見もの・読みもの日記

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できなくても可/正座と日本人(丁宗鐵)

2010-01-07 00:31:42 | 読んだもの(書籍)
○丁宗鐵『正座と日本人』 講談社 2009.4

 丁宗鐵(ていむねてつ)氏は漢方医学による難病治療が専門の医学博士。「大の歴史好き」の著者が、古今東西の資料を渉猟し、医学的見地を加えて書いた「正座」文化論である。こう紹介すると、アマチュアの道楽で、かなり胡散臭い本に思われそうだが、松岡正剛氏の『千夜千冊・遊蕩篇』の書評が好意的だったことと、立ち読みで目についた内容が面白かったので、買ってしまった。

 それと、私は、松岡正剛氏と同様、正座が苦手なのだ。書道、茶道、和服などの日本文化に高い関心を持っているにもかかわらず、それらを実地に体験してみようと思わないのは、長時間の「正座」に耐える自信がないのである。悔しい。ダメな自分を正当化する「理論武装」が欲しい。そんなニーズにぴったりくるのが本書である。

 日本人は、いつから正座するようになったのか。戦国時代の武将はアグラが一般的だった。畳が普及していなかった当時、板の間で正座するのは苦痛だったし、足が痺れては、危急の際にすばやい行動を取ることができないからだ。この説明は説得力がある。茶の湯を大成した千利休も、同時代に描かれた肖像画はアグラをかいているという。実際にアグラをかいて茶室の壁にもたれてみると、茶室という空間のすばらしさを再発見することができる、というのは、意外な卓見だと思った。

 江戸初期から中期にかけて、武士の礼法を確立しようとした儒者たちが、正座を始めた。農民や商工人ができない正座は、武士道の象徴だった、と著者は考える。熊沢蕃山、山鹿素行は正座の肖像を残した。しかし、江戸前期~中期の国学者たち、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤らは、いずれもアグラの肖像を残しているという。なあ~んだ、正座って「からごころ」なのか。ちなみに、庶民に正座が浸透するには、畳の使用が広がり(むかしの畳は柔らかかった→畳が硬くなると座布団が登場)、最終的には、明治後期に脚気問題の解決を待たなければならなかったはず、という。にもかかわらず、明治以降の修身の教科書には「正座をする立派な日本人」が頻出し(徳川家康まで!)、「日本人は昔から正座をしていた」という誤解を子供たちに植え付けるようになっていった。

 女性の座り方も同様である。古い時代の女神像は片膝立てであり、北条政子にはアグラの肖像、秀吉の妻・北政所や上杉謙信の姉には、立て膝の肖像が残っているという。去年の『天地人』など、戦国時代を舞台としたテレビドラマ、そんなに熱心に見ているほうではないけれど、男性のアグラはともかくとして、女性の立て膝は見た記憶がないが、ミョーにきちんとした女性の正座に私が違和感を覚えるのは、間違いではないのだな。

 「日本のマナーはどこかでとんでもないものを取り入れたのだ。いや、作り上げたのだ。それが日本近代史によるものか、『道』に対する謹厳実直によるものか、それとも捩れた日本イデオロギーによるものか、このこと、そろそろ根底から問いなおしたほうがいい」というのは、前掲、松岡正剛氏の書評の一部である。「正座」の苦手な者の恨み節を割り引いても、私もそのように思う。

 本書の著者の、正座に対する態度は、もう少しニュートラルである。体に負担がかかるような無理をすることはない。しかし、短時間の正座には「エクササイズ」としての効用もあるという。自信のない人は、入浴中の湯船の中がおすすめとか。試してみたら、確かにこれはよかった。

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