「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「一抹の寂しさ」を覚える秋の夕暮れ

2023年11月25日 | 独り言

クラシック音楽に親しんでからもう50年以上になるなあ・・と、秋の夜長にふと思う。

いろんな名曲の酸いも甘いも噛分けてきたつもりだが、その中で「もし好きな指揮者を挙げるとしたら誰ですか?」と、問われたとしたら「サバリッシュ」という名前はどうしても外せない。

かってN響の桂冠名誉指揮者だったので、全国放映しているテレビをご覧になった方も多いことだろう。大学教授然とした知的な風貌である。


                           


今から10年前の2013年に亡くなり、享年89歳とあって行年に不足はないものの、やはり今でも残念な思いがする。

本家、ヨーロッパのクラシック界ではオペラが重要な演目になっており、「オペラを振らせると指揮者の実力が分かる」とまで
言われているが、彼が指揮したオペラ「魔笛」は大のお気に入りだった。

CD、DVD合わせて50セット近く収集していろんな指揮者の個性に接してきたが、彼の指揮したものはその中でも極めてオーソドックスな解釈のもと、どこといって破綻のない、まことに中庸を得た演奏だったので安心して「魔笛」の世界に浸れたものだった。

左がCD盤(2枚組)、右がDVD。
              

周知のとおり「魔笛」の主役は5人いるが、粒よりのメンバーがすべてそろうことは不可能に近く、いかなる盤にも何らかの配役に憾みを残す。

このサバリッシュのCD盤では、高僧役に「クルト・モル」、王子役に「ペーター・シュライアー」、道化役(パパゲーノ)に「ウォルター・ベリー」と、男性陣に当時としては最高のメンバーを得ているものの、女性役二人がちょっと物足りない。

一方、DVD盤では女性陣のうち「夜の女王役」としていまだに最高峰とされる「エディタ・グルヴェローヴァ」、王女役に「ルチア・ポップ」というこの上ない豪華な顔ぶれだが、今度は男性陣2名が物足りないといった具合。

巷間、「魔笛に決定盤なし」と言われている所以が、これらサバリッシュ盤にも如実に伺われるところ。

ところで、サバリッシュのフルネームは「ウォルフガング・サバリッシュ」である。ピンと来る方がきっといるに違いない。

そう、あの我らがモーツァルトのフルネームが「ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト」である。ちなみにかってのウィーンフィルの首席フルートは「ウォルフガング・シュルツ」(故人)である。

いったい「ウォルフガング」とはどういう語源を持つんだろうか?こういうときにはググってみるに限る。

すると、「Wolfgangは主にドイツ語圏などで見かけることができる人名で”狼の牙”という意味を持つ」と、あった。そういえば、英語でも「狼」のことを「ウルフ」と呼んでいる。おそらく狩猟民族に由来する名前ではあるまいか。

ちなみに、モーツァルトの生地「ザルツブルク」は「ザルツ=SALT=塩」と「ブルク=砦」が合わさった言葉で文字通り「岩塩」の産地として知られている。


そして、「アマデウス」という名称・・。

「神に愛されし者」という意味だが、この「アマデウス」という言葉には思い出があって、ここでちょっと寄り道させてもらおう。


「人生山あり谷あり」なので、誰にでもスランプや不遇の時代があると思うが、そういうときには自分の場合、「転職」を考えるのが常だった。まあ、一種の逃避だね、これは~(笑)。

当時を振り返ると、ベストセラー「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子さん著)なんて、立派な精神にはとてもなれなかったことを複雑な気持ちで憶い出す。

そして、逃げ道候補の一番手はクラシック専門の「音楽喫茶」を開くことだった。

当時はタンノイ・ファンだったのでオートグラフをドカンと店内に据えて、アンプは五味康祐さんのように、マッキンの「MC22+MC275」のコンビで鳴らそうなんて夢みたいなことを考えていたが、
その時の音楽喫茶に付ける名前を一貫して心に刻み込んでいたのが「アマデウス」だったというわけ(笑)。

奇しくも、2セット目の「AXIOM80」を譲ってくれた千葉のSさんも音楽喫茶を開くのが夢で、その時には店名を「アマデウス」にしようと決意されていたそうで、「音楽好きは似たようなことを考えますね~」と二人で苦笑したものだった。

なお、この音楽喫茶の顛末だが「こんな地方の田舎でどれだけクラシック・ファンがいると思っているんですか。食べていけるわけがないでしょう!」と、家人のもの凄い反対に気圧されて、結局諦めざるを得なかった。常識的に考えても、おそらく誰もがそう言うに違いない。

こうして今では何の憂いや不満もなく音楽・オーディオ三昧の日々を送っているのだから、当時の選択はおそらく正しかったのだろう・・。

しかし、「結果良ければすべてよし」でいいのかなあ・・と、一抹の寂しさを覚える「秋の夕暮れ」ですぞ(笑)。


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