更新をサボっています。
安直にヤフーの知恵袋で、「生まれ変わりがあるのか」との質問があったので次の通り回答したのを転載します。
死んだ人が生まれ変わるということはありません。
しかし、その人の記録、記憶は残ります。遺産です。後の人がそれを活かすことを事ができます。
例えば、お釈迦さんの教えは2500年、代を替えて引き継がれてきました。今もお釈迦さんの教えを継いだ人がおられます。
更新をサボっています。
安直にヤフーの知恵袋で、「生まれ変わりがあるのか」との質問があったので次の通り回答したのを転載します。
死んだ人が生まれ変わるということはありません。
しかし、その人の記録、記憶は残ります。遺産です。後の人がそれを活かすことを事ができます。
例えば、お釈迦さんの教えは2500年、代を替えて引き継がれてきました。今もお釈迦さんの教えを継いだ人がおられます。
前回、生まれ代わり思想としてのいわゆる輪廻転生に2種類あると、書いた。
道元禅師はどう考えていたか。私の思うところを書いてみたい。
道元禅師は正法眼蔵弁道話で、霊魂による輪廻をはっきり否定している。霊魂により生まれ変わるとするのは外道の説であると言われてる。
しかし、正法眼蔵三時業の巻では、業による生まれ変わり、現生、次生、後次生という三世における生があることを解説している。
晩年において、なぜこのような三時業の巻を書かれたのか、訳の分からない話で、道元禅師のような知性をもってしても、経文の記述から脱することができなかったようである。
この三時業については、秋月龍珉老師が口を極めて批判しておられる、以前に老師の著書「間違いだらけの仏教」を引用して紹介したことがあるので、読み直しされることを勧めたい。
「正法眼蔵三時業」
http://www.shomonji.or.jp/soroku/genzou.htm
「間違いだらけの仏教」
https://blog.goo.ne.jp/ippouji/e/4fd9211ab82b33afe30155fe89394aed
https://blog.goo.ne.jp/ippouji/e/9e17c5c87447962833b5a71875ebc5a3
https://blog.goo.ne.jp/ippouji/e/93d1f615e5b8547b566b6264a24b583c
知恵袋で輪廻転生について、質問があったので次のとおり回答したので、ここに記録しておく。
輪廻はサンスクリットの原語サンサーラは「流れること」「転位」を意味します。つまり、物事が法則に従って動いていくさまをいうのです。
それを漢訳された時に輪廻としたのです。壊れた輪が蘇るそんな意味は飛躍がありすぎるでしょう。
生死を繰り返す様を輪の回りに例えたという説もあります、むしろ、こちらが主流です。
さて、そんな輪廻転生説を唱えたのはバラモン教です。バラモン教では輪廻の主体をアートマンという霊魂だとしました。アートマンは不滅であり、輪廻から解脱しないかぎり永遠に苦しみの生死を繰り返す、解脱するには長い期間の苦行をしなければならないのです。解脱することができればアートマンは天に上り、ブラフマン(梵天)と一緒になります。梵我一如とか梵我合一とか言われ、もう生まれ変わりることはなくなるというのです。
お釈迦さんはその修行に挫折されます。絶望のあまり、菩提樹のふもとでへたりこまれたのでしょう。7日7晩、坐り込んで8日目の朝、明けの明星を見た途端、悟りを開かれたのです。
お釈迦さんの悟りは輪廻の根源たるアートマンの否定です。代わりに縁起説が唱えられました。無我です。アートマンの否定で輪廻転生思想は終わりのはずですが、そうはいかなかったのです。
世の中は輪廻を信じる人ばかり。お釈迦さんが解脱されたとしても特別な人扱いだったのでしょう。
輪廻思想は無くならず、輪廻の理由が業に置き換えられたのです。
その業とか縁起というものは、一本つながりで論じられるものでなく関係するものは無数にあり、それが皆関係しているのです。
生命のような複雑なものが、こうすりゃこうなるというようなトンコ節のような簡単な因果で生じるものではありません。
生命は心理の問題であり、生理の問題であり、物理の問題です。心理だけでどうかなるものでは決してありません。
先週金曜日、毎日のサイクリングコースにある曹洞宗の寺院、南詢寺で多くの坊さんが集まっているのが見えた。
