経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

おめでたいこと

2014年04月08日 | Weblog
メールの中に、選日名刺交換された Zさん(もちろん仮名)からのが。

 「>(前略) また県内最大手の同業者が倒産しました。
日本中がアベノミックスで湧き、好景気になろうというのに、
またどの業界でも明るい話題が多くなっておりますのに、
私の所属するこの業界は格差も何も
あったもんではない最悪の状況です。
大きくても、つぶれていくようです。
同業の皆さんたちが、同業が>この2年の間に
2分の1ぐらいに減少する。
あるいは>この5年で3分の1になるだろうと、
と言っています。

私のところは大手でもないし、
どちらかというと小さい方で、>
不安でたまりません。(後略)>」

わかる部分は、業界は、
たとえば建設業と書いてあったとしても、
わからないようにカットした。後は原文のまま。

 以下、私の返信メール。 
「これはZさん、チャンス到来ではないですか。
(おめでとうございます。)

大きいところがつぶれて、
自称小さいZさんの企業が残っている。
これは、小が大に勝るとまでは断言できないにしても、
Zさんの事業のほうが、大手さんより強かった、
といったことは言えるのではないでしょうか。

Zさんの業界は、需要に対して業者が余りにも多いことで
むかしから問題視されていましたから、
それが緩和されたこと。
(これに対してもおめでとうございます。)
幸運ですね、(とお慶び申し上げたいと思います。)

(    )内は書いてから、消しました。
ふざけるなーと誤解されそうですから。
え、っ。それでも誤解される?
では、以下誤解されない人だけ。
続く
予告編
ライバルが5分の4、消えてくれたのですから、
残ったところは頭割りするとしたら、
5倍から6倍は仕事が増える・・・・・

ママ、ままならず

2014年04月07日 | Weblog
 この世界では、一時的には友達が多い子が
NO1になることもある。

その子が独立して店を始めると、まず失敗する。
Aママは、ここで息を止める。

そのままでは死んでしまうから、大きく息を吸って、
以下 その話の解決編です。

とりわけ飲食業では、ママ、マスターの友達、常連客が
多いと,新しい客が増えず、ダメになるケースが多いという。

 「そりゃそうだ。7席にのカウンターを常連が皆座ったら、
他のは美人ママに相手してもらえなくなる。」、
とこれはCさん。

 「寿司屋もそうだな。どうもカウンターの常連客に、
良いネタを回しているのじゃないかって。
おれ、いつもそう思えてしょうがなかったんで」、
これはDさん。

「むかし、子供の頃、なかなか、縄跳びの中に入れないで、
困ったことを思い出したよ。
俺って縄跳びは上手なのになぜはいれないか。
当時の気持ちを思いだしてみたんだよ。
そのとき転校してきたばかりで、気後れとか言葉の違いか、
とおもったが、もち、これも関係するよね。」
公務員のEさん。

 私も中学を卒業するまでに、
親が公務員で7回も転校しているので、Eさんの話に、
大きくうなずいたのを覚えている。

 「友達は、未知の人から見たら、派閥みたいなもので、
むやみに第三者が入れない雰囲気を作るよね。
子供の頃のそうしたものが、お店などでも働いている」
というのがAさんのお話と、仲間の話で、よくわかった。
 
お客様が、友人達に囲まれている人に近寄りがたい、
といったことは、友達を大切にする人には
意外なことかも知れません。

がそれはやはり、厳しい言い方をすれば公私混同。
友達関係を商売に持ち込んでは、いけない。
そう思うのです。

 少し補足しますと、友達の方も悪いのです。
気が利かないってこともあるのでしょうが。

 本当の友達は、遠慮して友人の店には出入りしない。
ましてや店の入り口かを使って入るのはお客としての場合だけ。
これが出来ないようでは、子供に公私混同なんてことをいえない。

 そういえば、新潟・十日町の小嶋屋には、
昼のピーク時には、地元客は心遣いをして行かない。
早めか2時過ぎです。
別に皆で話し合って決めている、といったことじゃない。

