○国立近代美術館 『揺らぐ近代-日本画と洋画のはざまに』
http://www.momat.go.jp/Honkan/Modern_Art_in_Wanderings/index.html
近美のサイトには、まだ「現在開催中の展覧会」にデータが残っているようだが、先週末で終了した展覧会である。最終日に駆け込みで行って来た。近代日本の絵画を語るとき、我々が自明のことのように思っている「日本画」「洋画」という区分に対して、それを無効にするような作品を集めたのが本展である。
前半のセクションでは、近代初頭に生み出された、さまざまな実験的作品を紹介する。単純な和洋折衷の例だが、油絵の屏風仕立て(しかも貼り交ぜ風!)を見て、私はあっけに取られてしまった。そのほかにも、意表を突かれるものが多い。伝統的な絵馬の形式を借りながら、人物は西洋風な『加藤清正武将図』(小林永濯)とか。モネの「睡蓮」ふうの池に小舟を浮かべた白拍子の図『朝妻舟』(山内愚僊)とか。野口武彦さんの言葉だが、明治の「め」の字はメチャクチャの「め」である(いい意味で)。
本展のポスターにもなった小林永濯の『道真天拝山祈祷の図』、狩野芳崖の『仁王捉鬼』など、日本画と洋画を融合させると、いまのジャパニメーションに似てくるのはナゼなんだろう? 原田直次郎の『騎龍観音』も「ゲド戦記」あたりを彷彿とさせる。
和洋のはざまで揺れ動いていたのは、絵画ばかりではない。明治の文学も然り。演劇も然り。河鍋暁斎の『漂流奇譚西洋劇パリス劇場表掛りの場』は、河竹黙阿弥の芝居を描いたもの。付け毛・洋装の日本女性が、主人公の猟師三保蔵(これも洋装)と、パリのオペラ座で再会した場面だという。今の我々から見れば、どうにも赤面したいほど不恰好で滑稽だが、この混乱が明治というものかもしれない。
明治40(1907)年、文部省美術展覧会(文展)が、募集作品に「日本画」「洋画」「彫刻」というカテゴリーを適用したことによって、「日本画」「洋画」という区分は社会的に認知されていく。しかし、それでもなお、両者のはざまに存在を主張するような作品が、多くの画家によって生み出され続けた。展覧会の後半は、大正期から現代までの画家を取り上げる。初めて知る作品がたくさんあって、面白かった。
河野通勢の『蒙古襲来之図』は、油彩の合戦図。洛中洛外図や祭礼図屏風みたいに、うんと視点を引いて、大群衆を描いている。血なまぐさい題材なのに、暖色を多用した画面からは、華やいだ雰囲気が伝わってくる。川端龍子の『龍巻』はすごいなー。言葉もない。壁いっぱいの大画面。龍巻の破壊的なエネルギーによって、空中に吸い上げられた鮫やエイが、再び海面に落下してきた瞬間を描いている。それから、岸田劉生に、水墨(加彩)の四季花果図があるなんて。堂に入った文人画である。添えられた漢文の字体もいい。私は岸田劉生の洋画はあまり好みでないが、この画幅はほしい。嫌味がなくて飽きないと思う。
同展は、新春から京都国立近代美術館に巡回。関西の皆さん、お楽しみに。
http://www.momat.go.jp/Honkan/Modern_Art_in_Wanderings/index.html
近美のサイトには、まだ「現在開催中の展覧会」にデータが残っているようだが、先週末で終了した展覧会である。最終日に駆け込みで行って来た。近代日本の絵画を語るとき、我々が自明のことのように思っている「日本画」「洋画」という区分に対して、それを無効にするような作品を集めたのが本展である。
前半のセクションでは、近代初頭に生み出された、さまざまな実験的作品を紹介する。単純な和洋折衷の例だが、油絵の屏風仕立て(しかも貼り交ぜ風!)を見て、私はあっけに取られてしまった。そのほかにも、意表を突かれるものが多い。伝統的な絵馬の形式を借りながら、人物は西洋風な『加藤清正武将図』(小林永濯)とか。モネの「睡蓮」ふうの池に小舟を浮かべた白拍子の図『朝妻舟』(山内愚僊)とか。野口武彦さんの言葉だが、明治の「め」の字はメチャクチャの「め」である(いい意味で)。
本展のポスターにもなった小林永濯の『道真天拝山祈祷の図』、狩野芳崖の『仁王捉鬼』など、日本画と洋画を融合させると、いまのジャパニメーションに似てくるのはナゼなんだろう? 原田直次郎の『騎龍観音』も「ゲド戦記」あたりを彷彿とさせる。
和洋のはざまで揺れ動いていたのは、絵画ばかりではない。明治の文学も然り。演劇も然り。河鍋暁斎の『漂流奇譚西洋劇パリス劇場表掛りの場』は、河竹黙阿弥の芝居を描いたもの。付け毛・洋装の日本女性が、主人公の猟師三保蔵(これも洋装)と、パリのオペラ座で再会した場面だという。今の我々から見れば、どうにも赤面したいほど不恰好で滑稽だが、この混乱が明治というものかもしれない。
明治40(1907)年、文部省美術展覧会(文展)が、募集作品に「日本画」「洋画」「彫刻」というカテゴリーを適用したことによって、「日本画」「洋画」という区分は社会的に認知されていく。しかし、それでもなお、両者のはざまに存在を主張するような作品が、多くの画家によって生み出され続けた。展覧会の後半は、大正期から現代までの画家を取り上げる。初めて知る作品がたくさんあって、面白かった。
河野通勢の『蒙古襲来之図』は、油彩の合戦図。洛中洛外図や祭礼図屏風みたいに、うんと視点を引いて、大群衆を描いている。血なまぐさい題材なのに、暖色を多用した画面からは、華やいだ雰囲気が伝わってくる。川端龍子の『龍巻』はすごいなー。言葉もない。壁いっぱいの大画面。龍巻の破壊的なエネルギーによって、空中に吸い上げられた鮫やエイが、再び海面に落下してきた瞬間を描いている。それから、岸田劉生に、水墨(加彩)の四季花果図があるなんて。堂に入った文人画である。添えられた漢文の字体もいい。私は岸田劉生の洋画はあまり好みでないが、この画幅はほしい。嫌味がなくて飽きないと思う。
同展は、新春から京都国立近代美術館に巡回。関西の皆さん、お楽しみに。