見もの・読みもの日記

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中国の白話小説から日本の怪談へ/お化けの愛し方(荒俣宏)

2017-09-22 22:35:28 | 読んだもの(書籍)
〇荒俣宏『お化けの愛し方:なぜ人は怪談が好きなのか』(ポプラ新書) ポプラ社 2017.7

 表紙のあとに「妖怪お化け映画大会」のポスター図版が掲載されているので、近現代のお化けの話かな、と思っていたら、だいぶ違った。「まえがき」は、著者自身の回想から始まる。小学三年生のとき、祖父が交通事故死し、冷たい遺体となって帰って来た。そのときから、ずっと怖がりだった荒俣少年は、死んでお化けになるのは必然のこと、死後の世界こそが真実だと感得する。そして、お化けと仲良くなる方法を求めて、片っ端からお化けの本を読み始めた。

 日本人は、お化けとの付き合い方をどう考えてきたか。ここからが本題だが、話は中国から始まる。中国では、唐の時代までに各地で見聞された事物・事件を報告する文書が大量に成立した。これが読み物になったものが「志怪小説」で、代表作に『捜神記』がある。その後、志怪小説のシンプルな記録体が発展して、描写が精密になったものが「伝奇小説」で、明代には瞿佑(くゆう)が『剪燈新話』を書く。文体は美文調だが、とんでもない下品な内容ということで禁書にされた。明末には、もはや美文は不要で、ジャーナリスティックな口語体が好まれた。第一人者の馮夢龍(ふうぼうりゅう)は、怖い話も面白い話もエロティックな話も書いた。これら中国の怪談に注目した日本人作家のひとりに江戸川乱歩がいる。乱歩は、馮夢龍の『情史類略』をひもといて、中国の恋愛物語は、その四分の一が怪談や化け物話であることを発見している。

 さて日本では、平安時代以来、お化けは本当に怖いものと刷り込まれていたが、「浮世草子」や「仮名草子」によって、修身・説教よりも娯楽を求める読者層が広がるにつれ、江戸のお化けブームが成立する。この大変化を後押ししたのが「中国新文学からの荒々しい刺激」だった。室町時代には足利政権下で「唐音」と呼ばれる漢字の読み方が学習され、新しい中国文芸の受け入れが始まった。ちょうどこのとき、中国は志怪・伝奇小説の中興期にあたっていた。

 また長崎の通詞(通事)も、中国語の古い知識を、新時代に即した読解方式(白話文への対応)に改革する必要に迫られた。この仕事にあたったのが、岡島冠山(1674-1728)である。この頃、長崎に着く中国船は白話小説の新本をどっさり積んできた。岡島は『水滸伝』を翻訳し、『西遊記』などの解読授業を実施したという。この流れに乗って、関西の文人サークルでも翻案活動が活発化し、都賀庭鐘(1718-1794)などが活躍する。このあと、上田秋成、浅井了意、井原西鶴、林羅山、太田南畝など、キラ星のごとき近世文化人たちと中国文芸の関わりが語られている。いや面白い。こういうダイナミックな影響関係に着目すると、日本文学史の新しい側面が見えてくる。

 なお、ここでは省略しているが、本書には、中国と日本の怪談の実例が豊富に紹介されている。『西鶴諸国ばなし』に収められている、美人の乗った空飛ぶ駕籠が登場する「津の国の池田にありしこと」は面白いなあ。説教にも教訓にもなららず、みんな困惑しつつ、その存在を受け入れている。ちょっと「うつぼ舟(うつろ舟)」を思い出す。中国の怪談といえば、やはり『剪燈新話』の「牡丹燈記」であるが、原典の翻訳を読んでみると、日本での翻案「牡丹灯籠」「浅茅が宿」とは、大きく異なるテイストが感じられて興味深い。原典の後半には、死女による村人への復讐が語られていて、これはけっこう怖い。著者は「死女の復讐」部分を「姑獲鳥/産女」譚に分類している。

 次に著者は「牡丹燈記」型ロマンスを求めて、タイの「プラカノーンのメー・ナーク」を紹介する。プラカノーン村のナークという女性が出征した夫を待ちつづけて亡くなり、悪霊となる物語で「タイで知らぬ人がいない有名な怪談」なのだそうだ。これが19世紀末には、幽霊の純愛ドラマへ変化し、近年は映画化されて、空前のヒットを記録したそうだ。「汎アジア的なモンスーン的湿り気」にほどよく潤んだゴーストストーリー、というのが著者の評だが、確かに、お化けに対する感覚を共有できる文化には、個人的に親近感が湧く。

 そしてちょっとだけ西洋へ。西洋には、ビュルガーというドイツ詩人が書いた『レノーレ』があるという。恋人の帰りを待つ女性のもとに、戦死した恋人の幽霊が現れ、二人で死の世界に赴くという物語詩。これが、明治初期、日本で「新体詩」を生み出すときの手本の一つとされ、武島羽衣により『小夜砧』という題で翻訳(翻案)されているというのも味わい深い。文化や文芸は、いつも世界を循環していくのだと感じた。

 最後に三遊亭圓朝(円朝)の『怪談牡丹灯籠』について。圓朝は、読みものだった「牡丹灯籠」を聞きものに変えた。その真骨頂は下駄の音である。新三郎とお露の出会いの場面では、お露は「カラコン、カラコン」と軽やかな下駄音を響かせて現れる。さて、お露の正体が判明し、幽霊封じの準備を整えて、新三郎が震えながら待っていると「からーんころーん」という重たい下駄音が近づいてくるのである。この対比には気づいたことがなかった。世界に散らばる「牡丹燈記」の数々のバリエーションの中でも、足音を鳴らす幽霊はいないという。ここからまた、いろいろな連想が湧いて、とても面白い。

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