 それを実際、見て、ああ地元の人は、
小嶋屋を大切に思ってってくださっているんだ。
と胸が熱くなりましたよ。

地域に密着とか、貢献とかいいますが、
結局はこういうところへ帰結するんだ、と小林さんを見直した。
(もっとも先祖の偉いところだろうけれど)) http://www.hegisoba.co.jp/

 このように、「なぜか」をみんなで出し合うと、
案外にすらすら、と、「その理由」が固まる。
(MMAPに関する展開事例参照))

 次に、「それ、Aさんお世界だけだろうか」、
「それっておれんとこなどでも同じだよ」
ということで、皆がうなずくと、
これ、普遍性があると言うことになる。

 としたら、自分の企業のどうしたシュティエーションで
出てくるのか。そしてそれをどう潰していくのか
ということになる。ここまで落とし込む。
これが脳力開発の売りです。

実践して、業績につなげない勉強会は、
勉強という看板が付いた遊び会になってしまう。

 友達は、商いに加えず。
利害のない、離れた高所から見てもらう。
お客様を、友達化する。

以来、これが私なりの商いの則のひとつになりました。


 身近のお店なりで、
「友達がお客で、友達以外は輪に入れず」
てなことを経験されたことはないでしょうか。

自分のお店のことは、つかみにくいから、
自分の経験で、自店を再点検する。

こうした習慣が組織内に定着すると、
組織は日々の通常活動を通して自動的に活性化していく。

この世は、あるいは組織が、
ママならぬと感じている人は、このママの話をヒントに。

主と従

2014年04月05日 | Weblog
ここに主従がいる。
主は1人、従は10人、としよう。

主あっての従。従あっての主。これを主従の関係という。

その関係とは、次のようなものだろう。
この主は王になりたい夢を持っている。
自分で自分を持ち上げることは絶対に出来ない
と言うことを知っている、この主は、
持ち上げてもらうために従を雇用した。 

従にすれば、主を王様にすれば、
自分たちもそれぞれ出世できる。
主はその彼らに乗っかっていさえすれば、
彼らが王様の位置まで持ち上げてくれる。
テコの原理を知っている主であった、ともいえる。

次に、バーベルを頭上に持ち上げている姿を
イメージしていただきた。

バーベルがあなた。あなたの事業、仕事としよう。
支えている人を、あなた以外の人。
事業では消費者だ。
この支えている消費者が、手をはずしたらどうなるか。

バーベルは己の力で持ち上がっていなかったのだ、
と気づくまもなく、ドスンと床に落下する。
これが倒産である。 

商の国を作った湯王(とうおう)は、
「民ありての王なり」といった。
民主主義をの始祖みたいな人でもある。
奇しくもこの国の人を商人という。 

こう考えたら、仕事は濃淡の差はあるにせよ、
この持ち上げてくれる人に、その気にさせる要素が
含まれていることが不可欠であることが理解できよう。

だから企業内の論理、都合、事情、スケジュール
といったことを恙なくこなすことではない。 

事業や自分の都合、段取り、事情、ルールに
消費者をはめ込んで言動することではない。 

自己の利害のために他者を操作することではない。

働きやすい職場作りのために、消費者や取引先に
犠牲を強いることではない。

これらは道徳や倫理の話ではなく、
企業存亡に関わる根本の話なのである。

すなわち、経営を考えるとき、
バーベルを企業規模、売上とみて、
それらを増やし、いつまでも高々してもらうためには、
この持ち上げてくれる人が、どうした場合持ち上げてくれるのか、
また持ち上げる人をいかに増やすかといったことが、
「経営」ということになる。

それをなぜ、持ち上げてくれる人が、
あきれて手を離す様なことをするのか。 

なぜ企業存亡の危機を賭してまで消費者を裏切り、
背を向けさせる言動をとるのか。

くりかえし、くりかえし同じようなことを書いているので、
実は自分でもいやになっている。 
しかし、これだけくりかえし、くりかえし同じようなことが
起きているということは、経営の本質というものが、
全然わかっていない経営者が、
一人前の経営者としてまかり通っている、としか、
私には思えない。 

だからくりかえし。くりかえし同じことを、
別のたとえで話している。

いかにたとえを取っ替えようと、言いたいことは次のこと。
経営の本意は、自分、自企業を支えてくれる消費者なりと、
いかなる関わりをするか。その関係作りにある。

学び

2014年04月02日 | Weblog
大きな黒板に白いチョークで先生が、数式を書いている。
生徒が見ているのは、黒板だろうか。それとも数式?

