○島泰三『安田講堂1968-1969』(中公新書) 中央公論社 2005.11
個人史的なことを書いておくと、1969年、私は小学生だった。安田講堂の攻防戦については、曖昧な記憶がある。その頃、両親と私(と弟)は、八畳の和室に布団を並べて寝ていて、枕元にテレビがあった。ある朝、父と母は、めずらしくテレビをつけて朝の支度をしていた(大きなニュースがない限り、こういうことはしない人たちだった)。テレビの音声で起こされてしまった私は、布団にくるまったまま、同じ画面を見ていた。たぶんそれが、機動隊突入直前の安田講堂だったのではないかと思う。本書によれば、機動隊が行動を開始したのが午前6時半、安田講堂に突入したのが午前8時だというから平仄は合う。
私の両親は、立てこもり学生たちに対して冷ややかだった。「こんな馬鹿なことをしでかして」という批判的な態度を言外に感じた。そして、「いい子」の小学生だった私は、「こんな馬鹿な大学生にはなるまい」と子供心に思った。この記憶が、1960-70年代の学生運動に対する私の見方を、今日まで規定している。
両親は、別に体制派の恩恵を受けたブルジョワ階級だったわけではない。共稼ぎで朝から晩まで働いて、ようやく新しい家を建て、ただ「家族で豊かになること」だけに一生懸命な毎日を過ごしていた。本書には、学生運動に共感し、支援をおくった街の人々の思い出が描かれているが、一方に、私の両親のような人々も少なくなかっただろうと思う。
さて、本書は、1968年1月の原子力空母エンタープライズの佐世保入港事件から、69年の安田講堂陥落までの学生運動を、特に東大と日大に力点をおいて、時系列的に追った著作である。オビに「なぜ彼らは最後まで安田講堂に留まったのか」とうたっているが、はっきり言って、とてもその回答が見つけられるようなものではない。著者は、当時「本郷学生部長」として安田講堂に立てこもった当事者である。いや、当事者であっても、後世の視点から、過去の自分を再評価しなおす試みはあり得ると思うが、本書はそういう著作ではない。ひたすら己が記憶をたぐり寄せ、「なぜ我々は」「あのとき我々は」という記述で終始している。
その結果、記述には臨場感があり、当時の学生運動に強いシンパシィを感じている人々には、願ってもない読み物になっていると思う。しかし、あの時代を、もう少し客観的・分析的に知りたいと思っている者には、あまり役立つ著作ではない。著者が熱い心情に遡行していけばいくほど、私は「バッカじゃなかろうか」という気持ちを抑えることができず、最後は飛ばし読みにして、なんとか読み終わった。
目を覆いたくなったのは、たとえば以下のような記述。安田講堂前に現れた日大全共闘代表の姿について、著者は語る。「そこにはまぎれもない、男がいた。『男(お)の子は、敵の返り血を浴びてこそ』と武士が我が子に語った、その男がいた」。
これって、戦前戦中の「忠君愛国」「討ちてしやまん」のヒロイズムと、どこが違うだろう? 当時の文章ならまだしも、2005年の今になっても「男がいた」としか書けないところに、この世代の「限界」の根深さを感じて、ほんとにため息が出る。ちなみに、本書に散見する純粋可憐な女子学生の思い出は、全て「男がいた」のマチズモの裏返しである。まあ、このあたりの詳しい分析は、大塚英志の『「彼女たち」の連合赤軍』(文藝春秋, 1996)を読むべし。
個人史的なことを書いておくと、1969年、私は小学生だった。安田講堂の攻防戦については、曖昧な記憶がある。その頃、両親と私(と弟)は、八畳の和室に布団を並べて寝ていて、枕元にテレビがあった。ある朝、父と母は、めずらしくテレビをつけて朝の支度をしていた(大きなニュースがない限り、こういうことはしない人たちだった)。テレビの音声で起こされてしまった私は、布団にくるまったまま、同じ画面を見ていた。たぶんそれが、機動隊突入直前の安田講堂だったのではないかと思う。本書によれば、機動隊が行動を開始したのが午前6時半、安田講堂に突入したのが午前8時だというから平仄は合う。
私の両親は、立てこもり学生たちに対して冷ややかだった。「こんな馬鹿なことをしでかして」という批判的な態度を言外に感じた。そして、「いい子」の小学生だった私は、「こんな馬鹿な大学生にはなるまい」と子供心に思った。この記憶が、1960-70年代の学生運動に対する私の見方を、今日まで規定している。
両親は、別に体制派の恩恵を受けたブルジョワ階級だったわけではない。共稼ぎで朝から晩まで働いて、ようやく新しい家を建て、ただ「家族で豊かになること」だけに一生懸命な毎日を過ごしていた。本書には、学生運動に共感し、支援をおくった街の人々の思い出が描かれているが、一方に、私の両親のような人々も少なくなかっただろうと思う。
さて、本書は、1968年1月の原子力空母エンタープライズの佐世保入港事件から、69年の安田講堂陥落までの学生運動を、特に東大と日大に力点をおいて、時系列的に追った著作である。オビに「なぜ彼らは最後まで安田講堂に留まったのか」とうたっているが、はっきり言って、とてもその回答が見つけられるようなものではない。著者は、当時「本郷学生部長」として安田講堂に立てこもった当事者である。いや、当事者であっても、後世の視点から、過去の自分を再評価しなおす試みはあり得ると思うが、本書はそういう著作ではない。ひたすら己が記憶をたぐり寄せ、「なぜ我々は」「あのとき我々は」という記述で終始している。
その結果、記述には臨場感があり、当時の学生運動に強いシンパシィを感じている人々には、願ってもない読み物になっていると思う。しかし、あの時代を、もう少し客観的・分析的に知りたいと思っている者には、あまり役立つ著作ではない。著者が熱い心情に遡行していけばいくほど、私は「バッカじゃなかろうか」という気持ちを抑えることができず、最後は飛ばし読みにして、なんとか読み終わった。
目を覆いたくなったのは、たとえば以下のような記述。安田講堂前に現れた日大全共闘代表の姿について、著者は語る。「そこにはまぎれもない、男がいた。『男(お)の子は、敵の返り血を浴びてこそ』と武士が我が子に語った、その男がいた」。
これって、戦前戦中の「忠君愛国」「討ちてしやまん」のヒロイズムと、どこが違うだろう? 当時の文章ならまだしも、2005年の今になっても「男がいた」としか書けないところに、この世代の「限界」の根深さを感じて、ほんとにため息が出る。ちなみに、本書に散見する純粋可憐な女子学生の思い出は、全て「男がいた」のマチズモの裏返しである。まあ、このあたりの詳しい分析は、大塚英志の『「彼女たち」の連合赤軍』(文藝春秋, 1996)を読むべし。