いまや日本のマチュピチュとして人気急上昇中の
竹田城跡へ友達4人で梅雨の合間を
縫って日帰り旅行をしてきました。
竹田城は兵庫県朝来市の標高353mの古城山に築かれています。
この竹田城は、但馬守護だった山名宗全の有力家臣のひとり、太田垣が室町時代中期
の1431年中盤に築城したとされています。
以来、さまざまな城主が入れ替わりましたが、現在残っている遺構は、最後の城主、
赤松広秀が整備したと言われ南北400m、東西100mの縄張りで、その姿は虎が伏せてい
るように見えることから別名
虎臥城と呼ばれ、現在も築城したときの石垣がほぼその
まま残っているそうです。
赤松氏は関が原合戦で西軍に味方したために、広秀は切腹となり慶長5年に廃城となった
と言われています。
駐車場の端に”竹田城の山門”があり、ここが大手門への登城口です。
門を潜っていったん階段を降り、舗装された道をすこし歩くと、雰囲気のある石碑が、
ここにお城があったことを知らせてくれました。
山の頂上へ向かう歩道は息が切れるほどの急坂で、絶景を期待して歩きましたが、徒歩で
20分は以外に遠く感じました。
城側の山を見上げてみると、それはもう見事な竪堀が何本も見えてきます。
急坂でかなりバテましたが、登城したときの達成感は「辿りつけた
」でした。
竹田城やふもとの城下町のことを観光ガイドのさんの詳しい説明を聞きながら散策しま
した。
観光客が多すぎて石垣が傷み立入禁止の場所が多く、地面には水はけを良くするために
土嚢が置かれその上に保護マットが敷いてあります。
北千畳から南千畳への一方通行となっていて、ロープが張られ、ロープ外は立入禁止で、
天守台も立入禁止ゾーンになっていました。
でも、北千畳・二ノ丸から、南千畳が見下ろせ、南二ノ丸からは天守台を見上げる事が
でき、石垣群の見事さは想像どおりでした。
この石垣は近江穴太衆の手による穴太流石積み技法を用いた“野面積み”とのことです。
石材は全て花崗岩で山麓付近から集められたと考えられ、最大のものは5tと推測されて
いるそうです。
心地よい風の吹き渡る竹田城跡は思ったより広く、石垣の石組が実に素晴らしく感動しま
した。
一つ残念だったのはマチュピチュの様な景色の見れる天守閣が立ち入り禁止になっていま
したが、保護のためには仕方がないですね。
頂上の石垣の上に立ったときの城下を見下ろす景色の爽快感は素晴らしいものがあります。
映画「天と地と」や「魔界転生」のロケ地にもなっていまるそうです。
遥か豊臣秀吉の天正年間に想いを馳せ、見事な城郭、天守閣を想像しながら、武士達の息吹
を想いうかべ感じながら見学しました。
竹田城跡が最も美しいのは、10月下旬から12月中旬の良く晴れて冷え込んだ朝だそうです。
山麓を流れる円山川からの朝霧が石垣の裾まで迫り、柔らかな絨毯のように広がり、雲海
を下に見下ろせる事もあるそうです。
今回は、昼間に行ったので,雲海を拝むことはできませんでしたが、自然を感じる事ができ
日頃の運動不足を解消できそうな場所でした。
ネットから写真を拝借しました。
標高350mあまりの山の上に残る古城の石垣の威容が雲海に浮かビ上がるさまはまさに
天空の城ですね。
一度雲海に包まれた竹田城を見てみたいと思います。