〇『三大隊』全24集(愛奇藝、2023年)
1998年、寧州市警察の「三大隊」は、凶悪犯の王大勇と二勇の兄弟を追っていた(三大隊は隊長の程兵のほか6人の刑事チームとして描かれている)。住民を巻き込んだ路上の大乱戦の末、ついに二勇を捕まえたが、王大勇は逃してしまう。程兵による尋問の最中、二勇は容態が急変して死亡。程兵は責任を問われ、傷害罪で11年の懲役刑に服することになる。
2007年秋(刑期を9年6か月に短縮されて)程兵は出獄。しかし妻は娘の桐桐を連れて離婚し、別の男性と再婚していた。三大隊はすでに解散。刑事を続けていたのは最年長の老馬と最年少(女子)の林頴だけで、老馬は停年を迎え、ほかの4人は刑事を辞めて転職していた。程兵ら三大隊の面々が師父と慕う七叔は、脳梗塞で倒れて老妻の介護を受けていた。王大勇の行方は知れず、程兵の同僚で「二大隊」の隊長だった潘大海は支局長に出世した今も事件を忘れていなかった。
程兵は、かつて王大勇事件に関係した六子の洗車場に拾われ、仕事の合間にひとり王大勇の足取り捜査を開始する。刑事を辞めた三大隊の面々も、程兵を手伝おうと集まってくる。王大勇は雲南省の瑞麗から国外の察邦(架空の地名、ミャンマーあたり)へ逃亡。ここで高価な翡翠の原石を強奪し、中国国内に戻ったことが判明する。さらに程兵は雪深い東北地方に赴き、田舎町の入浴場や森林地帯の監視人小屋を訪ね、そこで得た手がかりをもとに四川省の綿陽へ。単独捜査の開始から4年目、顔を変え、名前を変えて潜伏中だった王大勇をついに発見し、逮捕に導く。
…とまとめてしまうと、執念の犯人逮捕が主題のようだが、私は、少し違うところにドラマの面白さを感じた。若い頃の程兵は、家庭を顧みずに仕事に邁進していた。その上、幼かった娘が一番父親を必要とする時期に刑務所に入ってしまい、桐桐(周子玄)は「殺人犯の子」と蔑まれて育った。彼女は、出獄した程兵を父親と認めず、絶縁を言い渡す。一方、王大勇の手がかりを求めて、程兵は王二勇の遺した娘・苗苗(任敏)に接近する。やはり父親の愛情を知らずに育った苗苗は、詐欺集団の手先をさせられており、程兵を洗脳合宿に誘い込む。程兵に助け出され、真面目な生活を始めようとした苗苗だが、偶然から、程兵の目的を知ってしまう。裏切られたと感じた苗苗は程兵を殺そうとするが、刃を振り下ろすことができない。二人は全ての真実を知った上で、父娘のように生きていこうとする。けれども程兵が実の娘・桐桐に抱いている悔いと愛情を知った苗苗は、QQ(メッセージツール)で桐桐に連絡を取り、実際に会って、程兵の気持ちを告げる。この、心に傷を負ったどうしの少女二人の交流が、私にはドラマ最大の見どころだった。苗苗役の任敏は、大体いつも面倒くさい役柄だが、何を演じさせても可憐で透明感があって、巧い。
程兵は、途中、七叔の死に遭って自暴自棄になり、王大勇の捜査を諦めて、酒場の用心棒に成り下がる時期もあるのだが、10年を超えて家族ぐるみのつきあいの続く三大隊の仲間たちと、新しい「家族」となる苗苗の存在に助けられて再生する。七叔の遺言「好好生活」は、中国ドラマではよく聞く表現なんだけど、正しく、そして愉快に生きる、日常を大切にして生きる、みたいな意味になるのかな。
最終話、逮捕された王大勇は尋問室で程兵と対峙し、こんなに長い年月を費やして、もし最終的に自分を捕まえることができなかったら、意味があっただろうか?と冷笑的に尋ねる。程兵は答える。我々は結果を生きるのではなく過程を生きる(不是活箇結果、而是活的過程)、その過程の中でさまざまな問題を解決する、だから結果がどうであっても意味はあった(値得)と。本作は、まさに生きる「過程」を描くドラマだったと思う。だから、旧三大隊メンバーの家庭の事情とか、犯人逮捕という目的から見れば、冗長な描写も多いのだが、最後は全てのキャラに愛着が湧いていた。
程兵役の秦昊、いろんなドラマ、いろんな役柄で見ているのだけれど、本作はかなり好き。王大勇役の陳明昊は、序盤はいいんだけれど、最後は整形で顔を変えた設定で(特殊メイク?)のっぺりした顔で出てくるのが残念だった。