佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

日本の磯の開拓者‐2

2022-07-02 19:50:10 | 釣り界の歴史

4月25日,二木島の石鯛釣りにアブレ、帰宅すると手打ちのH氏から速達が届いていた。鷹島で50枚釣れたから、ぼちぼちシーズンに入ったと思う、お越しくださいという文面,桁外れに景気の良い情報である。

さあ、そんな情報を目にしては、もう矢も楯もたまらない、早速長距離電話で浜里氏を呼び出し、船の準備をいらいする一方,大童に荷物を整えた。

生憎、同行の大井氏が都合悪く、佐古田氏またスケジュールあっていけないとの事、それでも私は行くとばかり、私一人が、27日の夜行に飛び乗った。連休をひかえた汽車の中は,立すいの余地もない超満員、私は阿久根まで一睡もできないでいた。

浜里氏の幸親丸が阿久根まで迎えに来たが、バッテリーの充電やら、氷の補給に2日間もかかり折角の好天続きを、イライラしながら無為に過ごした。ただこの間、阿久根の市場で1貫足らずのサザエをやっと見つけ、それを宝物のように大切に抱えて船に積み込んだのが、せめてもの収穫だった。

宇治に向けて出発したのは、だから5月1日、この地方では珍しいほどの晴天無風の日だった。そのせいか船足は意外に速く、5時間ほどで目指す宇治群島の遠景が見え、正午には島に辿り着いた。

島は夢に見たそれとそっくりだった。紺碧の空とエメラルドの海の真っ直中に、ポっカリと浮かんだその島はさながら南海の別天地に見えた。ビロー樹が生え茂り、それが南国の強い陽光に映えて、しみいる様な緑の陰を一そう濃くしている様は、異国情緒も満点で遥けくも、来つるものかな、の感を、いよいよ深くした。その上磯の様相がまた、島の宝庫の称号もさこそと背かせるほどの素晴らしさ、全島皆これ好ポイントに見える。

コメント
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