見もの・読みもの日記

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エキセントリック前九年の役/文楽・奥州安達原

2022-09-21 20:07:30 | 行ったもの2(講演・公演)

国立劇場 令和4年9月文楽公演(2022年9月19日、17:15~)

・第3部『奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)・朱雀堤の段/敷妙使者の段/矢の根の段/袖萩祭文の段/貞任物語の段/道行千里の岩田帯』

 国立劇場が改修のため長期休館に入るというニュースは聞いていたので、「初代国立劇場さよなら公演」の冠付きと聞いて、これは行っておかなければと思い、慌ててチケットを取って、大型台風が日本列島を縦断中の9月19日に見に行った。そうしたら、小劇場を使う文楽公演は、12月も国立劇場で行われるみたいで拍子抜けした。ちょっと詐欺にかかった気分だが、まあいいことにしよう。

 『奥州安達原』は近松半二作。プログラムの解説によれば「奥州に独立国家樹立をめざす安倍氏の策略が、源義家によって挫折に追い込まれてゆくまでを描く」物語である。史実を核に、空想のコロモでくるんで味付けする手際が実にダイナミック。ただ、登場人物が多く、人間関係が複雑なので、筋書を手元に置かないと最初はかなり混乱する。

 はじめに盲目の物乞い女・袖萩と、その娘の幼子・お君が登場。平傔仗(けんじょう、実は袖萩の父親)と八重幡姫(源義家の妹)が通りかかり、さらに人目を忍んで駆け落ちに急ぐ生駒之助と傾城・恋絹がやってくる。八重幡姫は生駒之助に思いを寄せながら身を引いた過去があり、恋絹は、恩のある八重幡姫と生駒之助のために「来世の祝言」を執り行う。そこに追手が現れるが、袖萩は二人を小屋に匿い、逃がしてやる。追手の侍・瓜割四郎と平傔仗の会話から、袖萩は、さきほどの老侍が自分の父親であることを知る。

 平傔仗は、帝の弟・環の宮の傅役(もりやく)だが、環の宮は三種の神器の一つである十束の剣とともに行方知れずになっていた。傔仗の娘二人のうち、袖萩は素性の知れない浪人侍と深い仲になって出奔し、敷妙は源義家に嫁いでいた。その敷妙が使者として現れ、宮の捜索の猶予も今日限りという義家の意思を伝える。内心では傔仗に同情している義家は、奥州から連行した鶴殺しの罪人・外が浜南兵衛の詮議に望みを託す。

 衣冠束帯姿の桂中納言則氏が登場。則氏と義家は、南兵衛の正体が安倍宗任であることを見抜き、奥の間に引き立てる。則氏は傔仗に、宮の失踪の責任をとって、いさぎよく切腹することをほのめかす。

 御殿の裏木戸にたどりついた袖萩とお君。袖萩は三味線をつまびき、祭文に託して親不孝を詫びるが、母の浜夕は厳しい言葉を浴びせるばかり。お君の父親である侍の素性を記した手紙を見せるが、そこには安倍貞任の名前があった。進退窮まった傔仗は切腹、絶望した袖萩も懐剣で自害。それを見届けた則氏が去ろうとすると、義家が登場。南兵衛こそ安倍宗任、則氏こそ安倍貞任であることを喝破し、戦場での勝負を誓って別れる。

 〇〇実は△△、の目まぐるしい交錯。敵と味方のダイナミックな対峙。いかにも「つくりもの」だけど面白い。いま好きで見ている金庸先生の武侠ドラマに似通ったところもあるように思う。

 私は『奥州安達原』を初見と思って見に行ったのだが、途中でおや?と思った。実は2017年に「環の宮明御殿の段」(=袖萩祭文の段?)だけ見ていたのだ。素人には、今回のほうが物語の設定が分かりやすくて、ありがたかった。

 しかし最後の「道行千里の岩田帯」(生駒之助と八重幡姫の道行)は、何のために上演されたのかよく分からなかった。プログラムの解説を読むと、傾城・恋絹、実は安倍頼時の娘で貞任・宗任の妹なんだな。さらに道行の先に二人を待ち受ける運命は、久しく上演をみない「一つ家の段」に描かれているのだそうだ。一つ家!そういうことなのか…南無阿弥陀仏。

 人形は袖萩を桐竹勘十郎さん。冒頭の「朱雀堤の段」は全員黒子姿だったのに袖萩の表現が群を抜いていて、出遣いになって、ああやっぱりと思った。桂中納言則氏=実は安倍貞任は吉田玉男さん。久しぶりに大きな立役で見たが、やっぱり見栄えがする。

 あと、久しぶりに(?)購入した国立劇場の文楽公演のプログラム、値段は上がったが、吉田和生さんのインタビュー(カラーページ)など読み応えがあってよくなったと思う。

コメント
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