帰り道に自転車を止めて、覗いてみると「晋山結制式」という看板が見えた。
晋山式とは、新しく任命された住職の正式な就任式であり、また、結制法要とは新住職が最高の法階である大和尚の位に就くための儀式である。
https://sgl.sixcore.jp/soto/ceremony/special/shinsanshiki
後から聞いた話では親父の住職が引退し、息子が跡を継いだそうである。
さもありなん。寺は建て替えられてから10年くらい。今時、寺の新築は珍しい。
仏教学者 佐々木閑 花園大学 教授のユーチューブのおける新しい講義が始まった。
「出家的に生きるために」というタイトルである。
的がついていることから意味的には在家の人達に向けたものと思われる。
在家者が出家的に生きるのは仏教を信奉する者にとって当たり前のように思われるが、かくいう私は在家得度を受けているのでそれに類するものと思っている。在家出家である。
この在家出家は在家と出家の折衷というような中途半端なものではなく、ある時は在家であり、また、ある時は出家であるといった生き方であることを知っておく必要がある。
さて、在家出家という言葉を使ったが、逆の出家在家という言葉が考えられる。
これは出家が家庭を持ち在家的に生きているという意味とすると、それは果たして出家と言えるのかどうか。
とすると、出家と呼ばれる方々も在家出家を生きるしかないと思う。
日本には例外はあれど在家出家しかいないのではないか、
今日の知恵袋で閻魔大王について、質問があったので次の通り回答。
(回答)
閻魔さんは裁判官でありかつ地獄の支配人でもあるのです。
資格のない者は地獄に入れません。そのためにまず裁判が行われます。
裁判されるところは閻魔庁。
裁判の時は閻魔さんは浄玻璃(じょうはり)鏡という何でも真実を映す鏡を持っておられて亡者の過去の行状があぶり出されるのです。その一切余すところなく書き込まれた裁判記録が閻魔帳です。
閻魔さんは地蔵菩薩の化身と言われており、お優しく少々の罪は許され他の道を行くことになります。
極悪甚重の人間のみが地獄への入門を許されるのです。
人間ごときが簡単に地獄行きなんて軽々しく言ってはいけません。閻魔さんの権限を侵すことになります。こういう人は舌抜きの刑に処されると広報されています。ハイ。(笑)
今日の知恵袋で表題のような質問があったので、次の通り回答した。
(回答)
仏教は自己が根本ですから、自己の他に超越的存在を認めません。
従って、厳密には無神論です。
しかし、元からあるとされた神々の存在を否定していません。全部守護神という形の眷属にしてしまったのです。
インドの梵天、帝釈天というような天部の神もいれば、日本では神道の神々も取り込んで神仏習合という形が生まれました。
仏教は素朴実在論、有りと認識すれば有りなんです。
だから、ありもしない輪廻思想なんかも残ってしまっています。ないと認識すれば消えてなくなるものでしかないのですがねえ。(笑)
東寺 帝釈天坐像 国宝
今日のユーチューブの佐々木閑教授の講座で鉄眼(てつげん)和尚の大蔵経開版や飢饉による救済活動等偉業について語られていたので紹介したい。
鉄眼和尚ゆかりの寺、鉄眼寺は私が2年勤めた勤務先と道一つ隔てたところにあって、2階から境内がよく見えた。
黄檗宗の禅寺で坐禅会も行われていたので、何回か参加したこともある。
寺の名は瑞龍寺だが鉄眼寺は俗称である。
https://www.youtube.com/watch?v=plfECSYZ728
ユーチューブで佐々木教授の講話が公開されたので、紹介します。
公開講座のお知らせ 「法顕のインド求法記に学ぶ」(国際仏教興隆協会文化講座:講師 佐々木閑)
(公開のお知らせ)
https://www.youtube.com/watch?v=f9_ZXDbTORM
(講座)
https://www.youtube.com/watch?v=4JsvIPbwQ9A
(テキスト)
https://www.ibba.jp/wp/images/2021/12/2020lecturemeeting.pdf
紆余曲折があったが、名古屋に覚王山日暹寺が創設され、境内に仏舎利の奉安塔がられた。
経緯は佐々木閑教授の話を、ユーチューブでお聴きになってください。
https://www.youtube.com/watch?v=Q9pvwAZDlCk
