○北方謙三『楊家将』上下(PHP文庫) PHP研究所 2006.7
すごい小説を読んでしまった。読み終わって、しばらく震えが止まらないような。下巻に入ると、感涙が湧きどおしで、しばしば先が読めなくなった。あと数十ページのところで、どうにも我慢ができなくなって(ええい、どうしてこんな傑作が誕生しちゃったわけ? 誰か教えて!という気持ち)巻末の「解説」を覗いた。
「解説」の執筆者は、中国文学(特に演劇)を専門とする加藤徹さんである。このブログでも、しばしば著書を紹介させていただいている。加藤さんいわく、
中国では「三国志」「水滸伝」と並ぶ人気を誇る「楊家将」の物語だが、日本では、従来あまり知られていなかった。学者による「楊家将」の翻訳や概説書が出る前に、いきなり小説が出た。しかも、たいへんな傑作である。筆者が知っている中国人も、北方謙三さんの『楊家将』を読み、「中国の『楊家将演義』より面白い」と、しきりに感心していた――と。
私は、この評価にいたく満足した。確かに、北方『楊家将』は、本家・中国人(漢民族)にも読ませてみたい名作だと思う。
でも、どうかなあ。中国人の好みに合うかしら。私は金庸の武侠小説が嫌いではないが、日本の歴史小説・時代劇とは、ずいぶん趣向が異なる。中国人の好みは、要するに飛び抜けたヒーロー、ヒロインが超人的な活躍をする小説ではないかと思う。時には、超人的すぎて、神仙や妖術に接近する。
北方『楊家将』には、神仙術の類いは出てこない。男勝りの遼の公主・瓊蛾姫と楊四郎の戦場のロマンスとか、空想的な挿話もあるが、基本的にはリアリズムの範疇にとどまる。
注目すべきは戦闘描写である。この小説では、一騎当千のヒーローだけが人無き荒野を縦横に駆け回るのではない。一軍の将はつねに百騎、千騎、時には数万の軍を引き連れ、それを己れと一体のように操る。散開し、密集し、鋭く突っ込み、また退く。二手四手に分かれ、また合す。著者の、迷いのない緻密な文体は、戦場のありさまを幻術のように浮かび上がらせる。作中には名前さえも描かれないけれど、主人公たちと轡を並べ、戦場を駆け抜けた多くの武人たちの存在を想像すると、胸の詰まるような思いがする。こういう描写は、中国の武侠小説にないものだと思う。
私は、日本の歴史小説も、あまり多くは読んでいないのだが、ときどき思い出していたのは、池波正太郎の『真田太平記』だった。楊家の長・楊業と真田幸村って、ちょっと似ていないだろうか。中年過ぎまで戦い抜いて、最期は非業の死に倒れる。息子たちを立派な武人に(言葉を変えれば、戦場で共に死ぬために)育て上げるところも。
なお、本編には続編『血涙』があり、本編ではあまり登場の場のなかった楊家の娘たちも、続編では活躍するらしい。私は、楊家将(演義)について、わずかに知っていたことといえば、京劇の「楊門女将」なので、この北方『楊家将』が、ほとんど男性しか登場しないことに、はじめは少し戸惑った。あ、遼国には蕭太后という女傑が控えているのだが。しかし、こういうストイックな男性中心の物語、私は嫌いではないのです。
■参考[対談]北方謙三、加藤徹「楊家将-『三国志』にはない民族興亡の物語」(加藤徹さんのHP)
http://www.geocities.jp/cato1963/rekishikaido200403.html
すごい小説を読んでしまった。読み終わって、しばらく震えが止まらないような。下巻に入ると、感涙が湧きどおしで、しばしば先が読めなくなった。あと数十ページのところで、どうにも我慢ができなくなって(ええい、どうしてこんな傑作が誕生しちゃったわけ? 誰か教えて!という気持ち)巻末の「解説」を覗いた。
「解説」の執筆者は、中国文学(特に演劇)を専門とする加藤徹さんである。このブログでも、しばしば著書を紹介させていただいている。加藤さんいわく、
中国では「三国志」「水滸伝」と並ぶ人気を誇る「楊家将」の物語だが、日本では、従来あまり知られていなかった。学者による「楊家将」の翻訳や概説書が出る前に、いきなり小説が出た。しかも、たいへんな傑作である。筆者が知っている中国人も、北方謙三さんの『楊家将』を読み、「中国の『楊家将演義』より面白い」と、しきりに感心していた――と。
私は、この評価にいたく満足した。確かに、北方『楊家将』は、本家・中国人(漢民族)にも読ませてみたい名作だと思う。
でも、どうかなあ。中国人の好みに合うかしら。私は金庸の武侠小説が嫌いではないが、日本の歴史小説・時代劇とは、ずいぶん趣向が異なる。中国人の好みは、要するに飛び抜けたヒーロー、ヒロインが超人的な活躍をする小説ではないかと思う。時には、超人的すぎて、神仙や妖術に接近する。
北方『楊家将』には、神仙術の類いは出てこない。男勝りの遼の公主・瓊蛾姫と楊四郎の戦場のロマンスとか、空想的な挿話もあるが、基本的にはリアリズムの範疇にとどまる。
注目すべきは戦闘描写である。この小説では、一騎当千のヒーローだけが人無き荒野を縦横に駆け回るのではない。一軍の将はつねに百騎、千騎、時には数万の軍を引き連れ、それを己れと一体のように操る。散開し、密集し、鋭く突っ込み、また退く。二手四手に分かれ、また合す。著者の、迷いのない緻密な文体は、戦場のありさまを幻術のように浮かび上がらせる。作中には名前さえも描かれないけれど、主人公たちと轡を並べ、戦場を駆け抜けた多くの武人たちの存在を想像すると、胸の詰まるような思いがする。こういう描写は、中国の武侠小説にないものだと思う。
私は、日本の歴史小説も、あまり多くは読んでいないのだが、ときどき思い出していたのは、池波正太郎の『真田太平記』だった。楊家の長・楊業と真田幸村って、ちょっと似ていないだろうか。中年過ぎまで戦い抜いて、最期は非業の死に倒れる。息子たちを立派な武人に(言葉を変えれば、戦場で共に死ぬために)育て上げるところも。
なお、本編には続編『血涙』があり、本編ではあまり登場の場のなかった楊家の娘たちも、続編では活躍するらしい。私は、楊家将(演義)について、わずかに知っていたことといえば、京劇の「楊門女将」なので、この北方『楊家将』が、ほとんど男性しか登場しないことに、はじめは少し戸惑った。あ、遼国には蕭太后という女傑が控えているのだが。しかし、こういうストイックな男性中心の物語、私は嫌いではないのです。
■参考[対談]北方謙三、加藤徹「楊家将-『三国志』にはない民族興亡の物語」(加藤徹さんのHP)
http://www.geocities.jp/cato1963/rekishikaido200403.html
たしかに中国の方には北方版は合いそうにないですね(笑)
血涙まだ読まれてないのならお勧めします
めっちゃ面白いですよ