十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

仏道とは仏としての道である

2021年01月23日 | 一法言

 「仏道とは仏としての道であり、仏に成るための道ではない」
大概は仏道とは仏に成るための道だと心得ている。凡夫が仏に成る、大変な道と考えてしまっている。

 「衆生本来仏なり」(白隠禅師坐禅和讃)

 これは誰でも彼でも宇宙一杯の力、宇宙力で生きているということである。人間もコロナウイルスも同じ一つの宇宙力で生きている。

 そのことを知った人を目覚めた人(ブッダ)というのである。仏道を歩む人である。仏の行をなす人のことである。

 仏の境界は100点満点、我々は50点、と普通は考える。

 しかし、元々50点なのか、100点の人間がたまたま今50点を生きているのか。大きな差がある。50点の人間が100点取ろうとするのはたいへんで不可能とさえ思える。いや、皆そう思っているのである。

 一方、100点者は今50点でも100点に戻るのは簡単である。仏道に戻るだけである。

 元々、宇宙力で生きているのだから宇宙力で生きればいいだけである。

 坐禅なら只管打坐するだけである。

 今流行りかけのテーラワーダの瞑想は、悟りを得るための手段としてある。手段に過ぎないから、サマタとヴィパッサナーと行法が二つに分かれているのである。

 宇宙力を生きると、自由、安らぎ、生き甲斐という宗教の目的が達成される。

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