”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2020年04月22日 14時13分59秒 | Weblog

4月22日(水) 曇

  杜甫の漢詩「江村」

昨日古代中国の詩人には官吏を辞して農村で畑を耕してのんびりと過ごした詩人が多いと書いた。まぁそんなに多い訳ではないだろうが自分が田舎に戻って畑を耕しているから特に近親感を持ってしまったかもしれない。
中でも唐の詩人杜甫の「江村」と言う詩は田舎でのんびりと過ごす様子が伺えて気に入っている。もっとも自分の場合はただ一人田舎で畑を耕すだけだからまぁ理想の農村生活かもしれない。

清江一曲村を抱きて流る ・・清らかな錦江が一曲がりして村を包んで流れる
長夏江村事事幽なり   ・・この川沿いの村の夏は何もかもが静かでゆったりだ
自ら去り自ら来たる梁上の燕・・
梁の上の燕は行ったり来たりしている
相い親しみ相い近づく水中の鴎・・
水の中の鴎はお互いに親しみ近づきあっている
老妻は紙に画きて棋局を作り・・・
年老いた妻は紙に線を引いて碁盤を作り
稚子は針を敲きて釣鈎を作る・・・
子供は針を敲き曲げて釣り針を作っている
但だ故人の禄米を供する有らば・・
病身の自分には薬品の類さえあれば
微躯此の外に更に何をか求めん・・
この痩せた体にはそれ以外には何もいらない

まぁこんな風に過ごせるならば言うことないのだが人生とは中々思うようには行かないものである。
ところで蕉門十哲の向井去来の去来はこの詩の自ら去り自ら来たる梁上の燕から引用したと言われている。実は去来の庵は「落柿舎」と言い京都天龍寺の北にあるようだ。残念ながら天龍寺の庭園を見に行った時に足を延ばしておくべきだったと今更ながら思う。

 

 



 

 

   


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