ウチの母親は俳人である。
「ちょっと趣味で俳句を…」程度ではなく、その世界では多少は名前が知れている(らしい)。
その母が、長男の二十歳の誕生日のときに上京していて
息子に「あんたが生まれたときに創った俳句は、今でも話題になるのよ…」
と話していた。
赤子つむる一文字二つこそ涼し
手も足も泣きをる赤子見て汗す
遠雷やきのふ生まれてほと欠伸
母となる夏髪なれば一束に
これらの句を見ると、改めて息子が生まれたときのことが鮮明に甦る。
夏真っ盛りの雷雨の中で生まれた息子。
本気で「雷太」と名付けようかと思った。
目の大きな赤ん坊で、その分目を瞑るとまっすぐの一線が二つ並んだようになった。
妻はスモックのような白い袖なしの妊産婦服を着て、髪を束ねて息子を抱いていた。
俳句という日本独自の短詩の中に、当時のあらゆる情景が余すことなく盛り込まれている。
写真や映像よりも鮮烈だ。
あの時の赤ん坊がもう二十歳。
そして息子を抱いて、母親になった満足感に優しく微笑んでいた妻は、もういない。
これだけ簡潔にその場の情景と心情までもが写実できる俳句という「道具」について
僕は母親から才能を受け継ぐことができなかった。
それはとても残念なことである。
「ちょっと趣味で俳句を…」程度ではなく、その世界では多少は名前が知れている(らしい)。
その母が、長男の二十歳の誕生日のときに上京していて
息子に「あんたが生まれたときに創った俳句は、今でも話題になるのよ…」
と話していた。
赤子つむる一文字二つこそ涼し
手も足も泣きをる赤子見て汗す
遠雷やきのふ生まれてほと欠伸
母となる夏髪なれば一束に
これらの句を見ると、改めて息子が生まれたときのことが鮮明に甦る。
夏真っ盛りの雷雨の中で生まれた息子。
本気で「雷太」と名付けようかと思った。
目の大きな赤ん坊で、その分目を瞑るとまっすぐの一線が二つ並んだようになった。
妻はスモックのような白い袖なしの妊産婦服を着て、髪を束ねて息子を抱いていた。
俳句という日本独自の短詩の中に、当時のあらゆる情景が余すことなく盛り込まれている。
写真や映像よりも鮮烈だ。
あの時の赤ん坊がもう二十歳。
そして息子を抱いて、母親になった満足感に優しく微笑んでいた妻は、もういない。
これだけ簡潔にその場の情景と心情までもが写実できる俳句という「道具」について
僕は母親から才能を受け継ぐことができなかった。
それはとても残念なことである。