見もの・読みもの日記

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最澄と天台の国宝/京都国立博物館

2005-11-29 22:18:20 | 行ったもの(美術館・見仏)
○京都国立博物館 天台宗開宗1200年記念『最澄と天台の国宝』

 前日の記事に書いたとおり、ようやく図録を手に入れることができたので、この展覧会について書いておきたいと思う。実際に訪ねたのは、今月5日のことだ。いや、「すごい」展覧会だった。

 私は、どちらかといえば、真言宗のほうが好きだ。真言宗ゆかりの美術といえば、東寺の講堂の諸像、十二天図(京都国立博物館蔵)、高野山金剛峯寺の孔雀明王、八大童子など、名品の数々を、すぐに挙げることができる。創始者としても、取り澄ました秀才ふうの最澄より、破天荒な空海のほうが、ずっと魅力的に感じられる。

 観客は、最初の展示室で、この最澄の木像に迎えられる。よく教科書などの挿絵に使われるものだ(滋賀・観音寺蔵)。膝の上で禅定印を結び、目を閉じて瞑想にふける姿だが、眉根に癇癖らしい皺が寄っている。ふっくらした頬、小さな口、撫で肩、つぶれた饅頭のような丸顔に、頭巾を被ったところは、どこか”おばちゃん”っぽくて滑稽である。

 と思っていたのが、横に回ってみると、印象が変わる。正面では目立たなかった、すらりとした鼻筋が強調され、面長な印象になる。閉じた目元に厳しい、憤怒のような憂いがあって、理知的な美青年の面影が現れる。おや。最澄って、こんな人だったか。私はしばらくその木像の横に立ち尽くした。

 考えて見れば、最澄の「一切が菩薩であり、一切が成仏できる」という総合主義は、母性原理的である。一方、天台教学の緻密な論理体系を咀嚼し、日本にもたらした働きは、男性的であるとも言える。

 同じ部屋には、兵庫・一乗寺の有する天台高僧図十幅の一部が掛かっていた。これがものすごくいい。平安中期の作品だそうだが、高僧図が様式化する以前の、信仰の生々しさが、構図にも配色にも現われている。その中の最澄像(京博のサイトに画像あり)は、彼の艶治で女性的(おばちゃん的)な面と、理知的な青年らしさを、1枚の肖像にあらわしていて、魅力が尽きない。

 最澄以後、天台には、多士済々の名に恥じない、さまざまな名僧が現れた。教学の面でも、美術の面でも、多様な展開が見られた。数々の文書、経典、仏画、絵巻の間を(あまりに豊潤・絢爛たる展開に)喘ぐような思いでめぐり歩くうち、順路は、とうとう仏像を展示した大ホールに行きついた。

 そこは見事な構成だった。近年の仏教美術の展覧会は、体育館のような大ホールに多数の仏像を配置し、観客はその間を回遊しながら、前に立ち、後ろに立ちして、自由に鑑賞できる方式が多い(欧米の博物館での、彫刻の見方に倣ったものだろうか)。

 ところが、この展覧会では、主要な仏像は、それぞれ、仏龕のように仕切られた個別のブースに収まっていた。ひとつの「仏龕」の前に立つと、隣にどんな仏がいらっしゃるのかは見えない。観客は、仏龕の前を移動しながら、1体1体の仏に礼拝するように相まみえるのである。大宰府・観世音寺の大黒天がいらっしゃったり、滋賀・善水寺の薬師如来がいらっしゃったり、私はいちいち驚き、感激しながら、巡礼した。

 それら「仏龕」の列と垂直に交わる角度で、すなわち、ホールに入ってきた全ての観客の視線を最初に受けるところにお立ちになっていたのが、延暦寺・横川中堂の本尊である聖観音菩薩だった。踊るように微かなS字に腰をひねり、胸の前に蓮華の蕾を立て、夢見る少女のように微笑まれている。まことに慈愛の化身そのものに思えて、とても”美術品”として見ることができなかった。心の中で手を合わせて礼拝した。

 この観音菩薩の対面の位置にいらした、大分・大山寺の普賢延命菩薩は、台座の下に2段になった白像の群れを配したもの。絵画では類型的な構図だが、彫刻で見るのは初めてで、驚嘆した。

 この展覧会、来春には東京に来ることになっているが、仏像はかなり入れ替わるらしい。どのような構成になるのか、楽しみである。

■参考:京都国立博物館→「これまでの展示」を見よ。
http://www.kyohaku.go.jp/jp/tenji/index.html
コメント
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