十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

緒形拳 坐脱

2008年10月10日 | 人生

 禅門の高僧の死に方に坐脱立亡(ざだつりゅうぼう)というのがある。坐脱は坐禅しながら死ぬこと、立亡は文字通り立ったまま死ぬことで立ち往生である。


 立亡はむずかしそう、死んでもすぐ倒れそう。伝説の弁慶の立ち往生は金剛棒に掴まっていたのだろうか。大方はもたれかかっていたのだろう。


 坐脱はありそうなことで有名なところでは、山岡鉄舟がやったらしい。勝海舟が山岡を訪ねると白の死装束で坐禅をし「これより涅槃に参るところでござる」なんて言って死に、死んでも坐禅の姿勢がくずれなかったので近所の人が拝みに来たという話が残っている。


 禅門では「生也全機現 死也全機現(しょうやぜんきげん しやせんきげん)」とか言って機は働き、現は現すことだから、今の言葉で分り易くいえば全力投球すること、死ぬのも全力投球する。死をもコントロールできるということなんでしょう。


 さて、今日の朝日新聞の天声人語によると緒形拳さんの死に様が書かれていたので次にその一部を紹介すると、


「天声人語}
歌舞伎役者のように虚空をにらんで、緒形拳さんは静かに息を引き取ったそうだ。臨終に立ち会った津川雅彦さんは、その時を「おれもあんな死に方をしたいと思うほど格好いい最期だった」とまとめた▼危篤と聞いて病院に駆けつけると、71歳の名優は一度ベッドに座り直したという。ひとしきり仕事の話をし、「治ったらウナギ食いに行こうな。白焼きをな」。この誘い、津川さんの激励ではなく、緒形さんの言葉というから驚く。淡いユーモアがにじむ、骨太の幕である


 息を引きとる時には寝た状態だったのだろうが、危篤状態の人間が坐り直して応対するのは坐脱みたいなもんだと思う。
 自分の死を見届けながら死ぬ、最後はそうありたいもんである。


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