ふろしき王子のブログ◎
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「たて結びにならないように」

2つの角を2回結んだときに、元と角が平行になる「真結び」と、
十字に交差したような「縦結び」の2種が生じ、それは
2回目に角の左右どちらを前と後ろに重ねるかによる結果の違い。

いつでも、同じ側の手を前にして結んでいると縦結びになる。
バランスよく、ニュートラルな結びにするためには、
前後の位置を、右手や左手のどちらかに偏らないほうがよいので、
やはり真結びの方が安定している。
さらにいうなら、真結びへ至る道程は8通りあって、
もっともバランスがとれているのは、
2つの角のどちらも、一回巻いているという状態。
これは図解しないと分かりにくいので今は割愛しますが、
同時に、例外もあって、たとえば風呂敷とビニルひもを
つなげるときや木綿と化繊の2種の風呂敷をつなげるときは、
つるつると滑りやすいほうの角は、複雑にして抜けにくくするために
2回とも巻くとようにするという技がある。

真結びをとっても、角の大きさや元の締め方によっても
安定度が変化するので、元々不安定な縦結びはよほどの例外を
のぞいてはおすすめできない。
固くなってほどくのが困難になるか、または元を引っ張ると
するするほどけてしまうこともある。

だけど逆に、風呂敷で本当にきをつけることは
縦結びにしないことと、真結びは元をしっかりと締めて
動かないようにすることくらいなので、あとは
いくらでも自由にやっていけます。

現在、半数以上の人が、普通に結んで縦結びになってしまうので、
ここは、幼稚園なり小学校からきちんと身につけたい部分です。
ひもにも通じるので、救助や避難に使おうというときの
安全性にも関わってきます。

そんなわけで、僕はウザがられたとしても、
縦結びを見かけたときはこれからも
指摘してゆくでしょう。

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「用が済んだら、ほどく」

これは自分でも徹底できていないのだけど、
ほどくために風呂敷を使っているのであって、
ほどかないなら縫いつけちゃってよいともいえる。

元々、ほどく理由の第一は湿度対策で、じめじめした氣候の地域では
風通しと乾きやすさがいのちで、湿ったままではカビたり傷んで
物が長持ちしないということ。

次に、ほどくことで他の用に使いまわすこともできる。
きぶんもリセットできる。

元にもどすということ。

自分のしたことの後始末、落とし前ともいえる。

用が済んだのにまだほどかずにそのままにしているということは、
どこか、まだ未練があるということかもしれない。
でも、そこでうだうだといつまでもしがみついてないで、
たとえ不完全燃焼だったとしても、きっぱりとほどくのだ。
なぜなら、ほどいてみないと自分が本当はどうしたかったかに
きづくことはできない。
迷わずほどこう!

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(作法の内容は、順不同です)

「包みの中身は、バランスよく配置する」

ふろしき包みは、カバンと違って中身のかたちがそのまま
あらわれるし、カバンよりも軽い分、中身の配置がそのまま
重心となって持ちやすさ/にくさへとつながるので、
ジグソーパズルとまではいかないけれど、
バランスを意識して風呂敷の上に置いてから包む。

それは見た目や大きさだけでなく、重さのバランスもあるが、
最終的に持ちやすいことと、
結び目の角の出方が左右均等であることが大事。
角の大きさが違うとほどけやすく不安定。

最も大切なことは、自分のからだにとって
持ちやすい、使いやすいかどうかということで、
そこは妥協せずに、自分の身体と対話しながら
とことん調整や工夫をたのしむ。
だって、心地よくなることを放棄したら、
無駄に我慢するということで、身体や心、いのちへの
冒瀆になります。

そういう決まりだから、という考えなしの作法ではなく、
それが身体にとって自然で心地よく、理に適っているということが
大事ですね。

しかし結局は、バランスよく配置するのは
使いやすいから、という後づけの理由ではなくて、
自分のしぜんな感覚としてそうしたいから、に尽きます。
そんなわけで、改めて言い換えるならば、

「包みの中身は、自分がしっくりとくる配置にととのえる」

このように書いたほうがふさわしいでしょう。

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新しいふろしき本をつくろうと、
ぽちぽち動きはじめています。
子ども向けの、じいう闊達感を主軸と
見せつつも、自分なりの風呂敷風「作法」
(理屈の先立つものでなく、身体的必然性に
基づくもの)を
魔法みたいに結びつけられたらと思います。

まあ、どんなに異なってみえるもの同士でも、
共鳴点を紐とかば、つながらないものなど
ありえないので、何か出てくるでしょう。

子どもむけ、と、作法に共通するのは
教育です。
実際は、理由などなく、ただやりたいから
やるものですが、意義をきっかけや
その氣にさせることもあるでしょうから、

ひとつ、ひとつの結び方や作法の
裏にある大自然流の必然を、
大まじめな大風呂敷で述べてみるのも
ありかと考えています。

本のタイトルは既に決めていますが、
タイトル=コンセプト、では全然ないし、
むしろタイトルと中身が一見合っていない
ゆえのモンタージュ効果まで楽しみに
するような感覚です。

こないな本にしよう!と決めた所で、
実際具体的につくってゆけば、途上で
必ず当初の設計から逸れてゆく
しぜんの流れが起こるでしょう。
タイトルとかコンセプトは、
はじめの呼び水、種火、起爆剤のような
役割でこそあれ、最後まで縛りつづける
囲いであってはなりません。

このたびも自費出版といたしますが、
生きている本をともにつくりたいという
出版・編集関係の方がおられましたら、
いつでもご連絡をいただけたらと思います。

最高のモチベーションは人。
今回は、自分自身が出演でも
よいかもしれない。
あとは、周りにいるなかまたち。

僕がカメラで、50人ほど
フロシキスタを撮影しながら、
ローカルでプライベートな
むすびを案内するのもありですね。

レフ板持って、きみが街さ。


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ふろしきシュシュバッグを持って、
はじめてのカフェに来てみた図。


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