佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

石巻・大川小心の軌跡4 

2013-08-20 18:40:39 | 日々の思い

津波に襲われる1分ほど前(午後3時35分~36分頃か)こどもたちは校庭のフエンスの隙間から出て学校脇の道路をひだりに折れた。

三角地帯に向かうには、右うに折れて県道に出るのが最も単純で短いルートなのに、何故か、逆の方向に向かった、校舎から戻ってきたA教諭は、逃げ始めていた子供たちの後ろについていたことを証言しているその頃学校前を通った釜谷の住民の高橋和夫さんは、大人か子供かは、はっきりしないものの、十数人が校庭に残っていたことを覚えている。

学校脇に建つ釜谷交流会館の前で、学校前の様子を見に行っていた教頭先生が「もう津波が来ているから急いで!」と大声をあげて戻ってきた。

子供たちはあわてて、釜谷交流会館浦の駐車場から民家の浦の路地を走った、そこから小さな畑や排水溝のある比較的幅のある通路を右に曲がり民家のあいだを抜けて県道を目指した」。

 

県道に出ようとしたところで、しぶきが上がって黒い津波が堤防を越えてきたのが見えた前方を走っていた児童たちが慌ててひきかえしてきて、後方の児童たちは」立ち往生していた、

生存児童の一人、只野哲也君(当時5年生)は一緒に逃げていた柔道仲間の今野大輔君が倒れるのを見て、ジャンバーの襟を引っ張っていこうとした

しかし大輔くんは動けなかった、哲也くんは夢中で山を登ったが後ろから津波の強い衝撃を受けて気をうしなった、同じように津波にのまれて、流れてきた冷蔵庫に入って助かった同級生が、体が半分土に埋もれていた、哲也くんを助け出した。

 

雪が本格的に降ってきた、結局、山に走って逃げたA教諭と3年生の男児、津波にのまれながら山に打ち上げられて地域住民に救助された1年生の女児の計5人が津波からの生存者となった。

 

空白の51分間を詳細に再現するには証言や情報が限られているために部分的であるが、本当に

追求しなければならない部分がそのまま残されているのが分かる。

大川小の教職員は危機情報も得ていて逃げる場所もすぐそこにあり高台に避難する時間も十分にありながらなぜ校庭にとどまり続けたのか。

 

危機管理マニュアルの不備から見えた学校運営のずさんさが見えた。

 

コメント
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