見もの・読みもの日記

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小さくて美しいもの/小村雪岱(川越市立美術館)

2018-02-11 12:42:50 | 行ったもの(美術館・見仏)
川越市立美術館 特別展『生誕130年 小村雪岱-「雪岱調」のできるまで-』(2018年1月20日~3月11日)

 この特別展が見たくて、川越まで行ってきた。以前、仕事の関係で川越よりもさらに奥(秩父寄り)に住んでいたことがあって、週末に川越まで出てくると、ちょっと都会の空気に触れた気がした。久しぶりに都内から出かけてみたら、川越は思っていたより遠かった。

 本展は、川越市立美術館の開館15周年を記念し、川越ならではの特色のある展示を試みる「小江戸文化シリーズ」の第四弾として、川越に生まれ、装釘・舞台装置・挿絵など多分野で才能を発揮した小村雪岱(1887-1940)の展覧会を企画したものである。雪岱の回顧展は、以前にも一度、埼玉で見た記憶があると思ったら、同館ではなく、埼玉県立近代美術館で2009年の年末から開催された『小村雪岱とその時代』展だった。私はあの展覧会で、ほぼ初めて、小村雪岱という画家を知ったのである。

 はじめに比較的(雪岱作品としては)大ぶりの三枚の版画が展示されている。モノクロというか、ほぼ白い画面にわずかな黒塗り、切れのある細い描線が美しい。これらは雪岱の没後に、雪岱の日本画を複製したものだという。私たちはこうした複製を通じて、わずかに雪岱を知ることができているのだ。

 序盤には、泉鏡花『日本橋』の装丁など初期の仕事に混じって、いくつかの日本画作品が展示されていた。『春昼』は東京美術学校の卒業制作(芸大美術館所蔵)。泉鏡花の小説に想を得たもので、横長の画面に低い視点で、菜の花と同じくらいの背丈の小さな朱塗りの社を描く。まわりに白い幣が手向けられ、白と黄色の胡蝶が舞う。『春昼・春昼後刻』といえば、△□〇のあの話か…。鬱蒼とした緑陰が幻想的(化けそう)な『柳』も東京美術学校時代。もうひとつ『唐津くんち』も年代的に同じ頃の作だろうか。これは縦長の大きな画面の大半が茫漠とした空で、下半分にうっすらと瓦屋根が続き、唐津くんちの曳山が小さく小さく見えている。この、人事(人の営み)をなるべく「引き」で見ようとする姿勢(そのほうが美しいから?)は、初期の装丁の仕事にも感じられて好きだ。

 雪岱の装丁はどれも美しくて、表紙・見返し・裏見返し・裏表紙が、全体でひとつの宇宙をつくっている。この時代の「出版」って、文筆家・装丁家・出版社が力を注ぐ、贅沢な仕事だったのだ。「本をつくる」意味が、現代とは全然違っていたことをしみじみ感じた。

 後半は挿絵の仕事。雪岱は大正末年から昭和にかけて、多くの新聞や雑誌で連載小説の挿絵を描いた。古典的な白描と違うのは、黒のベタ塗りを効果的に使っているところ。人物の動きや表情は全体に控えめで(例外はある)、あえて後ろ姿しか描かないものも多い。描かれた人物の心中は見る者(読む者)の想像に委ねられているのだと思う。展示には、小説のあらすじが簡単に添えてあった。冷泉為恭を扱った村松梢風の『綾衣絵巻』とか、板垣退助を描いた田中貢太郎の『旋風時代』とか、邦枝完二の『江戸役者』、吉川英治の『遊戯菩薩』など、全く関心を持ったことのない作品だが、ちょっと読みたくなってしまった。喜田貞吉他の『日本歴史物語』に武者の挿絵を書いているのも面白かった。

 最後に日本画作品が数点。雪岱の描く女性は、はじめ鈴木春信を学んだようだが、後年になると、雪岱調としか言いようのない個性的な美人像が見られる。少女にように華奢であどけなく、嫋々とした色気をにじませ、目元には凛とした気品をたたえている。矛盾だらけだが、そんな感じ。仏画も好んだそうで『白衣観音』は美しかった。これから、もっとファンが増えていきそうな予感がする。

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