見もの・読みもの日記

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2023年9月関西旅行:金峯山の遺宝と神仏(MIHOミュージアム)

2023-09-19 22:44:11 | 行ったもの(美術館・見仏)

MIHOミュージアム 2023年秋季特別展『金峯山の遺宝と神仏』(2023年9月16日~12月10日)

 三連休は欲張って、滋賀・奈良・京都・大阪・神戸を周遊してきた。いかに安価に効率的にまわるかを考えた結果、初日は京都から石山に出て、いつもの路線パスで同館へ。本展は、古代より修験道の聖域とされてきた奈良県吉野の金峯山を参詣した平安貴族の「御嶽詣」に伴う金峯山経塚の出土品を一堂に展示し、平安貴族の金峯山への信仰と憧憬の一端を紹介する。

 冒頭には、銅製の多様な出土品の数々。東博所蔵の『錫杖頭』や奈良博所蔵の『三鈷杵』はどこかで見たことがある気がした。小さな小さな『菩薩手』(唐時代)は大峯山寺の所蔵。水瓶を握った手首から先だけが展示ケースの中に浮いているように見えた。同じ室内には風雪に耐えてきた木像もいくつか展示されていた。山梨・円楽寺の役行者半跏像は長頭巾を被り、藤衣を羽織る旅姿。まなじりを吊り上げ、大きく口を開いた憤怒の表情。その両隣の前鬼・後鬼は褌のみの裸形。電球を嵌めたような丸い目、短い髪は逆立ち、宇宙人のようだ。後鬼(?)は木彫の徳利のようなものを前に置いている。これが平安後期~鎌倉時代の造形だというのに驚かされる。もとは富士山二合目の小室浅間社の西の行者堂に祀られていたとのこと。

 別の展示室には、木彫や金銅製の蔵王権現像も多数来ていた。印象的だったのは、東京・檜原村の五社神社の蔵王権現立像(平安時代)。力士のような太りじしの体型で、両手は失われ、軽く左足を踏み上げている。微笑むようにも見える表情がかえって怖い。この展覧会では、意外な土地に蔵王権現信仰や役行者信仰が根づいているのを知ることができた。

 出土遺物でいちばん多いのは銅製の鏡像や懸仏である。これらの多くが個人蔵に帰しているようだが、本展は、個人蔵の優品を丹念に集めて展示し、図録に収録しており、頭の下がる思いだった。鏡像には、蔵王権現像のほか、阿弥陀如来、地蔵菩薩、男神、女神などが刻まれる。その中に馬上で弓矢を構える綾藺笠に行縢(むかばき)の武者像(流鏑馬みたい)があって目を引いた(平安後期、馬の博物館所蔵)。図録の解説によれば、『金峯山経塚遺物の研究』(1937年刊)では早馳明神とされる尊格だという。早馳明神、ネットで調べてみたが、詳しいことは分からなかった。なお、大峯山寺所蔵の『吉野曼荼羅懸仏』には8体の神格が刻まれており、その中にも流鏑馬装束で馬に跨った男神が見られた。

 寛弘4年(1007)藤原道長は金峯山に参詣し、弥勒出生に値遇することを願って埋経をおこなった。この願いが成就したかどうかはともかく、その後に待望の孫皇子が誕生するなど、いよいよ栄華を極めたことから、金峯山の霊験が貴族たちに意識されるようになったのではないかという。人情としては分かりやすい。道長は経巻を筒に立てて収めたため、下半分が腐食して失われてしまったものが多い。その状態の経巻をコレクションしている五島美術館(古経楼を称した五島慶太)、さすがである。

 絵画は、京都・聖護院所蔵の『役行者前後鬼・八大童子像』(南北朝時代)が、なんともいえず怪しげでよかった。MIHOミュージアムの守備範囲は、江戸絵画、茶の湯など幅広いが、考古学的なテーマの企画展は当たりが多い気がする。図録がボリュームのわりに軽い紙を使っているのもありがたかった。三連休の最初の訪問先だったが、我慢できずに買ってしまい、ずっと持ち歩くことになった。


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