「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オーディオ談義~「いい音」とは?~

2009年12月13日 | オーディオ談義

「ヌヴーの新盤(焼き直し)は音があまり良くなかったみたいだね~」と、前々回のブログをご覧になったオーディオ仲間のM崎さんからの電話。

「そうなんですよ。モノラル録音〔1948年)をわざわざ擬似ステレオ化してるんですけど、(発売元の)親切が仇(あだ)になったみたいですね。オーケストラがステレオ化するのは歓迎ですが肝心のヴァイオリンの音までが左右に広がってしまってはもうイケマセン。やはりヴァイオリンの音がきちんと中央から聴こえてくる元の盤のほうがいいみたいですね」

「それなら、ステレオをモノラルにするソフトを持っているので、焼き直し盤とSPMPT(1枚800円のCD-R)を送ってくれたら、コピーしてモノラルの音に戻してあげるよ。ただしマックの8倍速だけどね」

「それは面白そうですね。別に原盤が磨り減るわけでもなし、早速郵送します。とりあえず240円の切手を貼って近くのポストに入れます、もし、足りないときは”立て替え”お願いしま~す。」ということで、後は試聴盤を首を長くして待っていたところ、郵メールで自宅に到着したのが12日(土)の午後。

すぐに聴きくらべてみると、今回の焼き直し盤よりもはるかにいい。しかもこれまで所持していたコピー盤よりもさらに音が柔らかくなって解像度も向上し低域のボンツキもない。

まったく「素晴らしい」の一言で第ニ楽章(ブラームスのヴァイオリン協奏曲)なんかウットリ陶然の境地。全国のヌヴー・ファンに是非聴いてもらいたいほどでこれは絶対に世界で1枚しかない秘蔵盤。M崎さんも同意見だった。

以上、「昔のモノラル録音をわざわざ擬似ステレオ化にしなくてもいいのに」という他愛ない話なのだが、似たような話があってヘンリク・シェリング(ヴァイオリニスト)の弾くバッハも近年、焼き直し盤がリリースされたものの同様に擬似ステレオ化したため評判が悪くて過去のモノラル盤の方が高値で取引されているという。

こういう類の話、よ~く考えてみるとちょっと不思議。

私たちが実際に演奏会などで音楽を聴くときにはモノラルの音なんてのはまずありえない。すべて左右一杯に広がった音、しかも直接音と間接音とが微妙に入り混じったホール全体の音を聴いているのが普通。

それなのにオーディオ装置で聴くときは「モノラルの方がいい」なんてことになると、もしかすると自分たちの耳の方がおかしいのでは、なんてことも考えられるわけ。

今回のヌヴー盤にしても擬似ステレオのほうが「生演奏らしく聴こえて好き」という人がいても、不思議ではないし、発売元だってそう思ったからこそ擬似ステレオにしたに違いない。

結局、これを敷衍〔ふえん)して言えば昔から絶えず繰り返されている議論に行き着いてしまう。

オーディオ装置で聴く音で「正しい音」とは一体何か。

こういう場合、一応「生演奏の音」が基準になるんだろうが自分なんかは完全な割り切り派。電気回路を通した音に「生の音」の再現は出来っこないので、ユメユメ深追いは禁物と思っている。

それらしい音で
「うまく騙してくれれば上等」というわけで、上記のヌヴー盤にしてもモノラル盤のほうが擬似ステレオ盤よりも「騙し方が自然でうまい」と思うだけ。つまり虚構の世界で自分好みの「いい音」が出てくれればそれでいい。

いつぞやのブログにも投稿したが「オーディオ テクネ」という会社がオーディオ装置に対して「原音に近づく正しい音とは」と題して次のように専門誌に掲載していたことがある。

 ボリュームを上げてもうるさくない音で会話が楽にできる。
 音は前には出ない。後方に広がり自然に消える。
 音像は左右後方に定位し、左右フラットに定位しない。
 小さな音でも明瞭度が下がらない。
 スピーカーの近くでも離れても後方でも音質、音圧の変化をあまり感じない(音は波紋である)
6 音は思っている程、迫力、パワー感のあるものではない。
 試聴上、歪(物理特性ではない)が小さくなると音像が下がり、音階、楽器の音色が正しくなる。
 長時間聴いても疲れない。連室でも音が邪魔にならない。

およそ「正しい音」とはこういうものだろうし異論を挟むつもりはないが、実現するとなると、そもそも部屋の広さの問題から解決せねばならず相当の財力と力量と時間が要る。結局「いい音」との整合性をどう計るかがポイントだろう。

因みに現在考えている「いい音」を自分なりに表現すると次のとおり。

装置全体の音が澄んでいて柔らかい雰囲気で満たされ楽器の音色がそのまま素直に表現されているような音。それに音に奥行き感がある。彫りの深さとでも言うべきか。たとえば手前にヴァイオリンが位置し、その奥に管楽器が、さらにまたその奥にティンパニーがというようにそれぞれの楽器の前後左右の距離感覚が明瞭に分かる音。

これに、大宰府のM田さん宅のような「音のエネルギー感」が、ここぞというときに爆発してくれれば申し分無しといったところだが、まず永久に無理だろうなあ~。

 

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