こんなことからも、
私は、経営にとってすごく大切なことを沢山教わってきた。
大きい黒板より、小さい方の数式を見ている。

なんでだろ?

数式、文字でも良いのですが、
これが生徒に、見えるのはなんでだろう?
お陰様、つてのは、影のお陰で、日当たりが見える、
ってことなんですね。

黒板があり、黒いから、お陰様で白い数式、文字が生徒に見える。
お日様は実に謙虚ではありませんか。
黒板は、縁の下の力もちではありませんか。
ホワイトボードに、白いマーカーでは目立たない。
ならばなぜ皆、横並び、画一化をめざすのだろう?
お日様の謙虚さを見習いなさい、といいたくなりませんか。

先生が、一生懸命話ししているのに、
上の空、あるいは窓外を見ている生徒がいるのは
何でだろう?

などなど。

学びの本質

2014年04月01日 | Weblog
 

うまくいく、うまくいかない。
勝つ、負ける
その繰り返し中から普遍性の高いものを集約して
常勝のノウハウをルール化していく。
こうしたものが、学びの本質。

ことをなし、うまくいく、行かないを繰り返す、
といった体験の繰り返し、積み重ね、
そこから学び、創造することが本来。

そしてそれらをお互い共有しあうことで、
組織、社会の学びとなり、
普遍性高いものはルール化され、蓄積される。

こうして人は学び、学び合い、成長する。
ともに組織、社会も学び、進歩発展していく。
さらにそうした社会、組織から個々人は学ぶ。
こうした相互の交流の繰り返しで、
知恵、文明、経済といったものが、
螺旋状に進歩発展していく。

そして、その過程で、
人、個々が学んだことは知的個人財産から脱し、
組織、社会の共同財産化され、蓄積、あるいは消費される。

互い学び合い、互恵しあう関係をイメージし、
それを広げていくと、そんな風に私には思える。
こうしたことを裏返しし、強く言えば、
厳密にみて純粋に自分だけで学び得たものが、
いったい存在するのであろうか、とも思う。

一方、自分で体験せず、学ぶ、といったことを省き、
出来合いの教えを外に求める、
他人に求める、
神仏に求める、
といった傾向、ここで繰り返し触れてきたが、
このように知的財産の創造には関知せず、
ただひたすら、他者の知的財産の取り崩しに
勤しむ姿勢はいかがなことか、と思うのである。

学びの本質

2014年04月01日 | Weblog
 

うまくいく、うまくいかない。
勝つ、負ける
その繰り返し中から普遍性の高いものを集約して
常勝のノウハウをルール化していく。
こうしたものが、学びの本質。

ことをなし、うまくいく、行かないを繰り返す、
といった体験の繰り返し、積み重ね、
そこから学び、創造することが本来。

そしてそれらをお互い共有しあうことで、
組織、社会の学びとなり、
普遍性高いものはルール化され、蓄積される。

こうして人は学び、学び合い、成長する。
ともに組織、社会も学び、進歩発展していく。
さらにそうした社会、組織から個々人は学ぶ。
こうした相互の交流の繰り返しで、
知恵、文明、経済といったものが、
螺旋状に進歩発展していく。

そして、その過程で、
人、個々が学んだことは知的個人財産から脱し、
組織、社会の共同財産化され、蓄積、あるいは消費される。

互い学び合い、互恵しあう関係をイメージし、
それを広げていくと、そんな風に私には思える。
こうしたことを裏返しし、強く言えば、
厳密にみて純粋に自分だけで学び得たものが、
いったい存在するのであろうか、とも思う。

一方、自分で体験せず、学ぶ、といったことを省き、
出来合いの教えを外に求める、
他人に求める、
神仏に求める、
といった傾向、ここで繰り返し触れてきたが、
このように知的財産の創造には関知せず、
ただひたすら、他者の知的財産の取り崩しに
勤しむ姿勢はいかがなことか、と思うのである。