と仲良く暮らしていた。趙不尤が温悦と出会ったのは15年前、都に帰還した官吏・李言の船が何者かに襲われ、李言と全ての船員が殺害された事件の晩だった。群衆に押されて河に落ち、着替えを求めて店に立ち寄った趙不尤は、同じく着替えを必要としていた温悦に出会う。温悦は李言の船を襲った水賊のひとりではないかという疑いを、趙不尤は微かに持っていた。

 いろいろ新たな事件があって、徐々に温悦の前身が明かされていく。温悦は船大工の娘だったが、幼い頃、両親を殺されて孤児となり、水賊の一味に拾われ、武芸を仕込まれて育った。15年前、何者かの指令を受け、李言の船を襲ったのも彼女たちだった。趙不尤は温悦の正体を知っても、一途に妻を護り続ける。開封府の左軍巡使・顧震は、かつての上官・李言を殺害した犯人を捜し求めて、温悦の関与を知るが、真の元凶はその背後にいると考える。大理寺をクビになった趙不尤は、開封府に転がり込み、顧震の下で15年前から現在に至る事件の解決に尽力する。

 さて、趙不尤の弟の墨児と妹の弁児は、本人たちには隠していたが、理由あって若き趙不尤が引き取った貰い子だった。大理寺の先輩だった董謙が何者かに殺害される前に、幼い息子と娘を趙不尤に託したのである。そして、その董謙こそ、温悦の家族を襲った犯人だった。自分の意思とは無関係に張り巡らされた因縁に困惑する温悦、墨児、弁児たち。しかし、結局、今ある家族の姿を大切にしようという決心に至る。そこに現れたのは、死んだと思われていた温悦の弟・蘇錚。彼は、両親の仇を討つため、董謙につながる人々を陥れようとするが、温悦は抵抗する。

 そして、最後に宮廷の大官にして貪官・鄒勉こそが全ての事件の黒幕であったことが判明する。鄒勉の娘と娘婿も傍若無人な悪役として登場するが、父親の鄒勉は、それを上回る冷酷・凶悪ぶりを見せる。このラスボスを裁判劇の舞台に連れ出し、悪事を糾弾する趙不尤の弁舌がクライマックス。圧倒的な民衆の賛同を得て、実際に開封府尹の審理に引き渡されることになる。このとき、鄒勉の意を受けた私兵が突撃するのを瓦子(劇場)の前で、体を張って阻むのは顧震と下僚の万福。

 善悪どちら側も癖のあるキャラが多くて面白かった。ルックスは全くイケていないけど、なかなかの頭脳派で、妻と家族思いの趙不尤。張頌文さん、いいドラマに当たったと思う。顧震は土いじりが趣味らしく、周一囲さんにしてはじじむさい役柄が大変よかった。その部下、お笑い担当のようで頭児(ボス)への忠誠心は厚い万福(林家川)も好き。墨児と親交を結ぶ学究肌の青年・宋斉愈役は郝富申くん!古装劇は初めて見たけど、どんどん出てほしい。

 『清明上河図』の虹橋を再現したセット、さらに画中の人物を全て再現したカットもあって、見応えがあった。ただ『清明上河図』には、女性の姿が非常に少ないと言われているので、画巻の世界をそのまま再現したら、こんなに女性の活躍するドラマにはならないだろう。

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