東北の大震災での辛い体験談が宮城県の佐藤由則氏から届きました。
いろいろな問題が含まれたこの便り、大川小児童の惨事の事実がかかれています
この記事は2012年10月30日に加藤順子「フォトジャーナリスト 、気象士」さんの記事です。
東日本大震災の津波で、児童74人と教職員10人が犠牲になった石巻市立大川小学校を取り上げた
当連載も、15回を数えるまでになった。
初回で取り上げたのは、震災から1年3ヶ月余りすぎた2012年6月16日に、遺族の有志が行った会見の様子だった。
事故の真相が一向に明らかにされない現状をうったえるために、意を決した8家族11人が報道陣のカメラの
前に立ち、一人ひとりがマイクを握って胸の内を語った。
あれから4ヶ月半、これまで、どのようなことがあきらかにされ、何が課題として残されているのか私たちが石巻市や県教委、文科省に繰り返し行ってきた情報開示資料や、これまでの石巻市教育委員会の調査に、
生存者や、地域の人たちなどへの取材から得た情報も加えて、ここで改めて整理をしてみたい。
空白の51分間は、何処まで明らかになったか
あの日地震が発生した午後2時46分から、学校の時計が午後3時37分で止まるまでの51分間、
学校で何があったのか、子供達が、高台へのひなんもせずに校庭に居続けた、空白の51分間の
出来事は「真実を知りたい」と訴え続ける遺族たちが最も知りたがっている部分だ。
続く