11月26日(木)晴
もう11月もあと数日で終わりです。今年もなんとなく時が過ぎてしまったような気がするのは自分だけでしょうか?目標が明確だったものは、いろいろな人達の後押しや協力や支援のおかげでできたような気もしますが、目的が漠然としたものは一歩も前進していません。ヨットも春にやりたいと思っていたチャイルドネット、キャビンテーブル、日よけ等などの問題を解決できたし、ゴルフも目標を達成したし、まぁ目の前の具体的な目的はできたけど肝心な問題は全然解決できていません。
これからどう老いと付き合っていくのか考えても答えはありませんが結局自然体で今を生きると言うことかもしれません。
お釈迦様は人間を苦悩から解放する悟りを開きました。その教えは過去も未来も考えずにただ今を生きると言うことだそうです。そんなこと言っても過去を悔やんだり、未来を不安に思うのが人間です。ただいつ死ぬのかわからない身だと思うと過去や未来に縛られる必要もありません。ただ現在のみを一生懸命生き抜くことが大事だと言うことになります。こう言うとその日暮しの刹那的人生観のようになってしまいますが、自分らしく黙々と自然体で生きることは悩みのない世界かもしれません。来るものは拒まず去るものは追わず、日々あるがままを是とし、今目の前にある道を一歩ずつ真摯に歩いて行くことが結果的には一番現実的なのです。未来を夢見ることはあっても、そのために今出来ることを一歩一歩進み、続けることです。過去を悔やむことはあっても、過ぎたことを元に戻そうとするのではなく、今出来ることを続けることです。もう遅いとか言うことはないのです。それは結果でしかないのですから。
お釈迦様の教えだけを忠実に守ってきたのが小乗仏教です。これに対しお釈迦様の教えをさらに哲学的に追及して仏教世界観を作っていったのが大乗仏教です。日本には大乗仏教が伝わってきたので元々のお釈迦様の教えがいろいろな解釈を経てわけがわからなくなってしまったような気が自分はしています。原点を辿っていくと老子にしても釈迦にしても同じことを言っているように最近思えてきました。
自分もこれから先、老いとどう付き合っていくのかとか将来自分はどんな生活ができるのだろうかと考えてしまいますが、結局できる範囲の生活をあるがままに受け入れて行くしかないのでしょう。今の日本の政治を見ていると不安になることばかりですが、なるがままにしなやかに受け入れる心だけが救いになるような気がします。
民主党政権になって、国の事業を改めて見直す作業は大いに評価できます。しかしその一方で毎年数兆円もの子供手当てを出すなどと言った摩訶不思議なことや高速道路の無料化といった極端な共産思想も入って来ることには疑問を感じずにはいられません。子供手当てはバラまくことではなく保育経費、教育経費だけに使えばよいし、高速道路は現行の半額にすればよいと自分は強く思います。折角良いこと始めてこの国の再生になるかに思いきや、浮いた金を湯水のように無駄に使うのなら自民党政権とまったく同じだと思うのはぼくだけなのだろうか?
変な話になってしまったけどこのブログは即興で書いているので時々本音がでてしまいます。それでは終わりにします。
もう11月もあと数日で終わりです。今年もなんとなく時が過ぎてしまったような気がするのは自分だけでしょうか?目標が明確だったものは、いろいろな人達の後押しや協力や支援のおかげでできたような気もしますが、目的が漠然としたものは一歩も前進していません。ヨットも春にやりたいと思っていたチャイルドネット、キャビンテーブル、日よけ等などの問題を解決できたし、ゴルフも目標を達成したし、まぁ目の前の具体的な目的はできたけど肝心な問題は全然解決できていません。
これからどう老いと付き合っていくのか考えても答えはありませんが結局自然体で今を生きると言うことかもしれません。
お釈迦様は人間を苦悩から解放する悟りを開きました。その教えは過去も未来も考えずにただ今を生きると言うことだそうです。そんなこと言っても過去を悔やんだり、未来を不安に思うのが人間です。ただいつ死ぬのかわからない身だと思うと過去や未来に縛られる必要もありません。ただ現在のみを一生懸命生き抜くことが大事だと言うことになります。こう言うとその日暮しの刹那的人生観のようになってしまいますが、自分らしく黙々と自然体で生きることは悩みのない世界かもしれません。来るものは拒まず去るものは追わず、日々あるがままを是とし、今目の前にある道を一歩ずつ真摯に歩いて行くことが結果的には一番現実的なのです。未来を夢見ることはあっても、そのために今出来ることを一歩一歩進み、続けることです。過去を悔やむことはあっても、過ぎたことを元に戻そうとするのではなく、今出来ることを続けることです。もう遅いとか言うことはないのです。それは結果でしかないのですから。
お釈迦様の教えだけを忠実に守ってきたのが小乗仏教です。これに対しお釈迦様の教えをさらに哲学的に追及して仏教世界観を作っていったのが大乗仏教です。日本には大乗仏教が伝わってきたので元々のお釈迦様の教えがいろいろな解釈を経てわけがわからなくなってしまったような気が自分はしています。原点を辿っていくと老子にしても釈迦にしても同じことを言っているように最近思えてきました。
自分もこれから先、老いとどう付き合っていくのかとか将来自分はどんな生活ができるのだろうかと考えてしまいますが、結局できる範囲の生活をあるがままに受け入れて行くしかないのでしょう。今の日本の政治を見ていると不安になることばかりですが、なるがままにしなやかに受け入れる心だけが救いになるような気がします。
民主党政権になって、国の事業を改めて見直す作業は大いに評価できます。しかしその一方で毎年数兆円もの子供手当てを出すなどと言った摩訶不思議なことや高速道路の無料化といった極端な共産思想も入って来ることには疑問を感じずにはいられません。子供手当てはバラまくことではなく保育経費、教育経費だけに使えばよいし、高速道路は現行の半額にすればよいと自分は強く思います。折角良いこと始めてこの国の再生になるかに思いきや、浮いた金を湯水のように無駄に使うのなら自民党政権とまったく同じだと思うのはぼくだけなのだろうか?
変な話になってしまったけどこのブログは即興で書いているので時々本音がでてしまいます。それでは終わりにします。