県内在住のKさんから寄稿していただいたジャズの4枚の名盤解説も名残惜しいがとうとう最後の1枚になった。
それはビル・エヴァンスの「ユー マスト ビリーブ イン スプリング」。
直訳すると「春が来ることを信じなければいけない」だが、ゆっくり噛み砕くと「冬来たりなば春遠からじ」(今は不幸な状況であっても、じっと耐え忍んでいれば、いずれ幸せが巡ってくるというたとえ)ということかな(笑)。
1973年の1月、私は芝の郵便貯金ホールにいた。初めて来日するビル・エヴァンス・トリオを聴く為だ。
残念ながら、エヴァンスの真価が解るにはJAZZを聴き始めて4年ばかりの経験の未熟さでは、太刀打ち出来なかったと言っていい。
事ほど左様に、黒人の明るく弾けたハッピーなピアノ演奏ではなかったので、コンサート栄えしなかったのだ。そして、月日が過ぎて50年人生の明暗や喜怒哀楽の経験を積み重ねて、ようやくビル・エヴァンスの醸すハーモニーや冷やかなスィングが心に沁みてくるようになって来た。
この1977年のアルバムは、巷間言われている初期の黄金トリオ(エヴァンス~ラファロ~モチアン)ではなく、一番長く続いたゴメスとの最終作でしかもエヴァンスの死後発表されたもの。
この素晴らしいアルバムが何故すぐリリースされなかったか、不思議でならない。最初の1曲目「Bマイナー・ワルツ」は、エレンの為に書かれた曲。エヴァンスと共に初来日したのに、帰国後地下鉄のホームに身を投げたと報じられた。
2曲目「ユー・マスト・ビリーブ・イン・スプリング」は、数々の有名な映画音楽を作曲しJAZZ好きなミッシェル・ルグランの、『ロシュフールの恋人たち』からの曲。
4曲目「ウィー・ウィル・ミート・アゲイン」は、自殺した兄ハリーに捧げた曲である。全ての曲があたかも組曲であるかのように連なり、亡き人に対する抑制の効いた哀悼、後悔、優しさを感じる。
それから、奇しくも追加されたボーナストラックの1曲が、「フレディ・フリーローダー」だ。あの『Kind Of Blue』でウィントン・ケリーが唯一弾いた曲で、故人となったケリーを偲んだのだろうか。
ちなみにこのアルバム・プロデューサーは、JAZZのみならずポピューラー全般で名盤を送り出してきたトミー・リピューマ。
ジョージ・ベンソンの『Breezin’』、ナタリー・コールの『Unforgettable』、ダイアナ・クラールの『Live In Paris』と3度のグラミー賞を獲得した名プロデューサーである。そして、録音エンジニアは名手アル・シュミットで音も不満はない。
以上のとおりだが、ネット情報によるとエヴァンスは1929年ニュージャージー州の生まれ。
マイルス・デイヴィスなどとの共演を経て(ジャズ史上最高の名盤の一つとされることも多い、マイルスの「カインド・オブ・ブルー」に参加)、1960年代に自己のトリオを結成。
その初代のトリオによる「ワルツ・フォー・デビー」などの一連の作品は、ジャズのピアノ・トリオにおける究極とする人も少なくない。
麻薬の常用で身体を蝕まれ、1980年にわずか51歳で死去。直接の死因は肝硬変、出血性潰瘍にともなう失血性のショック死ということのようだ。
というわけで、ジャズマンと麻薬は切っても切れない環境にあるようで、プレイに陶酔できれば命なんてどうだっていい「太くて短い人生」の典型例といえる。
それにしても、「K」さんが選ばれたジャズの名盤4曲は結局「マイルス・デイヴィス」と「ビル・エヴァンス」に尽きるようだ。
ジャズには門外漢の自分でもビル・エヴァンスは随分親しみやすさを覚えていて、これまでもちょくちょく聴いている。クラシックにジャズのリズム感を取り入れて、まるで両者の橋渡しみたいな印象がある。
そして、改めて聴いてみて我が家のシステムの中で「ビル・エヴァンス」と一番相性が良かったのはJBLの「LE8T」(16Ω:初期版)だった。
ピアノの一音一音が綺麗に磨き抜かれて聴こえ、もうめったやたらに美しい。むやみに低音域が膨らまないのもたいへん好ましい。
ビル・エヴァンスが演奏したCDはほかにも、
「ワルツ・フォー・デビー」「ポートレイト・イン・ジャズ」「ムーン・ビームス」「モントゥルー・ジャズ・フェスティバル」「ヴァーブ時代 Ⅰ&Ⅱ」を持っている。
「ビル・エヴァンス」専用のSPとして、これで「LE8T」の居場所がやっと見つかったかな(笑)。
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