伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2020/09/07

2020-09-07 18:05:30 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 16:1-6

そこでヨブは答えて言った、 「わたしはこのような事を数多く聞いた。あなたがたは皆人を慰めようとして、かえって人を煩わす者だ。 むなしき言葉に、はてしがあろうか。あなたは何に激して答をするのか。 わたしもあなたがたのように語ることができる。もしあなたがたがわたしと代ったならば、わたしは言葉を練って、あなたがたを攻め、あなたがたに向かって頭を振ることができる。 また口をもって、あなたがたを強くし、くちびるの慰めをもって、あなたがたの苦しみを和らげることができる。 たといわたしは語っても、わたしの苦しみは和らげられない。たといわたしは忍んでも、どれほどそれがわたしを去るであろうか。」

エリパズの反論は、最初にヨブに掛けた言葉と内容は変わらず、ただ単に言葉が激しくなっているだけです。そのことを人を慰めようとしてかえって煩わせていると表現しています。それに対してヨブは、反論しようとするならば反論できるが、そのような言葉の応報が自分の苦しみを和らげることにはならないと、冷静に対処します。売り言葉に買い言葉のような形で議論を続けても、何一つ良い結果を得ることはできません。

https://www.bible.com/bible/81/job.16.1-6.ja1955

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ヨブ記 16:7-16

「まことに神は今わたしを疲れさせた。彼はわたしのやからをことごとく荒した。 彼はわたしを、しわ寄らせた。これがわたしに対する証拠である。またわたしのやせ衰えた姿が立って、わたしを攻め、わたしの顔にむかって証明する。 彼は怒ってわたしをかき裂き、わたしを憎み、わたしに向かって歯をかみ鳴らした。わたしの敵は目を鋭くして、わたしを攻める。 人々はわたしに向かって口を張り、侮ってわたしのほおを打ち、ともに集まってわたしを攻める。 神はわたしをよこしまな者に渡し、悪人の手に投げいれられる。 わたしは安らかであったのに、彼はわたしを切り裂き、首を捕えて、わたしを打ち砕き、わたしを立てて的とされた。 その射手はわたしを囲む。彼は無慈悲にもわたしの腰を射通し、わたしの肝を地に流れ出させられる。 彼はわたしを打ち破って、破れに破れを加え、勇士のようにわたしに、はせかかられる。 わたしは荒布を膚に縫いつけ、わたしの角をちりに伏せた。 わたしの顔は泣いて赤くなり、わたしのまぶたには深いやみがある。」

ヨブは、苦難の中に置かれた今の自分の状況を冷静に分析し、自分には何一つ非はないのに、安らかであった自分の生涯を一変させて敵の手に渡し、粉々に打ち砕かれたのだと語ります。このヨブの姿は、やがて来る苦難の僕、すべての人を世の罪から救うために自ら十字架の苦難の道を歩まれた主イエスの生涯を予表するかのようです。たとい自分の意に添わなくても、神の御心とあらば甘んじて受け入れる姿こそ、真の神の僕、神の民に相応しい覚悟です。

https://www.bible.com/bible/81/job.16.7-16.ja1955

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ヨブ記 16:17-22

「しかし、わたしの手には暴虐がなく、わたしの祈は清い。 地よ、わたしの血をおおってくれるな。わたしの叫びに、休む所を得させるな。 見よ、今でもわたしの証人は天にある。わたしのために保証してくれる者は高い所にある。 わたしの友はわたしをあざける、しかしわたしの目は神に向かって涙を注ぐ。 どうか彼が人のために神と弁論し、人とその友との間をさばいてくれるように。 数年過ぎ去れば、わたしは帰らぬ旅路に行くであろう。」

ヨブは自らの人生に、神に対する罪は犯していないと自信を持っていました。その上で、自分の身の潔白を証明してくれる証人は、この地上にではなく、天におられると断言しました。神と人との間に立つ執り成し手であるキリストを、信仰をもって仰ぎ見たのです。そしてキリストが自分と友人たちとの関係を正しく裁いてくださるようにと願い求めました。たといこの世では報われなくとも、誰からも理解されなくとも、私たちの義をご存じであられる神にすべてを委ね、真の仲裁者であられるキリストに望みを託す私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/job.16.17-22.ja1955
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【今日の聖句】 2020/09/07

2020-09-07 06:25:25 | 今日の聖句
マタイによる福音書 11:28-29 新共同訳

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、との徳川家康の名言にあるように、私たちの人生は苦労が絶えず、休む暇もありません。そんな人生に疲れ切って倒れてしまう前に、重荷のくびきを共に負って歩んでくださる主イエスの御許に荷を降ろし、魂にまことの安息を得させていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/mat.11.28-29.新共同訳
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