しのばずの池の蓮。
まだまだ葉っぱは大きくのび広がる。
浅草はにぎやかすぎて落ち着かなくなってきたので、
上野のみどりと喧騒がちょうどよい。
まさにふる里の池。
頭でつくった再開発は、息がつまりそう。
人のくらしから、自然になるようになった街がほっとする。
自然環境があって、人が住んで、次第に街となるのが本来だ。
元々の環境や歴史を生き埋めにした上に
ぱこぱことプラモデルを建てて、人を呼ぼうとする
方法論は、情緒を削いで愚民化をさそう。
モニュメント見たさじゃなくて、会いたい人に会いに行く、
そういう街おこしがよいわさ。
今様の立派なつるつるモールじゃなくても、
たとえひっつき虫待ち忍ぶ荒れ野であっても、
そこに妖しくほほえむ、すてきな誰かのさぶらはば、
時間も距離も超えた恋人がごとく会いに行かむとすべし。
人の魅力がさそう街。建物ごとは後から自然にそだつから。
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