〇東京ステーションギャラリー 『神田日勝 大地への筆触』(2020年6月2日~6月28日)
北海道・十勝で農業を続けながら画家として歩んだ神田日勝(1937-1970)の回顧展。4月半ばに始まるはずだったが、大幅に会期を短縮し、かつ完全予約制(氏名・電話番号登録制)で、ようやく始まった。
昨年、NHK朝の連続テレビ小説『なつぞら』に登場する山田天陽のモチーフとなったことで、広く知られるようになった画家だが、私はもう少し前、たまたまテレビをつけたら、NHKの日曜美術館が神田日勝の回だったことがあって、新聞を貼った壁に囲まれた『室内風景』に強烈な印象を受けたことを覚えている。ベニヤ板に黒い馬の半身が浮かび上がる『馬(絶筆・未完)』にも。気になるけれど気軽に好きと言えない、こちらの気力が弱っているときに見ると、闇に引きずり込まれるような作品だと感じていた。
本展には、個人蔵のデッサン帳なども含め、84点を展示。ただし、神田日勝が影響を受けた別の画家の作品も混じっていて、少し戸惑った。それというのも、日勝の画風がけっこう変わるのである。いや変わると感じたのは、似た傾向の作品を集める構成になっていたせいかもしれない。同時並行で多様な作品を描いていたというほうが近いのかもしれない。
最初に対面したのは、殺風景な塀や壁の前に丸太や錆びた空き缶が転がり、丸太と同じくらい頑丈そうな身体つきの男や女が佇む風景。太い首、大きな手と足、厚い唇。作者の肖像は、農夫というより労働者の顔をしている。苛酷だが、シンプルで力強い世界。
噂どおり、馬の絵は多かった。日勝の描く馬は、首が短すぎて馬らしくないと思うのだが、道産子(北海道和種)の馬はこんな感じなのだろうか。それから、『死馬』などを見て驚いたのは、その緻密な毛並みの描写。『馬(絶筆・未完)』も小さなアイコンで見ていたときは気づかなったのだが、何重にも色を重ね、渦巻き流れる「黒毛」の複雑な色合いを表現しようとしている。牛の絵もあった。茶色い牛が腹を割かれた状態で横たわっていて、深紅の内蔵が垣間見えている作品には驚いた。血は一滴も流れておらず、凍り付いたように静謐な風景だった。
それから、例の『室内風景』。この作品は北海道近代美術館にあるので、私は札幌にいたとき、見ていてもおかしくないのだが記憶はない(あまりコレクション展に興味がなかったので)。息のつまるような作品だと思う。ところが、そのあとにむちゃくちゃ晴れやかな、色彩の洪水のような作品が並ぶ。『画室』と題されたシリーズで、部屋の隅に乱雑に重ねられた絵具や絵筆、パレット、家財道具などを抽象化して描いたもの。え?別の画家?と思うような方向転換である。家財道具の中にテレビやラジオがあり、作者の服装も身ぎれいになる。1960年代後半、日本が急速に豊かになっていくとともに、貧しかった時代とは異なる、さまざまな問題が顕在化してゆく時代だ。
新聞や商業ポスターのコラージュのような作品もあって面白かった。さらに『晴れた日の風景』など、ナマの色彩を塗り重ねて形をつくるようなアンフォルメル(非定形の抽象画)の技法も試みている。その同じ時期に、十勝の自然を題材にした写実的で詩情にあふれた風景画も描いていて、これもよい。
まだまだ描きたいものがあったろうと思わせるのだが、日勝は32歳で病没する。絶筆『馬』の静けさ。そして『静物・家』など、ほかにも未完の作品があったことを初めて知った。日勝は1937(昭和12)年東京生まれで、東京大空襲に遭遇し、一家で北海道へ疎開したのだそうだ。私の母はもう少し年上だが、やはり東京大空襲を生き延びて現在に至る。日勝がいま健在であっても、少しもおかしくないのだなと思った。彼があと50年永らえていたら、どんな作品を残したか。想像は尽きないが、短い人生の中に、戦後日本の劇的な変化が濃縮されているような展覧会だった。
十勝の神田日勝記念美術館にもぜひ行ってみたい。