https://www.youtube.com/watch?v=_bLdbJVi8bo
https://www.youtube.com/watch?v=sNZQvJIdBI0&t=915s
佐々木閑の仏教講義 4「仏教再発見の旅 126」が本日ユーチューブにアップされる。
仏舎利を安置する覚王殿をどこに造るかで行われた建仁寺における会議の様子を解説されているが、坊さん同士の喧嘩も俗人と何ら変わらないところを描写。面白すぎる。
仏舎利が日本の長崎に着いて、京都に運ばれるまでを佐々木閑先生が解説。結構、面白い。写真は五条大橋の様子だが橋の欄干に腰掛けたり大勢の人が詰めかけた。
佐々木閑の仏教講義 4「仏教再発見の旅 125」
https://www.youtube.com/watch?v=Ew3hf3tusF8
ところで、変なところで思い出したことがあったので、書いておこうと思う。
受け入れの使者として赴いた四人の中に、東本願寺大谷派の大谷光演(別名句仏)いた。この人は俳句で有名な人だったそうである。
この人について、澤木興道老師が面白いことを言っておられるので紹介したい。
「大谷句仏は大正時代、芸者の一万円のポチをやったというので有名だった。それでいて「モタイナヤ祖師は紙衣(かみこ)の九十年」(紙粉とは紙でつくった衣服)という句をつくった。区はいいが、一万円のポチを芸者にやる人間のつくる句か。」
明治三十三年仏舎利を受け取りの費用が1万円(現在の貨幣価値なら2億円)、大正時代の芸者のポチが1万円、貨幣価値の変動が著しい。
九十歳の祖師とは親鸞聖人のことと思われる。
私は花園大学 佐々木閑教授のユーチューブでの仏教講話を聴いている。教授のこの取り組みは昨年コロナ蔓延で対面授業ができなくなり、授業の一端を一般人にも聴講してもらおうと始まったものである。
特に教授の専門分野である初期仏教について、知らないところが多かったので非常に勉強になった。
1日20分に満たない程度の講話なので、苦にならない。仏教に関心のある方には聴講をお勧めしたい。
今日の講話は、お釈迦さんのお骨、つまり、仏舎利が日本にタイ国から送られる話で、受け入れるに当たっての騒動が語られ、面白かったので紹介する。
「仏教再発見の旅124」
https://www.youtube.com/watch?v=02tAjBEeXZY
それでその仏舎利はどこの祀られているかというと、名古屋市の日泰寺(無宗派)である。
https://news.yahoo.co.jp/byline/ukaihidenori/20210421-00233688
12月8日は成道会
お釈迦さんが悟りを開かれた日とされている。
勿論、新暦の日であるはずもないがこの日として記念の行事が行われる。
お釈迦さんはどのように悟りを開かれたか、私の思うところを書いてみる。
まず、6年の苦行の果に解脱を得られなかった。挫折も挫折であって絶望の極みにあったのではないかと思う。
何の見通しもなく菩提樹の木の元にへたり込まれた。
死ぬなら死ねと死ぬ気で7日7晩不眠不休で坐り続けられたのだと思う。
瞑想なんかじゃなく只管打坐である。瞑想なんかは苦行の間に嫌というほどなされたに違いない。それは頭の中の葛藤である。
ただ坐り込んだがゆえに我が抜けて無我の悟りを得られたのだと思うのである。
以前からヤフーの知恵袋で回答を書いているが、その中で面白い問があったので、回答した内容を記述する。
Q: 数の単位について質問です。 先日ある動画を見ていると、無量大数以上の単位が複数出てきて驚きました。 仏教の世界で使われていると聞いたのですが、本当ですか? また、10の〇〇乗の〇〇の部分、なぜ単純な倍計算ではないのでしょうか。 そもそも使われる時ってあるのですか?
A: インド人は数を数えるのが好きだと聞いたことがあります。 0を発見したのもインド人。
今、その動画を見たばかりですが、すごいですね。
無量大数までは冪指数に4ずつ増えていく法則性がありますが、次の矜羯羅(こんがら)からは法則性があるように思えません。 こんがらがって使用不能で普通は単位として認めないということでしょう。こんがらがるという言葉もこの矜羯羅から来ているのでしょうね。
阿僧祇が2回出て来ています。これは?です。
「無量大数より大きい数の単位」
https://www.youtube.com/watch?v=ruSJZ32MLwg&t=72s