〇鈴木透『食の実験場アメリカ:ファーストフード帝国のゆくえ』(中公新書) 中央公論新社 2019.4
アメリカの食文化なんて、ハンバーガーとフライドポテト、ホットドッグにアップルパイ、あと何がある?というくらいの認識だったが、どんどん認識が覆って、とても面白かった。本書はアメリカの食の歴史を、第一に植民地時代から独立革命期、第二に19世紀後半から20世紀半ばにかけての産業社会の形成・発展期、第三に1960年代以降の産業社会に対する抵抗の時代の3つに区分して解説する。
まず第一の時代。白人入植者の食を支えたのは、先住インディアンと、プランテーションの労働力としてアフリカから連れてこられた黒人奴隷だった。先住インディアンは、トウモロコシ、カボチャ、豆のスリー・シスターズ(合理的な伝統農法。なるほど!)を栽培しており、これらヨーロッパではなじみのなかった食材を、白人入植者は代用品として受け入れた。そこからコーンブレッドやパンプキンパイが生まれた。ポップコーンも先住インディアン由来だという。
また、アフリカで米をつくっていた黒人は、サウスカロライナに米作りを持ち込み、白人も米料理を食べていた。バーベキューは西インド諸島から持ち込まれた。フライドチキンは、スパイスをふんだんに用いる点は西アフリカに由来するが、油で揚げる料理法はヨーロッパにある。つまりアメリカの国民食(ソウルフード)はどれも異種混淆的なのだ。そして、植民地時代のアメリカには、全国共通とよべる食習慣は確立していなかった。著者はこれを「ローカルとインターナショナルがナショナルなものを飛び越えて結びつく」と表現している。「ナショナル」志向≒排外主義が強い、最近のアメリカとは異なる国の姿が見えて新鮮である。
第二の時代。南北戦争以後、アメリカは急速に工業化を進め、ヨーロッパの低開発地域から大量の移民が流入する。移民向けのエスニックフードビジネスは、次第に移民以外の人々もマーケットにして成長していく。ハインツ社のトマトケチャップはその代表例である。トマトケチャップは、西洋世界にとって醤油(調理の最中にも、食べる段階でも使える万能ソース)の代用品であるという説明に、思わず膝を打ってしまった。
急速な工業化、都市インフラ整備の遅れの中で、人々の健康衛生への関心が高まり、健康食品として、コカ・コーラやドクター・ペッパー、ケロッグ社のシリアルなどが生まれる。20世紀には、少ないメニューと流れ作業、使い捨て食器の活用など、効率性を追求した本格的なファーストフードビジネス、マクドナルドとKFC(ケンタッキーフライドチキン)が生まれる。
第三の時代。フランチャイズ化されたファーストフードビジネスは人々を画一的な味に囲い込み、食の創造性を衰退させた。1960年代には、環境や健康を意識したヒッピーたちによる食文化革命が起こる。しかし、70年代以降には、スローフードの高級化という皮肉な事態を招いてしまう。一方で、60年代後半から「エスニックフードリバイバル」という動きが高まり、エスニック料理の垣根を超えて、異種混淆的なヘルシー料理の実験が大胆に行われるようになった。有名なスシロール(カリフォルニアロール)のほか、ハワイのポキボウル、ブッダボウルなど。すごい。
本書を読むと、日本の寿司職人がアメリカ人に「本物の寿司」の作り方を教えに行くというテレビバラエティ(そういう番組があるらしい)が、どんなに的外れなものかよく分かる。料理も芸術もクレオール万歳だな、私は。
第二の時代(金ぴかの時代)において、独占資本の弊害が最も顕著に見られたのが食肉産業で、現在でもアメリカには、日本でいう小売店としての肉屋はほとんどない、という指摘は驚きだった。考えたこともなかった。寡占化された食肉業界では、安全対策や衛生管理への意識がいちじるしく低下していたという。それから、禁酒運動を担った女性たちは、食の安全にも強い問題意識を持っていたこと、台所の進化がかえって女性たちから社会活動の余裕を奪っていったことも興味深い。
日本とアメリカの食に関する実体験を踏まえたエッセイふうの「あとがき」も面白いので、尻尾まで餡の詰まったタイヤキを味わうつもりで、最後まで読んで欲しい。