佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

日本の磯の開拓者ー9

2022-07-18 18:55:28 | 釣り界の歴史

アラ2本

さて、船は錨を上げて一路阿久根へ向かったものの夜半にいたって強風豪雨の完全なシケ模様となり、船はピッチング、ローリングの猛烈な揺れ方、島影から島陰へ風を避けて逃げ回り、やっと少し安全な湾に入ったがその間、伝馬はロープがきれて流失、その上海水漏れが甚だしく、到底寝ておれない。

夜が明けてもシケは一向に静まる気配もなく、午後の2時前になって漸く雨が止み、風も少しおさまった。それで直ちに意を決して出発、7時間ばかりも揺れに揺れて、やっと午後9時近く手打ちの島の灯を見ることが出来た、その時の嬉しかったこと。組合の人や旅館の人々が大変心配してくれて波止場まで迎えに来てくれた。その夜は手打に1泊、翌朝幸親丸で阿久根まで送ってもらうトロ箱5つに魚と氷をつめ、大あわてに慌てて霧島の小荷物に積み込みそれからスシ詰めの車内に乗り込んだ。

後で、宇治群島のあの時の大釣りの模様を、いくども思いだしてみようと努めたが、記憶はそこの所だけが空白で、どうしてもハッキリとは思い出せない。ただ無性にしんどかったことが記憶に残っている。

やはり石鯛釣りの愉しさというものは、釣れたり釣れなかったりする確率の少なさにあるようで、あんなに滅多やたらに喰いついてきては、苦しさだけがあって、スリルも期待もギヤンブルめいた愉しみもあったものではない。そこが大もの釣りと小もの釣りの違うところだろう。要はモノはホドホドに、ということだ。

それに又考えればこちらでコツコツ釣っておられるヒトに対しては、あのような荒稼ぎは、まるで射的競技に機関銃を持ち出したようで、甚だ申し訳ない気がする。何か折角のレースの面白味をブチこわしたような気がしないでもないので九州での記録を私のそれから抹消してくださっても一向に差し支えがない余りに釣れないが故にこそ、石鯛釣りは面白い、遅まきながらそう悟れたことが、今回の遠征のもっとも大きな収穫であった。

 

 

 

 

 

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