「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オーデイオ談義~「オーディオ」は「音楽」に勝てない~

2008年03月28日 | オーディオ談義

3月23日(日)はあいにくと朝からシトシトと降り続く春雨で、どこかに出かける気にもならず読書でもするかと本を開いて読み始めたところ、湯布院のAさんから電話が入った。

「クリプッシュ・ホーンの
ネットワークの部品を変えたところ、音が随分良くなったので聴きに来ませんか」というお誘い。

Aさんからの誘惑(?)にはこれまで期待を裏切られたことがまったくないので「すぐ行きます」と即答して、やや早めの昼食をかきこんで別府~湯布院間の濃霧の中を縫ってAさん宅へ駆けつけた。

さっそくリスニング・ルームに案内されて、入れ替えたというネットワークの部品を拝見。ドイツ製の
「ムンドルフ」というコイル(周波数帯域の上をカットする部品)をみせてもらった。

                          
              ムンドルフ               クリプシュ・ホーン

直流抵抗が0に近いコイルだそうで、見るからにいい音が出そうな風貌と重量感。値段(ペアで4万円前後)もいいが、この程度の価格で音が良くなればまさにオンの字だ。自分も経験があるが、コイルはSP(スピーカー)に直結している部品なので性能次第で音がガラリと変わる。アンプと同等かそれ以上に配慮すべき機器といっていいくらい。

JBLの既製品のネットワークも見せてもらったが、ムンドルフと比べてチャチなもので重さがまるで違う(オーディオは目方だ!)。天下のJBLがネットワークの部品にケチっているのがどうも理解できないが、これはJBLに限らずタンノイにしても同様で総じてメーカー既成のSPのネットワークは信用できない。

「ネットワークだけは絶対に自分で部品を調達して作るに限る」の感をますます深めた。もちろん、(ディバイディング)ネットワークの替わりにチャンネル・ディバイダーという方法もあるが、「ちょっと聞き」のときはいい音に感じるが長時間聴いていると人工的な音が気になって我慢できなくなる。もちろん、好みの世界だろうが・・・。

それはさておき、さっそく次のCDを材料にして音を聴かせてもらった。

☆1 ミレイユ・マチュー~モリコーネを歌う~
☆2 トスカニーニ指揮 ウィーンフィル「オペラ魔笛」(モーツァルト作曲)
☆3 オイストラフ「モーツァルトV協奏曲1番」
☆4 ジネット・ヌヴー「ブラームスV協奏曲」

       
     ☆1           ☆2            ☆3           ☆4

以前にAさん宅で聴かせてもらったのは、昨年の12月初旬で今から約4ヶ月前のことでもあり当時の音は記憶の上で薄れつつあるが、そのときと比べて今回はプレゼンス(実在感)が新しく加わったようで「ムンドルフの威力恐るべし」の印象だった。

何よりも今、実際に聴いている音がいい。低域の量感にしっかりと支えられて、音の佇まい、雰囲気についてはさすがに「クリプッシュホーン」、「やっぱり、いいね~」としばしウットリ。

この奥ゆかしい上品な雰囲気の音は我が家のJBLは苦手としていて、やはり「JBLとクリプッシュホーンとの二刀使いがオーディオの理想の姿かな~」としばし感慨に耽った。

≪試聴盤について≫

☆1のミルイユ・マチュー(シャンソン歌手)の歌唱力はなかなかのもの。モリコーネの音楽も大好きなので、さっそくお借りして我が家で比較試聴することに。

☆2のトスカニーニ指揮の「魔笛」の裏話。オペラ歌手たちが、トスカニーニのあまりにも早いテンポについていけず(歌いにくい)、「何とかならないか」とマネージャーに相談にいったところ、「トスカニーニにテンポを変更させるのは大きな岩山を動かすよりも難しい」と慨嘆されたという話。

☆3オイストラフのこの盤はAさんによると数ある演奏の中で一番好きで、これまで何回聴いたか分からないという愛聴盤とのこと。とにかく、ヴァイオリニストは「オイストラフとハイフェッツ」に尽きるというご意見だが、もう一人、次に出てくる大事な人をお忘れじゃありませんかと云いたいところ。

☆4のジネット・ヌヴーは新鮮な感動を大切にするために日頃あえてめったに聴かないようにしているが、久しぶりにブラームスのV協奏曲を聴いた。やっぱりいつものとおり目頭が熱くなってしまった。ヌヴーの演奏になぜこれほど感動するのか、自分でも不思議でたまらないがいつかは分析してみたい。全国に同好の士がいれば是非意見交換したいものだが・・・。

さて、約2時間あまり、「クリプシュ・ホーン」の音を堪能させてもらって、日曜日のことでもありあまり長居してはと遠慮して、早々にAさん宅を辞去し、まだ耳の記憶の新しいうちに自宅まで急いでクルマを走らせた。

到着すると、とるのもとりあえず、すぐにオーディオ装置のスイッチを入れてお借りしたミレイユ・マチューのCDを鳴らしてみた。第一曲目の「ウェスタン」のテーマ曲。

音の鮮度と解像力にかけては拙宅のJBLの方が上だと思うがヨーロッパ風のあの上品な奥ゆかしさを醸し出す音の艶というか光沢は悔しいがやはり・・・。

この辺が加わると、ウチの音も「鬼に金棒」なんだがな~と思わずため息が出た。

低域の量感の増大  サブウーファーの上に載せていた重たい石の取り外し

中域の帯域の調整 ⇔ コンデンサーの追加(低域の方に伸ばす)

いろいろとやってみながらマチューをはじめいろんなCDをトッカエ、ヒッカエしながらなんとかならないかと試聴していく。こうなるとまるであり地獄の様相を呈するが、最後に「ジネット・ヌヴーのヴァイオリン」を試聴してみてピタリと気持ちが落ち着いた。

あの音質騒ぎはどこへやら、音楽の方に自然と気持ちが溶け込んでしまい、音質なんか二の次になってしまうから不思議だ。とうとう始めから終わりまで40分間ほど聴きとおしてしまった。

やはり、いい演奏は人の心を浄化する作用を持っているようで、「音質の魔力に打ち勝てるのはいい音楽だけなんだ」といやでも納得。

ウーン、そうなのか。文明(オーディオ)は文化(音楽=芸術)の召使なんだからどだい勝とうというのが無理な話というものかもしれない。

危ない、危ない、文明と文化を危うく履き違えるところだった。相変わらずないものねだりをして危険な倒錯を繰り返す懲りない自分がいる。

結局、「オーディオ」は「音楽」に勝てないという、当たり前の事実を当たり前のように目の前に突きつけられた一日だった。


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